毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「自分は憲法13条で生きようと思った(大江健三郎さん談)」2014年11月27日(木)No.1038

2014-11-27 17:07:20 | 文学

今週月曜日、生まれて初めて大江健三郎さんのお話を直(じか)に聞いた。

これは私としては生ボブ=ディランを見たのに匹敵する大事(おおごと)だった。

しかし、ボブ=ディランは中学生の頃から心であこがれ続けていた人だったが、

大江さんはそうでない。

岩波ブックレットの『取り返しのつかないものを取り返すために

            ――大震災と井上ひさし』

2011年刊行(大江健三郎・内橋克人・なだいなだ・小森陽一共著)

の講演記録が大江さんの文を最後まで読み通した初体験だった。

つまり、最近のことだ。

講演での大江さんの言葉は、かつて私が途中で投げ出した難解な小説とは違い、

和やかなユーモアに満ちた分かりやすいものだった。

それと前後して、中国の大学の日本語学科の「日本文学」で、大江さんの作品と再会した。

その「日本文学」の教科書(下)には、

遠藤周作、丸山健二、中上健二、深沢七郎、村上春樹、吉本ばなななどと並び、

大江健三郎さんの「人間の羊」が収録されていた。

これも、過去においてさんざん苦労して、結局、途中までしか読めなかった

「洪水はわが魂に及び」や「万延元年のフットボール」などに比べ、

ストレートに心に入ってきた。

その後は、日本に戻るたびに大江さんの本を1,2冊買って読んだ。

(大江さんの使う言葉は粘り強くて、しかも美しいな)と感じるようになった。

 

海外でしか反核スピーチをしない村上春樹氏とは違い、

大江さんは日本国内で核・原発問題に取り組む人々とともに歩み、経験を重ねている。

その一環として、11月24日「第4回・さようなら原発1000人集会」(いたみホール)での

基調講演があった。

 

 

しょっぱな、大江さんは

先ほどお話された福島から大阪に避難されている若いお母さんのお話は、

静かさと穏やかさに満ち、聞き手の皆さんもまた熱情をもって

静かに耳を傾けていらっしゃる。

このような皆さんが、これから将来を作っていく人たちだと確信します。」

と言われた。年配の方特有の嗄れ声だった。私の母もそうだった。

「こんな歳まで生きるとは想像もしていませんでした。」

と続けた。

大江さんがこの世界にいることで、

どれだけみんな歯を食いしばって頑張ることができるか分からない。

そんな存在が大江健三郎さんだ。

 

大江さんは1935年、愛媛県の山間の村に生まれ、

戦争中に軍国主義初等教育を受けた。

当時の校長は小学生に向かって、

「早く大人になって国のために尽くしなさい」

「天皇陛下の御ために死ぬのです」

「死んだら靖国神社に祀られます」

と話していた。

戦争が終わり、四国の村にもアメリカ軍がジープでやってきた。

それまで旧制中学校は松山市まで行かなければなかったが、

それは経済的に無理だった。

しかし、戦争の終わりとともに村にも新制中学校ができた!

大江健三郎さんにとって、人生で一番大きい変化は、

戦争が終わって日本国憲法ができ、その下に教育基本法ができたことだった。

大江さんは「自分はお調子者で、憲法13条で生きていくことにしました

と言う。

第13条〔個人の尊重〕・・・ 全て国民は、個人として尊重される。 

生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、

公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限の尊重を必要とする。

 

勉強が好きだった大江少年は、お母さんに大学に行きたいと話した。

お母さんは、

家にはそんな金はない。お前は森が好きなのだから村の営林署で働きなさい

と言ったが、大江少年は

「お母さんが大学を諦めろと言うのは、憲法違反なんだ」

と頑張った。お母さんもそれを聞いて驚き、

「そりゃ大変だ、死刑になるかも知れない」

と、翌日村長さんのところへ飛んで行った。

何がどうなったのか、村長さんは夜、家に封筒を持ってやって来た。

その中には大学の三年分の学費が入っていた。

・・・・・・・・。

大江健三郎さんの人生で最も大きい変化は

日本に新憲法と教育基本法ができたことだ、ということは頷ける。

その大江さんにとって、人生第二の大きい変化は、

2011年3月の福島原発事故だと言う。

概要を書きとめると次のようなことだった。

福島原発事故を忘れない。

忘れることができるようなことではない。

福島の事故を、私たちはまだ、償っていない。

 

