毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「貧乏話には弱い」2015年4月30日(木)No.1348

2015-04-30 11:25:43 | がんばれ貧乏人

私は小さい頃から貧乏生活にはたいへん慣れ親しんできましたので、

下のような話は無条件に心に入ります。

街の古本屋さんが大金持ちのはずはないのですから……。

しかし、かつて苦学生だった大企業の相談役さんが、

生き馬の目を抜く経済界でどんな経営相談をしてはったのかも気になるところです。

 

―――http://amijuku.com/index.php?furuhonより

古本屋のおじさんの苦学生への思いやり

ある大企業の相談役の方が、苦学生だった頃のお話しです。

その方の生年から考えたら、昭和10年代かと思われます。

難波から新世界へ向かう中間に「日本橋」という地区があります。

その一角に、当時、大阪唯一の古本屋街がずらりと建ち並んでいました。



ここに教科書専門の古本屋もあり、少年時代、お金の無いKさんは、

一部の教科書をここで調達していました。

ただ、全ての教科書を買うには、お金が大幅に不足していました。

Kさんは、今思えば、とんでもない暴挙ですが、

買えない教科書は、この店で大学ノートに書き写すという荒技を

実行することにしました。



Kさんは、やってみて実に難しい作業であることが判りました。

声に出して咎めはしなかったけど、眼鏡ごしに、

座ったままの店主が奥からジロッと睨みつけているような気がします。

少しでも早く写し終えようと焦るのですが、

何分にも教科書が何冊もあるので、手はしびれ、足が棒のようになり、

こりゃ大変なことになったと先が案じられたそうです。



到底一日では無理で、次の日も、そしてその次の日も、日参を続けました。



もし、ここで止めたら、否応なく親に負担をかけることになるので、

それは一切考えませんでした。



ところが三日目にちょっとした変化が起こりました。

三日目にKさんが、いつもの書棚の下に行くと、

ちょこんと小さな椅子が一つ置いてあるのに気が付きました。

店主の方をそっと盗み見すると、知らん顔で、そっぽを向いていました。

Kさんは、厚かましくも、ままよとその椅子に座って、ノート書きを始めました。



店主は最後まで、こちらを見ようとしませんでした。



毎日のように、多くの苦学生を見慣れたはずの店主にも、

Kさんは、一層輪をかけたひどい苦学生に見えたのでしょう。

見るに見かねて、かわいそうにと同情してくれたのかもしれません。



翌日、全部写し終えたKさんは、初めて、店主のところへ行きました。

真っ赤な顔をしながら、

「すみませんでした」とペコンと頭を下げたら、

店主も初めて声をかけてくれました。



「これからも頑張りなさいよ」

そう言って、すでに用意してあったらしい真新しい英和辞典を一冊、

Kさんの手に持たせました。



はじめは怖い顔をしていた店主。

しかし、とうとう一度もとがめることなく見逃してくれたことに、

Kさんは、子供心に深く感謝していました。

それだけでも十分なのに、その上、かねがね欲しいと思っていた

最新の英和辞典をもらって、Kさんはただただ恐縮するばかりでした。

 

店を出て、帰りながらの道で、Kさんは押さえようのない涙を流し続けたそうです。

人の心のしみじみした温かさが、心から嬉しかったのです。



あとで、人伝にKさんは聞きました。

「写している教科書を、無料で、いっそあげようと思ったのだが、

 そんな施(ほどこ)しめいたことは、

 かえって将来ある少年のプライドを傷つけるだけ。

 せめて、書き終わるまで、じっと見守るだけにしようと思った。

 全部書き終えた時は、実のところ、私の方がほっとして嬉しかったね。

 英和辞典は、努力した褒美にあげたんだから、

 受け取ってくれて、ほんとによかった」

そう聞かされ、改めてKさんはまた泣いたそうです。

 

参考本:心に残るとっておきの話(潮文社編集部編)普及版第二集より

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