毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「福島から避難している中学一年生のスピーチを聞く」 2014年3月11日(火)No.867

2014-03-11 08:21:54 | 原発事故

「今はあの時より怖いです。 

全部なかったことになってしまった、この現実が怖いです。」

 


震災の時、私は小学4年生でした。毎週100キロ離れた ピアノ教室まで習いに行き、帰りにイオンモールでゲームをするのが楽しみでした。 

父、母、兄がいて、それなりの楽しい生活が3年前の震災で終わってしまいました。 

今、私は母と兄3人で、国が認めない放射能汚染から逃れて北九州にいます。 

福島からの避難を許してもらえなかったので、母は父と離婚同様です。この3年間私は父と話をしてません。 

今でも震災が夢のようです。土壌汚染は確かにあるのに、みんな福島で暮らしています。 

私たちもお金がなくなったら、どんなに土壌汚染や、焼却での大気汚染があっても福島に戻る時がきます。 

戸籍上、母子家庭ではないので、公営住宅に入ることもできません。 

あんなに大変な爆発があったのに、みんな忘れて原発を動かそうとか、放射性物質を燃やしたり埋めたりしています。 

また、私たちは震災を経験し、福島原発の当時の所長が死んだことをニュースで見て知っているのに 反省もせず、生活そのものを見直すこともなく、 

原発でなければいいだろうと、太陽光や風車などの代替エネルギーを求めています。 

あの爆発で、人が住んでいる場所でのエネルギー産業はマズイということが 大人はわからないのでしょうか? 

日本には、54基の原発、爆発事故によって今は、1700基以上ある 全ての焼却炉、バイオマス発電、製紙工場、セメント工場から 放射性物質を含んだPMが日本から出ています。 

あの時の爆発で目の覚めなかった人がたくさんいてビックリしてます。 

私たちの未来を救ってくれるのは、大人だと思ってましたが、無理かもしれません。 

今でもたまに思い出します。 

2回目の爆発のあと、母とさいたまへ避難しました。母は「日本はチェルノブイリになったかもしれない」 

「もう帰って来れないかもしれない」と言っているのを聞いて、私は怖くなりました。 

「全部、全部、夢ならいいのに」と言いながら車に乗って避難しました。 

今はあの時より怖いです。 

全部なかったことになってしまった、この現実が怖いです。

 

 

さよなら原発3・9北九州集会での福島からの避難者中学生のスピーチ

2014-03-10 | ニュース

 動画はこちら⇒  http://bit.ly/1hZ9qo4 

動画は8:50辺りから紹介、スピーチ

―――ブログ「風の谷」  再エネは原発体制を補完する新利権構造 さんのブログより―――

http://blog.goo.ne.jp/flyhigh_2012/e/a5e70912d64da23c690e59bf3fe6b381

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