matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

仙台、夏の終わりにその1-青葉城址

2018-09-12 11:12:01 | 日本100名城




 仙台

 8月末、仙台を訪ねました。

新幹線で昼過ぎに仙台到着。仙台駅内の
すし通り、「寿司処 こうや」で昼食を
とりました。鮮度のよい寿司はなかなか
美味でした。

西口でバス「るーぷる仙台」に乗り、瑞
鳳殿前で下車。



杉並木の参道を進むと、桃山文化の遺風
を伝える豪華絢爛な霊屋が現れました。



瑞鳳殿は1636(寛永13)年、70
才で生涯を閉じた伊達政宗の遺命により
、翌年経ヶ峯に造営されました。

戦災で焼失しましたが、1979年に再
建されたものです。


再びバスで仙台城跡まで。

青葉山には、伊達氏以前から城があり、
千体城後に千代城と称していました。


  (伊達政宗騎馬像)

政宗が仙台に居城を移したときに詠まれ
た和歌。

「入そめて くにゆたかなる みぎりと
や 千代とかぎらじ せんだいのまつ」

もともとこの地は、千代(せんだい)と
いいましたが、「千代(ちよ)と限らじ
」とよみ、せんだい=千代にかけて、「
1000年の世といわず永年に栄あれ」
との願いをこめました。

現在、青葉山公園として整備されていま
すが、城内に残された建造物は第二次世
界大戦頃までにすべてが失われました。


  (石垣)

出羽国米沢を本領としていた政宗は、秀
吉に服属すると、1591年陸奥国岩出
山に転封を命ぜられます。

関ケ原の合戦では家康方に付き1601
年河川舟運や海運の便のよい仙台に本拠
を移します。


  (本丸跡)

新田や金山の開発を促進し、62万石の
国づくりに励みます。貿易にも執心しま
すが、南蛮船は仙台領の港には遠すぎて
来航しません。

このことが慶長遣欧使節(1613-
1620年)の派遣へとつながります。

(参考文献:平川新「戦国日本と大航海
時代」中公新書)