毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「シアトルの友人が来た」2015年5月22日(金)No.1366

2015-05-22 21:31:59 | 日記

昨日、今日と、

シアトルのチエコさんが娘Maddieとそのボーイフレンドを連れて大阪にやって来ました。

私が彼女の家にお世話になってカレッジに通ったのが、

2002年(あのWTCに飛行機が突っ込んだ9・11の翌年)から2003年のこと。

40代末期のおばちゃん留学でした。

一生に一回ぐらいしてみたかった留学ができ、私は楽しくて楽しくてたまりませんでした。

その後、シアトルも、英語も、ほぼ関係ない生活が続いていましたが、

こうして再会すると、当時のあれこれの出来事、

パイク・プレイス・マーケットや、フリーモントなどの場所も、

はっきり浮かんできます。

確かにシアトルの一年間は私の人生で最も楽しかった時の一つです。

当時中学生だったMaddieも、はや美しい女性に成長し、

IT関係で働くバリバリのキャリア女性になっていました。

小柄な体で一家を背負って立っていたチエコさんは、

今でも口はばっちり元気でしたが、年には勝てないもので、

庭の草むしりを立て続けにしたことでぎっくり腰になり、

何かにつけて「イテテ」とか言っていました。

ソファーのない我が部屋では大変だったろうと思います。

 

晩御飯はその3人と阪急園田駅近くの茶房「どるめん」で、娘夫婦、孫、元夫なども交え、

タイカリーやチキンカリー、チヂミ、焼きうどんといったバラバラのメニューに

ウィスキーグラスの赤ワイン、ビールと、全くカッコ付けない食事会と相成りました。

「どるめん」の御夫婦は古い友人です。

チエコさんは、大学時代、京都の古下宿で青春のビンボーをともに味わった同志です。

ずっと会ってはいなくても、30年、40年の時をともに生きてきた友人たちとのひと時は、

何を言っても言わなくても、気心が通じるふるさとのような感じです。

 

昨日印象に残った一言は、

「どるめん」のキョンジャさんが、Maddieに

「お父さんはアメリカ人、お母さんは日本人で、あなたは自分は何人だと思う?」

と聞いたとき、

「日本人、アメリカ人、どちらも私です。」

とMaddieが答えたことです。

その前日、中国帰国者2世の青木さんの話を聞いたばかりですが、

多くの帰国者2世も「どちらも私の国です」と言います。

やはりMaddieもそうなんだ、と納得しました。

 

Maddieのお父さんは、シアトルの家の地下室で留守番をしながら、

今日もブラジリアン・ミュージックの制作に勤しんでいることでしょう。

(チエコさんの評価は、「あのstupid music」というものです(^_^;))。

 

 

 

 

 

 

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