毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「みるく世がやゆら」2015年6月13日(土)No.1381

2015-06-13 21:38:39 | 反戦平和

与勝高校3年 知念捷さんが6月23日沖縄全戦没者追悼式で自作の詩を読む。

『みるく世がやゆら』という詩を。

琉球語のこの言葉、日本語の意味が書かれていない。

どんな意味かは想像するしかない。

 琉球新報は6月13日の第一面トップにこの詩を掲載した。

 本土の全国紙は、せめて、6月23日当日には

日本政府によって強いられてきた沖縄の歴史と現実に切り込む記事を

第一面に載せて欲しい。

琉球新報社会面には入院中の山城博治さんが島袋文子さんに当てた手紙が

早朝からの座り込みが続くキャンプシュワブゲート前テントで読まれ、

「特段の副作用もなく予定通り療養生活を送っている」との言葉に

拍手が沸き起こったことも載っていた。

毎日、毎日引き抜かれ、また座り込みにもどる人たちは、

ヒロジさんが健康になって帰ってくるのをどれほど待っていることか。

今日も宿に戻ったお客の若い女性が、

「機動隊と海保に二重にやられてあざができちゃった」

と二の腕を見せてくれた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『みるく世(ゆ)がやゆら』  知念 捷

みるく世がやゆら

平和を願った 古の琉球人が詠んだ琉歌が わたしへ訴える

「戦世(いくさゆ)や済(し)まち みるく世(ゆ)ややがて 

嘆(なじ)くなよ臣下(しんか) 命(ぬち)ど宝(たから)」

70年前のあの日と同じように

今年もまたせみの鳴き声が梅雨の終わりを告げる

70年目の慰霊の日

大地の恵みを受け 大きく育ったクワディーサーの木々の間を

夏至南風(かーちーべー)の 湿った潮風が吹き抜ける

せみの声は微かに 風の中へと消えて行く

クワディーサーの木々に触れ せみの声に耳を澄ます

「今は平和でしょうか」と 私は風に問う

 

花を愛し 踊りを愛し 私を孫のように愛してくれた 祖父の姉

戦後70年 再婚をせず戦争未亡人として生き抜いた祖父の姉

九十歳を超え 彼女の体は折れ曲がり ベッドへと横臥する

1945年 沖縄戦 彼女は愛する夫を失った

一人 妻と乳飲み子を残し 22歳の若い死

南部の戦跡へと 礎へと

夫の足跡を 夫のぬくもりを 求め探し回った

彼女のもとには 戦死を報せる紙一枚

亀甲墓に納められた骨壺には 彼女が拾った小さな石

 

戦後70年を前にして 彼女は認知症を患った

愛する夫のことを 若い夫婦の幸せを奪った あの戦争を

すべての記憶が 漆黒の闇へと消えゆくのを前にして 彼女は歌う

愛する夫と戦争の記憶を呼び止めるかのように

あなたが笑ってお戻りになられることをお待ちしていますと

軍人節の歌に込め 何十回 何百回と

しだいに途切れ途切れになる 彼女の歌声

無慈悲にも自然の摂理は 彼女の記憶を風の中へと消していく

70年の時を経て 彼女の哀しみが 刻まれた頬を涙がつたう

蒼天に飛び立つ鳩を 平和の象徴と言うのなら

彼女が戦争の惨めさと戦争の風化の現状を 私へ物語る

 

みるく世がやゆら

彼女の夫の名が 二十四万もの犠牲者の名が

刻まれた礎に 私は問う

みるく世がやゆら

頭上を飛び交う戦闘機 クワディーサーの葉のたゆたい

六月二十三日の世界に 私は問う

みるく世がやゆら

戦争の恐ろしさを知らぬ私に 私は問う

気が重い 一層 戦争のことは風に流してしまいたい

しかし忘れてはならぬ 彼女の記憶を 戦争の惨めさを

伝えねばならぬ 彼女の哀しさを 平和の尊さを

 

みるく世がやゆら

せみよ 大きく鳴け 思うがままに

クワディーサーよ 大きく育て 燦々と注ぐ光を浴びて

古のあの琉歌(うた)よ 時を超え今 世界中を駆け巡れ

今が平和で これからも平和であり続けるために

みるく世がやゆら

潮風に吹かれ 私は彼女の記憶を心に留める

みるく世の素晴らしさを 未来へと繋ぐ

 

 

 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「グナアの呑気な生活」2015... | トップ | 「辺野古は学校だ」2015年6月... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
『みるく世(ゆ)がやゆら』  (mr.black)
2015-06-14 20:45:52
なんという歌でしょうか。どうしたら力になれるか分からないけれど心から共感を覚えます。
先週、中国・南京市の侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館を訪れました。平日にもかかわらず大勢の中国人家族や子供たちが訪れて来ていました。日本の陸海軍が虐げた中国人が30万人だったかどうかは、ある意味大きな意味を持たず、無差別に大勢の人の命をあやめた事実に対して日本人として中国の人々にまず心からの謝罪をすべきと私は確信しています。その謝罪を受け止めてもらったその上で初めて沖縄や日本本土での米軍の無差別爆撃に、そして広島や長崎の原爆投下に対して、また満州からシベリヤへ大勢の日本人を連行して強制労働を強いた旧ソ連の蛮行に対してその過ちを強く問うことが出来るのではないでしょうか。そんなふうに考えています。
「愛国者」たちの奇妙な言動 (ブルーは―と)
2015-06-19 00:09:00
mr.blackさん
日本を潔くて素晴らしい国だと主張する自称「愛国者」たちほど日本の品格を貶めている人たちもいませんね。
韓国併合は韓国のためになったと言い張り、中国侵略を「進出」と言ったり、残虐な行いはしていないと主張したりして歴史を修正することを、世界の人々は(そんなことを言って恥ずかしくないのか)と思っていますし、好戦的な今の政権に対しては非常に警戒心を持っていると報道されています。

そうした「愛国者」たちが何と辺野古に来て、基地建設反対闘争に敵対しています。基地建設に反対する人たちが
「この土地は米軍に進んで提供したことは一度もない。沖縄の人々を収容所に入れているすきにどんどん土地を強制収容し基地建設を進めてきた。本土の戦後の繁栄も、平和と民主主義も沖縄を犠牲にして実現したものだ」と主張することに対して、まともに返事ができませんでした。歴史をきちんと学んでいないくせに、いや、学んでいないからこそ平気で「この土地は誰のものだ?」などという何が言いたいのか分からない頓珍漢な投げかけをするのです。
言い換え、言い逃れ、虚言ばかりの日本政府に追随する「愛国者」には、沖縄の歴史をも書き換え、塗り替え、全く違うものにすることなど何とも思わないことでしょう。日本の品格が劣化したと私が思う所以です。
しかし、本土からここ辺野古に来ている若者たちは正義とは何かをしっかりと掴んでいます。ここ辺野古に居ると、沖縄に学ぶことで私たちは未来を掴むことができると思えてくるのです。

コメントを投稿

反戦平和」カテゴリの最新記事