海鳴記

歴史一般

西南戦争史料・『破竹・雷撃本営雑誌』とは (3)

2010-04-07 09:39:19 | 歴史
                    (3)
 私は、以前、この所崎氏の推論をとくに疑うこともなく読み進んでいたが、前回、『靖国神社忠魂史 西南の役』に目を通して、ちょっとおかしいことに気がついた。どうも所崎氏は、この資料を確認せず、金子氏の調査(注1)を鵜呑みにしてしまっていたようだ。
 確かに、若月誠氏は、横川、踊(おどり)(注2)方面で負傷しているのだが、それは、7月1日における戦闘によるものなのである。そして、この日の官軍戦死者記録に、第3旅団の若月氏も入っているのだ。もちろん、死亡日は9月15日になっているが。
ということは、所崎氏の8月17日あたりは、元気だったという推定はあやしいことになる。
 もっともだからといって、この『破竹・雷撃本営雑誌』が偽物だという結論には至らないし、それどころか、これは史料の真偽とは別の問題である。大体、この史料の最後のページに記されている若月氏が、9月15日に死亡した若月誠氏かどうか、あるいは生き残った別な若月氏か、皆目わからないのだから。
 とにかく、この史料を誰が入手したのか、そしてそれがどのような経路で現在の国会図書館におさまったのかという詮索はこれぐらいにしておこう。また、この史料の真偽は専門家に任せよう。私自身は、真であることを疑っていない。薩軍側に有利に書かれているわけではないし、むしろその逆である。だから、薩軍側が偽物を作ったということはありえないだろうし、いわんや官軍側が偽物を作る意味もあったとは考えられない。

 それでは、この史料を追ってみよう。大河平事件前後を中心として。何か隠された大河平事件の真相が浮かび上ってくるかもしれないのだから。

(注1)・・・金子氏は『靖国神社忠魂史』を紐解いて、若月姓を一人見出したが、負傷した場所はともかく、その期日を書きこまずに所崎氏に連絡したらしい。
(注2)・・・今回の市町村合併で、どちらも霧島市に吸収されているようだ。



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