発見記録

フランスの歴史と文学

坑夫たち

2005-10-23 18:20:13 | 歴史
Tièsses di hoie(石炭頭)とワロン語で呼ばれたリエージュの人たち。この地方での石炭採掘は中世に遡る。輸出され、リエージュは石炭産地としてその名を知られることに。(*1)
市に近いブレニーBlényの炭鉱は閉山後、炭鉱博物館Blény-Mineとして生まれ変わった。サイトのTOPページはその誕生25周年を祝う。

労働者階級の博物館なるものがあるらしい。プロレタリアという歴史的に特異な存在が、いつの間にかブルジョワより先に消滅してしまったとでも言うのだろうか。


「ヨーロッパ人の歴史を求めて」クリスチャン・ドブリ岡林祐子訳 ディプロ2003-8
http://www.diplo.jp/articles03/0308-5.html

”Vieux Papa"と呼ばれるシムノンの曽祖父Guillaume Moors(または Moers) (1823-1909)は、もと炭坑夫だった。Pedigreeで一族が会するla rue Puits-en-Sockの家で、曽祖父は薄暗い台所の奥の肘掛け椅子に座り無言でじっと動かない。大柄で、床につくほど腕が長い。
「サンドペーパーのようなざらざらした頬に子供たちはキスをする」「もと坑夫の皮膚には、石炭片を象嵌したようにぽつぽつと青い斑点が残っていた」(Pedigree, Actes Sud版 p.40)

曽祖父を初めとする肖像は→Simenon-Galerie des Portraits

Pedigreeに坑夫たちが群れとして現れるのは、メーデーとゼネストの第6章。長い横断幕には
  POUR LES TROIS-HUIT
市を取り巻く炭鉱や工場から来た労働者は、8時間労働、8時間の休息、8時間の知育と体育を求める。(*2)マムラン家のような市中の住民は、ふだん彼らの労働現場を目にする機会がない。「真っ黒で謎めいた」工場は、ただ列車の窓から一瞥するもの。
Cuir bouilli( 革を熱湯処理で固くした。防具に用いる)のヘルメットの坑夫たちが通りを険しい顔で行進するのを、人々は恐る恐るカーテンの陰から窺う。(同 p.108)

(*1)Les 32 vieux métiers liegeois
http://users.skynet.be/formatage/vieuxmetiers/
(*2)L’Histoire du 1er Mai
http://www.sap-pos.org/fr/histoire/histoire_1mai.htm



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