海鳴記

歴史一般

西南戦争史料・『破竹・雷撃本営雑誌』とは (4)

2010-04-08 08:24:15 | 歴史
        (4)
 まず、この史料の表紙には、
       六月改         
    雑誌
      破竹
      雷撃本 営 印
 とあり、その下に帝室図書館が購入した大正12年2月5日の日付印が大きく押されている。
 ところで、この「破竹」、「雷撃」というのは、『西南之役異聞』でも触れたように、3月の初めに、別府晋介、辺見十郎太、淵辺高照らが兵の補充のため鹿児島に戻り、かれらが集めた補充兵とともに、その後、薩軍が熊本戦線から撤退する段階で、隊の再編成でできた薩軍部隊のことである。そして、破竹隊の隊長には、大河平事件当時の小林本営隊長だった河野主一郎、雷撃隊の隊長には、神出鬼没の勇士と謳われている辺見十郎太がなっていた。
そして、最初に記述してある「六月改」というのは、おそらく5月までの記録は一応紙数が尽きかけて、新しく別な記録帳につけようとしたのだろう。
なぜなら、この記録帳の日付の始まりは5月30日からであり、最後の日付は8月6日になっているからである。ただ実際の始まりは、日付のない、土佐における板垣の情勢などを書き込んでいる。
 しかしながら、この辺りの詳述はよそう。私は西南の役全般の話を追うつもりはないからだ。西南の役全般でこの時期に興味のある方は、鹿児島県立図書館に依頼してコピーを送ってもらうしかない。私は、あの大河平事件が起る6月15日前後から、いや、破竹隊が小林に本営を置いた、6月13日から述べることにする。この辺りからでもかなりの原文引用になりそうだからである。

 では、6月13日の記述から掲げて見る。

仝(どう=6月)十三日 曇后(のち)微雨
一、<守備不足ナル以テ>(この部分は墨消しになっている。つまり二重線で消してある)午後五時比(ごろ)我営ヲ小林町ニ転移ス 大小荷駄コレニ従フ