毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

国慶節      2011年10月2日(日) No.203

2011-10-02 11:14:27 | 中国事情
 
関西で「さよなら原発1000人集会」が行われる今日10月2日は、中国では国慶節(日本風に言えば『建国記念日』)2日目。
 いつものように連日、人々は昼も夜もかんしゃく玉、花火で祝っている。夜、余りにも炸裂音が大きくて、宿舎の窓から外を見ると、向かいの宿舎でも、アメリカアイダホ出身のリャンだかレックだかが窓を開けて外を注視していた。ああ、せめて夜10時以降は喧しい音を立てないという決まりができないかなあ。
 
 昨日は朝から4年生の範さん、黄さん、楼さん、郭さんがケーキを持って一日遅れの誕生祝いに来てくれた。宿舎の建物は、国際交流與合作処オフィスのビル一階にある管理人室前を通り過ぎ、中庭に出たところにある。管理人が宿舎に行く人物をチェックしているのだが、4人のうち、範さんと黄さんは貼ってあるポスターに気を取られ、管理人のミズ劉に挨拶しなかったそうだ。
 2人は、ただちにミズ劉の炸裂する叱咤―『お前達はよその家に行って挨拶もしないのか。もう4年生だというのに、社会に出てそんな失礼な態度じゃ通用しないよ。しっかりしなさい!本当になさけない子たちだ。バーバーバー…』―のシャワーを浴びて、自分たちの無礼を恥じながらやってきた。大人の注意が若者の心にまっすぐ届く社会って健康でいいなあ。

 この4年生4人+劉思婷さん(今回彼女は故郷へ帰省)は、一年前の9月30日にもケーキを持ってきてくれた。彼女たちは、昨年私と会う前後の印象を初めて明かした。
「お会いする前、厳先生(中国人の老師)から田中先生の写真を見せられたときは、(厳しそうな先生だなあ)と思っていました。」
「電話で声を聞いたら、低い声でテキパキ言うので、とてもビクビクしました。」
なんだって~!そんなふうに思っていたなんて知らなかったわ。しかし、声の低さは認めるにしても、写真で『厳しそう』と思われる顔だなんて、意外もいいとこだ。自分では分からないが、人生に対する厳しい姿勢が自ずと表情に出ているのかも、だはは。

 学生の中でも、このメンバーは別格で、本当に気の置けない子たちだ。4人とも共産党員だが、マルクス主義者と言えるのは、黄さんぐらいなもので、後はどうしてこの人達が党員?みたいなバラバラ感がある。
だが4人とも、文化大革命については中国の歴史の中でも大失策だと認識している。他の多くの中国人もそうだろう。しかし、それを口に出す人は少数だ。宿舎の中だから彼女たちも伸び伸びしているが、授業中に同じ事は決して言えないだろう。
「文化大革命の後、中国の人々はいまだに自分の本当の考えを言えないでいます。恐怖が心に沁みついているんです。」
と、黄さんが言った。
さらに、まだまだ封建時代の遺物も社会にはびこっていること、地方の共産党役員の腐敗は、中央政府が一生懸命正そうとしても、なかなか浸透しないことを、中国の若者たちは憂う。権力を持つ馬鹿が、普通の生活者のことを何も考えずに、思いつきで勝手なことをしている、国民が自分の希望を訴えられる政府の窓口がない、国民のためのシステムはまだまだ中国では確立していない、e.t.c.…。
 言い出したら止まらないが、とにかく、自分ができることから社会を変えていこう、無理せず、逮捕されたり殺されたりしない範囲で、と約束した。
 少なくとも、今権力を握る馬鹿が去った後、次の馬鹿に自分はならない、と。

 
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