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九寨溝・成都の旅⑤ 「やっと来られた!九寨溝」  2011年7月14日(木) No.170

2011-07-14 13:22:25 | 中国事情
  7月6日(水)… 九寨溝行のバスの旅10時間

南昌を出発して4日目の朝8時、成都のバスターミナルから九寨溝に向けてバスは走り出した。
すぐにでも行きたかったのだが、土砂崩れでは仕方がない。2008年5月12日に起きた四川地震の被災地である汶川は成都から九寨溝への西廻りルートの途中にある。その汶川の手前で土砂崩れがあり、一週間は復旧のめどが立たないので、バスはより時間のかかる東廻りルートを使って運航している、とは2日後に帰るとき陳さんから説明があった。そういうことは早く言ってほしい。成都に戻ってからゆっくり汶川を訪れるという計画があるのだから。
 私も若いころそうだったが、自分勝手に思い込んで他者への説明不足に気づかない。それを指摘されたら、自己弁護したり、落ち込んだり…。頭の中だけで生きてきた者のすることはだいたい似たり寄ったりだ。ガイドとはいえまだ学生なんだから仕方がないか。

 バスの旅は覚悟していたより苦痛度は少なかった。長距離バスなので立ち席はない。途中2時間~3時間の間隔でトイレ休憩がある。少数民族の装飾品やビワ、スモモなど果物の出店がある休憩所もあって、少しの時間でも外に出て体を動かすようにした。もちろんトイレも必ず行った。
 私は昨年夏に中国に来て以来初めて、腰までの仕切りで区切られた一区画で、向かいのトイレにしゃがんでいる人と顔を合わせながら使うという経験をした。(これが噂に聞く丸見えトイレか~)と嬉しくはないが、興味深かった。顔が見えるというのはそんなに嫌でもなかったが、涙が出そうになったのは、前に使った人(達)の残りものが大量にあることだった。見ないようにしても臭いがサクレツしている。(中国人民は我慢しているんだ。自分だって我慢せなどーする!)とわが身への説得工作をしたが、腹の虫が収まらない。だって入口で必ず最低一元はお金を払わなければならないのだ。(金取ってんなら、トイレ掃除ぐらいせえや!)と入口で満足げにほくそ笑む爺さんを怒鳴りつけたかった。その上さらに、手を洗う水も出ない最悪のトイレもあったのだった…。
 さて、このトイレ使用や成都市内のバスに乗るときに是非とも用意しておかねばならないのが、一元紙幣だ。南昌では一元はコインがメインなので、紙幣が飛び交うことが珍しかった。ついぞ見かけたことのない新しいパリッとした一元のお札も手に入れたので記念に持って帰って来た。しばらく学生に見せびらかそうと思う。何しろ南昌の一元札ときたら、あまりにも皺くちゃで、ゴミ箱に捨てたくなるような代物ばかりなのだ。

 そうこうして、途中土砂崩れを横に見たりしながらも10時間余りのバスの旅は終り、ついに九寨溝入口にたどり着いた。
陳さんが「荷物を忘れないようにしてください。」と注意を促してくれた。(プロっぽくなってきたな~)と感心して、ペチャクチャしゃべりながら、十数分宿舎への道を歩いていると、突然陳さんが、
「あれ!僕の荷物はどこですか?」と叫んだ。
「自分で持っていないの?バスに忘れたんじゃない?」と答えると、
「でも、なぜ?!」
と言うので、思わず
「それはこっちが聞きたいよ…。」という言葉が出てきた。
混乱した陳さんは、宿舎まで我々を送り届けてからバスターミナルに戻るというので、ただ今すぐに全速力でバスのところに戻るよう指示して、岡田Tと先へ進んでいくと、地元のホテルの従業員から何回も声がかかる。
北海道の知床でお土産屋さんをしていた姉の姿が突然浮かんできた。夏休みに手伝いがてらよく行ったものだが、朝5時ごろから夜11時すぎまで店を開けて通りすがりの客に、
「今日はどこ行くの~?」
「お疲れさん。どこ行ってきたの?」
と声をかけていた。どこでも同じだなあ。

 さいわい陳さんの荷物は無事だった。夜は九寨溝入口の谷あいの観光町で全然辛くない麺を選んで食べた。美味しかった。宿舎は成都の時と同様、ユースホステルだ(米谷国際青年旅舎:4人部屋)。トイレ、シャワーはLazybones Hostelと違って共同だった。トイレもシャワー室もいくつもあるので、この方が使い易い気がした。
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