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「『科学的考察』がナンボのもんじゃ」2015年4月14日(火)No.1135

2015-04-14 22:24:55 | 原発事故

【高浜原発仮処分】再稼働阻む「司法の暴走」専門家批判 

「人格権」盾に科学的考察せず 

と、今日の産経新聞の見出しに書いてある。

 

この見出しを読んだだけで気持ちが悪くなる。

まず一つ目、

「専門家が言っている」と一専門家の責任にすり替えて、

実は自分が主張するこの責任逃れのセコイ語り口。

 

次、メインにイラッとするのが、

『科学的考察』をすれば高浜原発は再稼働しても全く安全であるという

バラ色の科学万能主義。

これはあの日に破たんしたのではなかったか。

2011年3月11日以前、

「原子力発電所は専門の科学技術の粋を結集したものであり、

絶対に事故はあり得ない。」

と何百回聞いたことか。

原発反対派を「感情的で非科学的でどうしようもない人々」

と鼻先で笑っていた科学者たちがたくさんいた。

 

4年前の事故があったとき、一つ覚えの「想定外」しか言えなかったのが

それら「世界一優れた」科学の専門家たちだった。

そして、あれから4年経っても、まだどうやって事故の収束をしていいのか、

科学の粋を集めた東電は途方に暮れているのが客観的事実なのだ。

福島第一原発原子炉格納容器内のロボットは走行不能、回収不能だ。

やることなすこと不能だらけの状態じゃないか。

 

原発事故の危険性が万が一にもあれば

差し止めが認められるのは当然だ

という福井地裁の樋口英明裁判長の判断は、

経済活動より人間の命が大切だ」という、

50年前の日本人なら90%が頷いたろう「人格権」を根拠にしている。

今でも、学校では

「いのち一番、にこにこ二番、三番何でもさっさとやろう」

と先生たちは教えているはずだ。

社会に出たとたんに真逆では、

子どもたちはこの社会をどう捉えたらいいのか困るだろう。

今から教科書検定の道徳には、

「おかねの価値に比べれば人の命などゴミみたいなものだ」

と政府の意向を十分に汲んできちんと書くべきだ。

 

きっとまだまだ生きられるはずの若者たちにアドバイスしたい。

命より金儲けが大切だと信じる人々が多数を占める国に

しがみついている必要はない。

世界は広い。

好きなところに行って暮らしたらいいんだよ。

大切な一個しかない自分の命を持って。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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そうだ!そうだ! ()
2015-04-15 18:38:01
科学が万能のように考えるのは、ズバリ!人間の思い上がりじゃないでしょうか?
返信する
科学者も二種類いる (ブルーはーと)
2015-04-16 12:21:23
空さん、
日本て、余りにも愚かで悲しい国ですね。
反原発を長年主張されていた物理学者で、核化学専門の理学博士(東京大学)だった高木仁三郎さんは、生前、推進派の科学者から謂れなき侮蔑と無視に晒されていたということです。
2005年/12/25の小出裕章さんと大橋弘忠(東大)などの公開討論会の様子を見ても(YOU TUBE)、推進派は科学のヴェールに包んで技術信奉・安全神話を振りまいています。
小出さんの批判を鼻先でせせら笑う態度こそ、まさに「人間の思い上がり」ですね。
2011年3月11日から4年経った今もなお、再稼働の安全性を吹聴している科学者は万死に値すると私は思います。
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