2月7日、もう3週間も前の落語独演会ですが、とても心に残っています。
桂春蝶は三代目なのだそうです。私は決して落語が嫌いではありませんが、
知識が乏しく、自分で出かけたのは天満天神繁盛亭ぐらいなものです。
桂春蝶も全然知りませんでしたが、
友人の享子さんがなんとS席(¥4850!)チケットをプレゼントしてくれたことで、
落語に詳しいフミちゃんとイソイソと出かけたのでした。
3代目春蝶さんは芸能生活20周年の節目に、
大阪フェスティバル・ホールの2700席を埋め尽くすことを決意し、
準備を重ねてこの日に臨んだのだそうです。
口上には先輩の立川談春、桂ざこばが登場し、
その時点で私は(うへっ、ざこばかあ~)とゲッソリしたのですが、
二人は挨拶だけで、4つの出し物は全部、春蝶が演じました(ああ、よかった)。
「芝浜」は稼がずに飲んでばかりのダメ亭主と、
しっかり者の女房の人情話で有名ですね。
「芝浜」も然ることながら、今回、私の心に深く残ったのはもう一つの創作落語、
「約束の海~エルトゥールル号物語」です。
この落語は125年前の1890年、串本沖で座礁したオスマントルコの軍艦
「エルトゥールル号」の救助にまつわる話が前半、
後半は、1985年イラン・イラク戦争時、
テヘランの空港で途方に暮れ、立ち往生していた在イラン邦人215人を、
トルコ政府が「エルトウールル号のときにお世話になったから」 と
トルコ航空の飛行機で優先的に全員救出し、在イランのトルコ人500人は、
陸路歩いてトルコ国境をめざしたという事実に基づく話でした。
この2つの話は、歴史上の事実です。
私が感動したのは、一つは史実として胸を打つものであることと、
もう一つは、桂春蝶さんという40歳の日本人落語家が、
(落語家として自分が伝えたいことはこれだ!)と確信して、
この歴史のエピソードをもとに落語を作ったことです。
2月1日にはISによる後藤健二さん殺害があったばかりです。
「そんなニュースのすぐ後にこの演目をするのも、運命だと思います」
と、春蝶さんは始めに述べて、話をスタートさせました。
前半の話の中には、串本の灯台守の家族が登場します。
エルトゥールル号からの生還者が這う這うの体で灯台に辿り着き、
まだ多くの乗組員が海に投げ出されている、どうか助けて欲しいと訴えます。
幼い子どもがいる父は、荒れた海に救助に向かう決意をします。
祖父は必死でそれを止めます。
「お前、自分の子どもがいるのに今、この海に出ていくことは、死にに行くのと同じだ。
そういうのを蛮勇というんだ。この子が大切だと思うなら行かないでくれ!」
しかし、父はこういうふうに言って出ていきます。
「祖父ちゃん、すまない。
だけど、ここで助けを求めている人をみすみす見殺しにしたら、
俺はこれから人間として生きていけない気がするんだ。
祖父ちゃん、子どもを頼むよ!」
荒海に小舟を出していった父は帰らぬ人になりました。
しかし、そのおかげで69名の船員の命が助かったのでした。
この灯台守家族の話は創作でしょう。
でも、2月7日のその独演会で、
私は後藤健二さんとダブってしかたがありませんでした。
(人間として生きるとは、こういうことか。
勇気を出すとは、こういうことか。
他人のために自分を犠牲にする勇気があるだろうか、自己中な自分に)。
そんなことが頭をグルグル巡りました。
三代目桂春蝶さんが、人情話の語り手としてこれからどんなに大きくなるか、
楽しみになりました。
全ての演目を演じ切ったとき、春蝶さんは大泣きしました。
↓ ↓ ↓
〈付録〉
↓ 串本町樫野にあるトルコ軍艦遭難慰霊碑
(写真は「『ほっと!和歌山県』~和歌山県広報リレーブログ」より)
これこそが、本来の友好であって、自分が汗しない税金を考えなくばらまくことではないと思われます(^_^)v
最近「ひとのためにどこまでできるか」と考えます。
後藤健二さんのことを『蛮勇だ』と切って捨てたとき、その人の生き方はとても利己的なものに制限されてしまいます。
「他人様のことより自分と家族のことだけを考えろ」「自分の足元もろくに固まっていないのに、他人の世話をするのはおこがましいんだよ」…。これは我が母が、よく私に言っていた言葉です。
否、とそのたびに私と母は言い合いになりました。「見過ごせないこともあるよ。人間として」
平行線を辿るその会話。でも、母も他人に何も手助けしない人ではなかった。進んでではないにしても、そういう状況になったときは、精一杯の力を出していました。
人間って、そういうものなんだ(思わずそうしてしまうものなんだな)と思います。
だから、3・11以降『人間存在の根源的な無責任さ』(人間は誰かを救うことなどできないという事実)を生き残った自分に見て、絶望的な喪失感に見舞われたのではないかと思います。
中国で私が東北の津波と、福島原発の爆発の映像を見た時に、身体に受けたショックもそれだったのではないかと。(自分にできることはない)と知ることは、人として生きていく値打ちがない、と言われたも同然です。
福島の方々の喪失感とはまた、違うかも知れませんが、日本の人たちが、3・11で、一度は(自分とはどんな存在なのか)に向き合わざるを得なかったはずです。
それでも、健二さんは行動しました。
辺見庸さんが『瓦礫の中から言葉を』の中で、次のような言葉を記しています。
『人とは、それぞれが例外的存在である。人とは、つまり、例外のことである。」
この言葉を忘れないようにしようと思っています。
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