仙台
8月末、仙台を訪ねました。
新幹線で昼過ぎに仙台到着。仙台駅内の
すし通り、「寿司処 こうや」で昼食を
とりました。鮮度のよい寿司はなかなか
美味でした。
西口でバス「るーぷる仙台」に乗り、瑞
鳳殿前で下車。
杉並木の参道を進むと、桃山文化の遺風
を伝える豪華絢爛な霊屋が現れました。
瑞鳳殿は1636(寛永13)年、70
才で生涯を閉じた伊達政宗の遺命により
、翌年経ヶ峯に造営されました。
戦災で焼失しましたが、1979年に再
建されたものです。
再びバスで仙台城跡まで。
青葉山には、伊達氏以前から城があり、
千体城後に千代城と称していました。
(伊達政宗騎馬像)
政宗が仙台に居城を移したときに詠まれ
た和歌。
「入そめて くにゆたかなる みぎりと
や 千代とかぎらじ せんだいのまつ」
もともとこの地は、千代(せんだい)と
いいましたが、「千代(ちよ)と限らじ
」とよみ、せんだい=千代にかけて、「
1000年の世といわず永年に栄あれ」
との願いをこめました。
現在、青葉山公園として整備されていま
すが、城内に残された建造物は第二次世
界大戦頃までにすべてが失われました。
(石垣)
出羽国米沢を本領としていた政宗は、秀
吉に服属すると、1591年陸奥国岩出
山に転封を命ぜられます。
関ケ原の合戦では家康方に付き1601
年河川舟運や海運の便のよい仙台に本拠
を移します。
(本丸跡)
新田や金山の開発を促進し、62万石の
国づくりに励みます。貿易にも執心しま
すが、南蛮船は仙台領の港には遠すぎて
来航しません。
このことが慶長遣欧使節(1613-
1620年)の派遣へとつながります。
(参考文献:平川新「戦国日本と大航海
時代」中公新書)