海鳴記

歴史一般

すべては「生麦事件」から(27)

2008-05-22 20:39:03 | 歴史
 しばらくして、平木氏より返事が届いたが、謄本はどこにしまっているのかもうわからないということだった。それより、鹿児島に住んでいるのだから、何とかなるだろうといわれると、それ以上頼み込むことはできなかった。一度、市の戸籍課に出向いたとき、親族の方ならともかく、他人には無理ですね、と簡単に断られていたが、何とか別の方法を見つけるしかなかった。
 そこで、法務局の戸籍課に行き、どうにかできないか頼みこんだが、これもどうにもならなかった。ただ、学術的目的の場合は例外があるというので、店の常連の1人である鹿児島国際大学の中村明蔵(あきぞう)氏(隼人研究者)にその話をすると、一緒に市に掛け合ってくれることになった。だが、私が約束の時間を違えて、店を不在にしていたため、氏1人で市役所に出掛けていたのである。もっとも、私が一緒に行ったとしてもどうにもならなかったが、よく知られた氏でも埒が明かなかったようだ。どうも例外事項の学術目的というのは、裁判で医学的証明書か何かに必要な場合だけのようだった。
 しかし、法律の建前は建前として、何か抜け道のようなものがあるはずだと、法務局でねばると、基本的に戸籍は地方自治体の管轄だから、という言い方をした。つまり、市に顔が利く人がいればどうにかできるということらしかった。
 そう言われても、具体的に顔の利く人は思い浮かばなかったし、誰なのかもわからなかった。そこで、仕方なく知人に相談すると、かれは有力だといわれている市会議員を紹介してくれたが、ちょうど選挙前でタイミングが悪かったのか、ケンモホロロに断られてしまった・・・。

 こうしている間に、鹿児島大学の丹羽謙治氏より、奈良原雅雄の名前が載っている『官員録』の存在を教えられ、それをチェックすると、また奇妙なことがわかった。奈良原雅雄氏は、かなり低い地位でありながら、鹿児島人ではなかったのである。


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