再びベルギーの旅に戻ります。ブルージュ
からゲントに向かいました。
ゲント
中世以来、ゲントはブルージュのライバル
として歴史に登場しました。
現在は、東フランドル地方の中心都市として
近代産業都市に生まれ変わりました。
鐘楼と繊維ホールです。
13~14世紀に建造されたゲントのランド
マーク的存在です。
繊維ホールは市の有力者たちが事務所を構え、
毛織物の商人たちの会議場でもありました。
聖ニコラス教会です。
13~15世紀に建設されました。
スヘルデ・ゴシック様式の最高峰とされます。
石畳の残る道は複雑に入り組み、曲がりくねっ
た狭い街路をトラムが走り抜けていきます。
聖バーフ大聖堂です。
17世紀フランドル絵画の最高傑作とされる
ファン・アイク兄弟作「神秘の仔羊」は、修
復工事中でした。
19世紀末に建てられた劇場です。
劇はすべてオランダ語で演じられるそうです。
古都ゲントは、16世紀にはパリにつぐ大
都市だったそうです。
レイエ川やスヘルデ川をへて、北海へとつな
がる内陸港をもち、交易や繊維業で繁栄を誇
りました。
マルコ・ポーロによると、13世紀の中国の
高官はすでにここで織られた衣服を身にまと
っていたそうです。
市内のあちこちにはギルドハウスが今も残り
ます。
通りを自転車に乗った若者達が走り抜けてい
きます。
この町は3万4千人の学生を擁する大学町で
もあります。
ゲントはカール5世(1500-1558)の
生れた町でもあります。
16歳でスペイン王カルロス1世となり、19
歳で神聖ローマ帝国の皇帝となりました。
「余は商人には英語で、女どもにはイタリア語
で、男どもにはフランス語で、神にはスペイン
語で、そして余の馬にはドイツ語で話す。」
彼が言ったとされる台詞ですが、この当時ドイ
ツ語はまだ、泥臭い田舎言語にすぎなかったの
でしょうか。