Wikipédiaの記事はドードー鳥dodoの語源について
(dodoの名は「怠け者」を意味し、同様に幼児語faire dodo「ねんねする」の元にもなったオランダ語dodarsあるいはdodorsから来るらしい)
連想ゲーム。
「仕事に追われる単調な毎日」ぐらいの意味か、時々お目にかかるフレーズ? Métro, boulot, dodo ?(地下鉄、仕事、ねんね)が、実は詩人Pierre Béarnの作品(*)から取られ、1968年5月、学生叛乱のスローガンの一つになったと知ったのは昨年のこと。
1902年生まれのベアルンは、機械工をしていたこともある。2004年10月27日、102歳(!)で亡くなった。
シムノンのPedigreeで、デジレ・マムランは毎朝勤務先の保険事務所まで歩いて行く。
La rue des Guilleminsの角まで来ると駅の時計が見える。9時5分前。
経営者Monnoyeur氏宅は「切石の大きくて悲しげな家」、la rue Sohetに面した事務所はそのいわば付属。9時2分前、鋲を打ったドアを押し中に入る時、そこには確かに「威厳と特別の満足」がある。デジレは「別の人間、第二のマムラン」になる。コレージュを出てすぐから勤めてきたデジレは、Monnoyeur氏よりも経験がある。
「コートと帽子を取るより先に職場の時計のねじを巻く。時計が止まっているとぞっとする。決して止まることがないよう、なすべきことをなす」
強制されたわけではない。一番に出社するのは気持ちがいいからだ。タイプライターや消しゴム、鉛筆を目にする喜び。
他の社員も出勤してくる。Monsieurで呼び合う。同期のデジレとCaresmelだけは姓で呼ぶ。
デジレは火災保険、Carsemelは生保部、それが給料の差になっている。
妻はデジレが、緑のステンドグラスの窓のそば、気持ちの良い小さな自分の片隅son petit coinを失うのがいやで火災保険部を選んだのだと責める。
帳簿は完璧、計算が誰よりも早い。その出自(「ムーズ川の向こう」の古い商店街)からすれば「インテリ」であり、身内に保険のことで相談を持ちかけられる。
「搾取」や「疎外」といった語で労働を語るなどデジレには思いもよらないだろう。規則正しさと習熟がもたらす満ちたりた気持ち、確かな自分の場があることの幸福。
家の台所に置かれた肘掛け椅子は同じような「自分の小さな片隅」である。妻の意志で始めた下宿の学生が平然と「デジレの椅子」に坐るのは、デジレにとって大きな苦痛をともなう。それは一つの喪失、敗北なのだ。
(*) 1951年の詩集 Couleurs d'usine に収録された Synthèseの最後の節だという。
Au déboulé garçon pointe ton numéro
pour gagner ainsi le salaire
d'un morne jour utilitaire
métro boulot bistro mégots dodo zéro.
http://www.lmda.net/din/tit_lmda.php?Id=4854 による。
...le nom de ? dodo ? serait originaire du néerlandais dodars ou dodoors, qui signifie ? paresseux ? et qui est également à l'origine de l'expression enfantine ? faire dodo ?.
(dodoの名は「怠け者」を意味し、同様に幼児語faire dodo「ねんねする」の元にもなったオランダ語dodarsあるいはdodorsから来るらしい)
連想ゲーム。
「仕事に追われる単調な毎日」ぐらいの意味か、時々お目にかかるフレーズ? Métro, boulot, dodo ?(地下鉄、仕事、ねんね)が、実は詩人Pierre Béarnの作品(*)から取られ、1968年5月、学生叛乱のスローガンの一つになったと知ったのは昨年のこと。
1902年生まれのベアルンは、機械工をしていたこともある。2004年10月27日、102歳(!)で亡くなった。
シムノンのPedigreeで、デジレ・マムランは毎朝勤務先の保険事務所まで歩いて行く。
La rue des Guilleminsの角まで来ると駅の時計が見える。9時5分前。
経営者Monnoyeur氏宅は「切石の大きくて悲しげな家」、la rue Sohetに面した事務所はそのいわば付属。9時2分前、鋲を打ったドアを押し中に入る時、そこには確かに「威厳と特別の満足」がある。デジレは「別の人間、第二のマムラン」になる。コレージュを出てすぐから勤めてきたデジレは、Monnoyeur氏よりも経験がある。
「コートと帽子を取るより先に職場の時計のねじを巻く。時計が止まっているとぞっとする。決して止まることがないよう、なすべきことをなす」
強制されたわけではない。一番に出社するのは気持ちがいいからだ。タイプライターや消しゴム、鉛筆を目にする喜び。
他の社員も出勤してくる。Monsieurで呼び合う。同期のデジレとCaresmelだけは姓で呼ぶ。
デジレは火災保険、Carsemelは生保部、それが給料の差になっている。
妻はデジレが、緑のステンドグラスの窓のそば、気持ちの良い小さな自分の片隅son petit coinを失うのがいやで火災保険部を選んだのだと責める。
帳簿は完璧、計算が誰よりも早い。その出自(「ムーズ川の向こう」の古い商店街)からすれば「インテリ」であり、身内に保険のことで相談を持ちかけられる。
「搾取」や「疎外」といった語で労働を語るなどデジレには思いもよらないだろう。規則正しさと習熟がもたらす満ちたりた気持ち、確かな自分の場があることの幸福。
家の台所に置かれた肘掛け椅子は同じような「自分の小さな片隅」である。妻の意志で始めた下宿の学生が平然と「デジレの椅子」に坐るのは、デジレにとって大きな苦痛をともなう。それは一つの喪失、敗北なのだ。
(*) 1951年の詩集 Couleurs d'usine に収録された Synthèseの最後の節だという。
Au déboulé garçon pointe ton numéro
pour gagner ainsi le salaire
d'un morne jour utilitaire
métro boulot bistro mégots dodo zéro.
http://www.lmda.net/din/tit_lmda.php?Id=4854 による。