人間社会にとって、『重要な』(インポータント)という意味よりもっと深い、

『本質的』(エッセンシャル)な意味でのモラルがないということは、

今、自分たちが生きている土地で、

これから将来の若い世代が生き延びることができないという状態だ。(註)

私たち日本国民は、福島の運命は自分たちの未来の姿だと認識していない。

今生きている場所のいくつかは、もう暮らすことができない。

それを子どもたちに渡すということは

本質的にモラルがない状態だ、ということだ。

・・・・・・・・・。

日本の国のしくみが根本的に変化したと受け止め、

日本人が、人間の新しい態度を決めたら、世界中の人々も共に行動するだろう。

これからの『新しい本質的なモラル』を決めたら…。」

 註)「本質的にモラルがないということは~生き延びることができないという状態だ。」という表現はミラン=クンデラ氏(チェコ出身作家)が述べた言葉だとことわった上で引用された。

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4 コメント

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Unknown (きんとき)
2014-11-27 21:04:15
大江さんこそ 穏やかに静かに キャンパスに油絵の具をゆっくり塗り重ねていくように 事実と体験を述べられていかれましたよね。 大勢を前にしても 一人に対してもきっと同じように胸にしみいるような話し方をされるように思いました。  教育基本法ができ 新制中学・大学に行くことが出来るようになったエピソードで「民主主義のもと 子どもの教育を受ける権利を大人が守り 励ましてくれる」・・・の言葉も印象的でした。少年時代 「子どもは早く大きくなって天皇陛下のために死ぬ」ことが人生の目標と押し付けられていたのですものね~~  そして 過去の歴史上 大きな災害や戦争など 災禍はたくさんあったけれど 汚染のため この「土地」で人間が生きていけないことはなかった。次の子供たちに「生きていけない場所」をつくらない!その決意が将来に向かっての態度なんだ という言葉も深くしみてきましたね。
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大江健三郎さん〓 ()
2014-11-28 12:26:18
一昨年の3*11郡山開成山の集会で、大江健三郎さんのコメントを聴きました♪
最初の方はマイクの調子が悪く聞き取り難かったのですが、どんな事態でも芯がしっかりとぶれない方ですね
調子が直ったマイクの前で、嫌な顔もせずにユーモアさえ交えて淡々と続けられました
信頼と尊敬に価する方で、誇らしく思います、同じ日本人であることが
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きんときさんへ (ブルーはーと)
2014-11-28 12:31:38
きんときさん、コメントありがとうございます。
家に帰ってから何日も、大江さんや福島からの避難者森松明希子さん、おしどりマコ・ケンさんたちの言葉を反芻しました。
壇上に登場した方々は、自分の経験を聴く人々とシェアし、ともに考えるために、文字通り、自分の存在をかけて一生懸命語ってくださいましたね。
そのような方々が伝える言葉の力は、すごいですね。
私たちは、直接ではないにしても、福島事故をもう一度想像し直し、とらえ返す作業を、話を聞きながら行い、そして、家に帰ってからも、継続しています。
それを今度は誰かに伝えていくのが、聴衆である私たちの仕事だなと思います。
でもねえ、直接的な経験から遠ざかれば遠ざかるほど、言葉の威力もなくなるんですよね~(涙)。
なので、こういう会にできる限り友達を誘っていきましょうね
あさっては、中山千夏さん・福島菊次郎さん・趙博さんだ~!ああ、いそがし(笑)。

返信する
空さんへ (ブルーはーと)
2014-11-28 13:00:20
空さん、コメントありがとうございます。
実は月曜日の集会でも、語り始めに客席から、
「聞こえませ~ん!」(さすが関西
と声がかかり、
「僕はいつも下ばかり見て話すものだから…」
と、涙が出るほど謙虚な御言葉でした。
私は日本人ですが、普段日本人であることで胸を張れることなど、あまり多くありません(近年ますます肩身が狭い)。しかし、空さん同様、大江さんという先輩が今の日本にいてくださることを心から誇りに思います。
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