毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「中国人留学生の見たヒロシマ」No.1726

2016-08-01 15:38:00 | 人間

 

東京の大学院に留学中の施芳芳さんも、今回広島で再会した一人です。

江西財経大学日本語学科でクラスメートであり、ルームメイトでもあった周文毓さんが

北京から広大に夏季研修で来るというので、

施さんはアルバイトして貯めたお金で東京から夜行バスに乗り、

広島にやってきました。

肝心の周文毓さんは広大の研修スケジュールが突然変更されて、

30日は一緒に平和公園見学ができなくなってしまいましたが、

施芳芳さんと、彼女の現在のルームメイト韓さん、

南昌でお近づきになり、今回メル友の周さんに会いに駆けつけてくださった豊田先生、

そして私の4人はボランティアガイドさんの案内で

9時から12時過ぎまでカンカン照りの太陽の下、

公園内の碑巡りをしました。

ごみ一つない公園は木々が大きく育ち、落ち着いた美しい公園になっていました。

施芳芳さんは歩きながら、

「広島は原爆による破壊から完全に復興して平和になったんですね。」

とつぶやきました。

しかし、その後資料館を見学してその感想は変わらざるを得なかったようです。

 今日、メールで感想を送ってくれました。

―――――――――

放射能の怖さを十分に感じました。本当に恐ろしいです。

被爆した広島市民たちの痛みを痛感しました。

先日先生の前で

「今の広島は完全に平和に戻りましたね」

という話をしてしまいました。

平和公園と資料館を拝見した後、自分の甘さが分かりました。

時間の流れとともに、街は普通の生活に戻ることができますけれども、

被爆以前の状態は永遠に戻れないです。

傷は広島市民の心にずっと残っています。

私たち経験しなかった者には理解できると言っても理解できません。

ただただ出来る限り彼らの不幸を覚えていることしかできません。

たとえ直接被爆した人は全部亡くなられても、私たちが代わりに銘記します。

そして、些細な力だけど、応援していきます。

―――――――――

 広島の友人(現在62歳)が言う
 
「私が9歳の時、資料館の中は焦げ臭かった。展示物が発する臭いだった。
 
私は一週間夢でうなされた。」
 
といった生々しい雰囲気は現在ずいぶん消えており、
 
さらに今回は工事中で館の半分しか公開されていませんでした。
 
それでも、施芳芳さんが

戦争で日本に侵略され、酷い目に遭った国出身の若者であるにもかかわらず、

他人事でなく、親身になって考えてくれる気持ちが嬉しかったです。

以前マレーシアから関西に来た留学生が、

「広島に原爆が落とされてマレーシア人はみんな喜びました。

今も同じ気持ちです。

日本の侵略をこれでようやくやめさせることができたのですから。」

と言っていましたが(アメリカ国内でも50%以上が今もその考えだそうです)、

実際に広島に来て公園や資料館を見学すれば、

また違う感情が芽生えるのかも知れません。

今回、世界中から人々が広島を訪れているのも20年前私が行ったときと比べて

ずいぶん変わったことの一つでした。

 

 《ふろく》

下は施芳芳さん、周文毓さんにも送ったサイトです。

資料館でも放射能の人体に与える影響として染色体異常の動画を流していて、

広島・長崎の原爆投下と福島原発事故が一直線に繋がっていることを示しています。

「東海村JCO臨界事故 ゾッとする放射能被爆の裏事情!」

https://www.youtube.com/watch?v=VcqIaeaaiDM

 広島原爆の惨状・酷さがわかる画像がガチで怖い~戦争ほどバカらしいものがないとわかる画像~ 

https://www.youtube.com/watch?v=ciQajYEj8Q0

 3 カラー広島原爆投下後の現地民

https://youtu.be/WneR86x0oQc


 

 

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「復興の地ヒロシマにポケモ... | トップ | 「心が折れる」No.1727 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
子曰 ()
2016-08-03 13:01:50
学而時習之 有朋自遠方来 不亦楽乎
返信する
周さん (ブルーはーと)
2016-08-04 14:54:12
どうしてヒヨコは怒っているんですか??
返信する

コメントを投稿

人間」カテゴリの最新記事