帰国翌日の15日(日)、「帰国者の友」メンバー5人と一緒に李達夫さん・素媛さんご夫妻のお宅にお見舞いに行ってきた。
帰国者2世の青木さん(帰国10年)、2世の夫と結婚し20年日本で暮らしている玲奈さん、当初からパワー全開で退院まで大黒柱となってふん張ってくれた文子さん、いつもみんなの都合を調整してスケジュールを決めてくれている智里さん、そして今も、李さんのお家に何回も足を運んでくれている西田さんと私というメンバーだ。
昨年8月に「帰国者の友」の皆がワイワイ手作り料理のパーティーで盛り上がっていた時、北京の李達夫さんから国際電話があった。
「中国貴州の娘が急死し、その葬式からの帰りに北京で妻の素媛が大怪我してしまいました。今、北京の病院に入院中です。早く日本に帰りたい。助けて欲しい。」
との言葉に、頭の中が真っ白になったあの日から5ヶ月以上が過ぎた。
「帰国者の友」にとって、これは困難との正面戦、何が何でも負けられない戦いだった。そう言いつつ私は中国へ。残ったメンバーはそれぞれの力を繋いでつないで、神戸港に帰ってきた李さん・素媛さんご夫婦の出迎え、大阪の富永病院への搬送、入院、見舞い、等々をやり抜き、とうとう11月に素媛さんは退院できたのだった。
今の日本はごく身近のどこにでも高齢化社会の現実があり、「帰国者の友」メンバーの何人もが、自分の身内の介護をしながら、その間隙を縫って病院に行ってくれたり、役所やNPO団体との交渉・連絡などしたり…。どうしても動けなくなると、また次の人が隙間を縫って動いてくれた。青息吐息、でも力は行動としてパスされていった。実際に足繁く病院に行けなくても、裏方で動いてくれた何人もの人がいた。まさに見事な連携プレーだったと思う。
東淀川区淡路の李さん・素媛さんご夫婦の住む市営住宅に向かいながら、そんなことを過去形で思えるのが嬉しかった。
市営住宅は、とても狭かった。実は私は訪問する前(ご夫婦二人だけなんだから、2DKでもまあそこそこいけるのでは)と思っていた。しかし、実際お宅にお邪魔すると、6人も入ったら本当にお邪魔っぽかった。6畳とは到底思えない狭さの部屋に介護用ベッドと大型テレビ、ソファーがおいてあった。それでもう、一杯だ。
隣の部屋は見なかったが、同様の広さだという。昔タイプの団地サイズなのだろう。帰国者が中国で暮らしていた家はおそらくもっともっと広かったはずだ(中国の家の広さは平均100㎡程だと学生の誰かが教えてくれた)。車椅子で移動するときにこんなに狭かったら不便だろうな、と感じた。
それでも李達夫さんは、私たちに対して
「素媛は、事故後今が一番いい状態です。私は十分満足です。日本に帰ってきてから今まで、『帰国者の友』の皆さんには言葉で言えないほどの恩を受けました。中国では本当に大切なことは言葉で言わず(言えないので)、ただ一生心の中でこの思いを持ち続けます。」
と目に涙を浮かべて感謝してくださった。「困ったときはお互い様」と言いながら、精一杯無理をしてくれた仲間に、私も感謝すると同時に、こんな仲間を心底誇りに思った。だって、みんな本当に普通のおばちゃん(おねえさん)達で、プロフェッショナルでも何でもないのだ。しかし、今回見せたお助けパワーは、かなりのものだったと私は自分が何にもしていないのに、自慢したいのだ。
そうそう、この1月28日(土)は、李さん・素媛さんも参加して久しぶりに淀川区十三『ロマネハウス』で
「帰国者の友~とにかく良かった・これからもここで友達になろう~」パーティーをします。
このブログを読んでいるアナタも遊びに来てね~。午前10:30頃から午後2時頃まで。途中参加もO.K.です。(よし、行こっかな!)と思ったその気持ちを大切に!食べ物・飲み物は持ち寄りです。初対面大歓迎!
