毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「私たちは無力だ、と唇を噛む学生たちに」No.2915

2019-05-02 16:01:57 | 教育

まだまだキャンパスの随所で咲き誇る芥子の花。なぜ蕾はうつむいているのでしょう。

4月、菏澤学院日本語学部に激震が走りました。

4月11日木曜日のことです。

突然、2年生と1年生は合同で一つだけあてがわれている一階の教室を明け渡し、

一両日中に、オンボロコンピューター設備の三階教室に移動するよう

命じられたのです。

入学以来、一階の教室で大満足で暮らしていた学生たちです。

私物もたくさん置いてあります。


いつも子羊のように従順な中国の学生たちが、

大学に対して行動を起こしたのを、私は中国に来てはじめて見ました

行動と言っても、理由を説明して欲しいと、

2年の学習係Aさんが12日(金)の朝から外国語学院院長室前に行き、

何時間もそこで立ち尽くして院長が出勤するのを待っていただけですけど。

英語学部と日本語学部を統括した組織で日本で言えば外国語学部。

院長は日本的に言えば学部長。

あいにく一日中他市に出張だった院長は、夕方電話をかけたAさんに

「これは先生方みんなで決めたことだ。

説明は日本語学部主任のS先生から聞きなさい。」

とだけ早口で言って、忙しそうに切ってしまいました。

そこでS先生に連絡を取ろうとしましたが、全く応答がありません。

代わりに、英語学部の老師から電話があり、

はじめは猫なで声、途中から急に威圧的な声で

「英語学部の人数が増えたから、

英語学部の並びにあるお前たちの教室を使うのが合理的なのだ。

学生は自分の都合でわがまま言うな!」

と、それこそ英語学部の都合を高圧的にまくし立てられたそうです。

取り合えず、12日(金)・13日(土)の2日間かけて、

学生たちは引っ越さざるを得ませんでした。

そのことを聞いた私は、14日(日)にS主任にメールで、

「私は教室変更について、誰からも一切説明を受けていないし、

学生たちも戸惑っている。どういうことなのか説明して欲しい」

と送ったところ、

「もう、学生に説明して、学生たちは納得してくれた。

次週から3階の教室で授業をしてくれ」と返事がありました。

そこでAさんに確認したところ、

その時点で学生たちは何の説明も受けていなかったし、

納得もしていなかったのです。

平気でウソをつくS先生は、

日本で言えばアベ首相みたいな人だと私が本格的に怒り始めていると、

午後5時前Aさんから電話で

「30分前、S先生から連絡があり、

事情を説明するから2年生全員、7時に教室に来なさい。』

と言われた」と。

日曜日の夜7時に教室に来いと、

その2時間半前に連絡をしてくるその神経がすごいです。

2年生たちは当然、

「用事があるのに」、「日曜日は個人の自由時間じゃないか」

とブツブツ言って、行きたくない子が全員でしたから、

その旨をAさんがS主任に伝えたところ、S主任は

「学生のくせに勝手なことを言うな!必ず来なさい!」

と激怒したそうな。

これが菏澤学院外国語学院のやり方であり、

山東省の多くの伝統的な教育機関のやり方です。

(だから江西省の学生たちに比べて、ここの大学の学生たちは

はじめ教師からガッツリ距離を保っているのか……)と納得しました。


その夜S先生は一応冒頭に、

学生たちに苦労をかけたことを謝ったそうです。

しかし、「事情はもう知っているだろう」と言うので、

ある女子学生が「いいえ、知らないんですけど」

と返事をすると、またまた激怒し、

「その口の聞き方は何だ。ここは家じゃない。先生にため口きくな」

と怒鳴りつけ、持っていた本を机に何度も叩き付けて威嚇しました。

その後は、学生たちは黙ってS先生の演説を聞くだけで、

S先生は言うだけ言ったら勝ち誇ったように帰って行ったそうです。


それを聞いた私は、

翌日S先生と激論を交わしましたがここでは割愛します。

私がカンカンになって怒っているので

学生の方が私に慰めのメールをくれましたよ。

  ↓    ↓    ↓

「こんばんは、私○○です。 教室移動させられる事件について、

私たちは何も力がない弱い学生だと深く感じられました。

先生の怒りもよく知っています。

しかし、私たちは温かい心を持って生きてゆかなければなりません。

先生も、私たちと一緒に楽しく頑張って過ごしましょう。」

これをくれた学生はS先生に「いいえ、知らないんですけど」

と言って、メチャクチャ怒鳴られた子です。


もうひと月近く経ち、

学生たちも私も平常心に戻って勉強を続けています。

しかし、この事件は学生たちの心に深く残ることでしょう。

最近、たまたま2年生の授業で将来の仕事か何かの話になり、

私は学生たちにこう言いました。

十年後の中国は、皆さんが作ります。

ここにいる皆さんの中には、教師になっている人もいるでしょう。

どんな教師になるか、それは皆さんが自分でよくよく考えてください。

自分がされたからと言って、

学生を怒鳴りつけ、威嚇するような教師になっては、

中国は変わりません。

中国を変える力を持っているのはあなた方です。

新しい民主的ないい国を作っていってください。」


学生たちが深く頷いたのは言うまでもありません。


中国には年中赤茶色の葉の木がたくさんあります。8年も経つと見慣れてきました。

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2 コメント

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カ~~ッ! (こきおばさん)
2019-05-03 07:17:52
読んでいて私も思わずカ~~ッと頭に血が上りました!

この事が反面教師になり、きっとこの理不尽な教師より寛大な人に育ってくれることと思います。
返信する
理不尽な教師だらけ (ブルーはーと)
2019-05-03 13:17:15
こきおばさん様
 S先生と私が激論した際、私が
「菏澤学院は前近代的で王朝時代の制度そのままだ。学生はただ命令に従う奴隷なのか!学費も英語学部の学生と同じだけ払っている学生の権利はどうなっているんだ。教室移動を決める前に、まずその教室を専ら使用している学生に丁寧に説明して納得してもらうべきじゃないか。手続きが非民主的で、学生も私も学院を信頼できない。S先生は日本語学部の学生たちのために少しは頑張ったのか?」
と糾すとS先生は、
「一人の力ではどうしようもできない。これは文化の違いだ。日本と中国は違うんだ。」と。私が
「習近平主席は、『中国は経済的に豊かになった。これからは文化を豊かにしよう』と言ったではないか。誰がそれをするんだ?また国家任せか?人民一人ひとりが文化を作らないで、誰が作るんだ?」
と追求し、
「第一、私がこの大学に来て以来、2回も研究室が引っ越したが、日本語学部はその度に、長年使われていない倉庫のようなところばかりあてがわれた。二回とも私は、汚物まみれの部屋を学生にも手伝ってもらいながら、L先生と二人で清潔に整えてきたんだ。あなたはその時、サッサと家に帰って一切掃除をしなかったじゃないか。私はわざわざ外国から倉庫の掃除に来ているのか!!これも中国の文化か!!」
と、とどめを刺し、S先生は引き下がらざるを得ませんでした。
しかし、私の怒りはまだまだくすぶっています。
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