matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

中世の夢映す古都、ゲント

2015-11-11 10:54:04 | 世界の都市


 再びベルギーの旅に戻ります。ブルージュ
からゲントに向かいました。


 ゲント

 中世以来、ゲントはブルージュのライバル
として歴史に登場しました。

現在は、東フランドル地方の中心都市として
近代産業都市に生まれ変わりました。





鐘楼と繊維ホールです。
13~14世紀に建造されたゲントのランド
マーク的存在です。

繊維ホールは市の有力者たちが事務所を構え、
毛織物の商人たちの会議場でもありました。





聖ニコラス教会です。
13~15世紀に建設されました。
スヘルデ・ゴシック様式の最高峰とされます。

石畳の残る道は複雑に入り組み、曲がりくねっ
た狭い街路をトラムが走り抜けていきます。





聖バーフ大聖堂です。

17世紀フランドル絵画の最高傑作とされる
ファン・アイク兄弟作「神秘の仔羊」は、修
復工事中でした。



19世紀末に建てられた劇場です。
劇はすべてオランダ語で演じられるそうです。


 古都ゲントは、16世紀にはパリにつぐ大
都市だったそうです。

レイエ川やスヘルデ川をへて、北海へとつな
がる内陸港をもち、交易や繊維業で繁栄を誇
りました。

マルコ・ポーロによると、13世紀の中国の
高官はすでにここで織られた衣服を身にまと
っていたそうです。



市内のあちこちにはギルドハウスが今も残り
ます。



通りを自転車に乗った若者達が走り抜けてい
きます。

この町は3万4千人の学生を擁する大学町で
もあります。




ゲントはカール5世(1500-1558)の
生れた町でもあります。

16歳でスペイン王カルロス1世となり、19
歳で神聖ローマ帝国の皇帝となりました。

「余は商人には英語で、女どもにはイタリア語
で、男どもにはフランス語で、神にはスペイン
語で、そして余の馬にはドイツ語で話す。」

彼が言ったとされる台詞ですが、この当時ドイ
ツ語はまだ、泥臭い田舎言語にすぎなかったの
でしょうか。