詳しくはメールで。 bluehearts_10_11@mail.goo.ne.jp
帰国者2世の青木さん(帰国10年)、2世の夫と結婚し20年日本で暮らしている玲奈さん、当初からパワー全開で退院まで大黒柱となってふん張ってくれた文子さん、いつもみんなの都合を調整してスケジュールを決めてくれている智里さん、そして今も、李さんのお家に何回も足を運んでくれている西田さんと私というメンバーだ。
昨年8月に「帰国者の友」の皆がワイワイ手作り料理のパーティーで盛り上がっていた時、北京の李達夫さんから国際電話があった。
「中国貴州の娘が急死し、その葬式からの帰りに北京で妻の素媛が大怪我してしまいました。今、北京の病院に入院中です。早く日本に帰りたい。助けて欲しい。」
との言葉に、頭の中が真っ白になったあの日から5ヶ月以上が過ぎた。
「帰国者の友」にとって、これは困難との正面戦、何が何でも負けられない戦いだった。そう言いつつ私は中国へ。残ったメンバーはそれぞれの力を繋いでつないで、神戸港に帰ってきた李さん・素媛さんご夫婦の出迎え、大阪の富永病院への搬送、入院、見舞い、等々をやり抜き、とうとう11月に素媛さんは退院できたのだった。
今の日本はごく身近のどこにでも高齢化社会の現実があり、「帰国者の友」メンバーの何人もが、自分の身内の介護をしながら、その間隙を縫って病院に行ってくれたり、役所やNPO団体との交渉・連絡などしたり…。どうしても動けなくなると、また次の人が隙間を縫って動いてくれた。青息吐息、でも力は行動としてパスされていった。実際に足繁く病院に行けなくても、裏方で動いてくれた何人もの人がいた。まさに見事な連携プレーだったと思う。
東淀川区淡路の李さん・素媛さんご夫婦の住む市営住宅に向かいながら、そんなことを過去形で思えるのが嬉しかった。
市営住宅は、とても狭かった。実は私は訪問する前(ご夫婦二人だけなんだから、2DKでもまあそこそこいけるのでは)と思っていた。しかし、実際お宅にお邪魔すると、6人も入ったら本当にお邪魔っぽかった。6畳とは到底思えない狭さの部屋に介護用ベッドと大型テレビ、ソファーがおいてあった。それでもう、一杯だ。
隣の部屋は見なかったが、同様の広さだという。昔タイプの団地サイズなのだろう。帰国者が中国で暮らしていた家はおそらくもっともっと広かったはずだ(中国の家の広さは平均100㎡程だと学生の誰かが教えてくれた)。車椅子で移動するときにこんなに狭かったら不便だろうな、と感じた。
それでも李達夫さんは、私たちに対して
「素媛は、事故後今が一番いい状態です。私は十分満足です。日本に帰ってきてから今まで、『帰国者の友』の皆さんには言葉で言えないほどの恩を受けました。中国では本当に大切なことは言葉で言わず(言えないので)、ただ一生心の中でこの思いを持ち続けます。」
と目に涙を浮かべて感謝してくださった。「困ったときはお互い様」と言いながら、精一杯無理をしてくれた仲間に、私も感謝すると同時に、こんな仲間を心底誇りに思った。だって、みんな本当に普通のおばちゃん(おねえさん)達で、プロフェッショナルでも何でもないのだ。しかし、今回見せたお助けパワーは、かなりのものだったと私は自分が何にもしていないのに、自慢したいのだ。
そうそう、この1月28日(土)は、李さん・素媛さんも参加して久しぶりに淀川区十三『ロマネハウス』で
「帰国者の友~とにかく良かった・これからもここで友達になろう~」パーティーをします。
このブログを読んでいるアナタも遊びに来てね~。午前10:30頃から午後2時頃まで。途中参加もO.K.です。(よし、行こっかな!)と思ったその気持ちを大切に!食べ物・飲み物は持ち寄りです。初対面大歓迎!
詳しくはメールで。 bluehearts_10_11@mail.goo.ne.jp
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