Le train-train de l’histoire :( 歴史メトロは繰り返したがる―
Vous prenez la ligne à Transnonain 34, vous changez à République V et l’on vous descend à Charonne 62.
Jacques Prévert, Fatras (Gallimard,1966) p.20
1834年トランスノナンで乗車、第五共和国で乗り換え、1962年シャロンヌ駅で下ろされる)
トランスノナン街で1834年4月15日に起きた事件はドーミエの版画で知られる。
虐殺の起きた家 la maison du 12, rue Transnonainの図はここ
共和派の反乱を鎮圧に向かった軍は、家の屋根から銃撃を受ける。踏み込んだ兵士は女子供を含め住人を殺戮。http://www.voltairenet.org/article16797.html
トランスノナン街はその後他の通りと合体し現在のRue Beaubourgに。
アルジェリア戦争中の1962年2月8日、極右OASのテロに抗議し和平を求めるため共産党、統一社会党(PSU)CGTなどの組合はバスティーユ広場に結集を呼びかけた。地下鉄シャロンヌ駅近くで、デモの列を解いた一団に警官隊が突撃。逃げる人々は地下鉄入口に殺到、将棋倒しになる者、警官の暴行を受ける者、8人(9人とも)の死者を出す。
プレヴェールの詩集は66年刊。堀茂樹氏によればシャロンヌ駅の死者はすべてフランス人。この事件が大きな関心を集めたのに、その数ヶ月前、犠牲者の大半がアルジェリア系住民だった61年10月17日の虐殺は長く闇に葬られることになったという。シャロンヌにしか言及しなかった共産党の姿勢も、10月17日の忘却を生んだ理由の一つとされる。
デナンクスの『記憶のための殺人』Meurtre pour mémoireは1999年ガリマール書店の叢書La Bibliothèque Gallimard に収められた。ここで見れる裏表紙には? recommendé pour la classe de troisième ? 現代ロマン・ノワールが日本の中三程度の子たちが対象の本になるのも、この作品の政治的社会的な意味によるものか。
参考記事 サイト17 Octobre 1961 : Contre l’Oubli の Histoire et oubli http://17octobre1961.free.fr/pages/Histoire.htm
この17 Octobre 1961 : Contre l’Oubliは「アソシアシオン」(ただ定期活動は現在休止中らしい)で、カーニヴァルについて調べた時、こういう組織の存在に気がついた。
はてなダイアリーfenestraeさんの置き去りに去れた郊外・燃える郊外(中期的観察 その2) 地域の社会・文化活動の後退は「郊外」の危機がラファラン政権以来の補助削減によるアソシアシオンの「受難」と切り離せないことを教えてくれる。
今度の騒ぎでも警察の「不当な暴力」が報道されてはいる。しかし多くの犠牲者(数十から数百まで諸説あり)、露骨な報道管制・検閲、61年当時と今を安易に重ねるわけには行かない。あれは内戦に近い状況下でのできごとだった。
私にはフランスで今何が起きているかを生々しく伝えることも、鮮やかに分析することもできない。
確かに存在するのは本と画面の文字だけ。
この文も、プレヴェールを最初読んだ時にはCharonneの意味など気にしなかったはず、♪あの時 ぼーくは 若かった という私的感慨が落ちなのである。