goo blog サービス終了のお知らせ 

Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

ロースクールはどこへ行く(その1)

2006年03月18日 09時04分35秒 | Weblog
 「最短2年で司法試験に合格」というキャッチフレーズは、バーディーが大学に合格した際に、司法試験予備校からもらったパンフレットで見たものである。同じキャッチフレーズを、アメリカから帰ってきた直後、今度は新聞記事として目にすることになろうとは……。
 さて、ロースクール制度については、このところ、厳しい批判が相次いでいる。中には廃止論もあるが、それはさすがに無責任というもの。今この瞬間も法曹養成のための努力を怠ってはならないのである。私個人としては、ロースクール制度自体は維持すべきだが、解体的出直しが必要と考える。現状を見る限り、これが理想の法曹養成機関とは言い難いからである。その原因は、学生と大学の双方にあると考える。そこで今日は、さしあたり、学生の現状を簡単に素描することとしたい。なお、以下は仮想の事例である。

(事例その1~Aさん)
 一流大学の出身。大学時代、講義に出るのが面倒なため、講義録を丸暗記して試験を受け、首尾よく単位を取得してきた。ロースクール入学後も、朝起きるのがつらいので、1限目は必修科目でも2週間に1回しか出席しない。大好きなコンサートのチケットやプレステのソフトを買うために、教科書や教材にかかるお金を何とかして節約しようといつも苦心している。試験の後やつまらない授業の時には、自習室の自分のパソコンでゲームに熱中し、勉強の憂さ晴らしをする。
 法曹の「社会的ステータス」や「リッチで自由なライフスタイル」に憧れており、内心では法律及び勉強一般が好きではないものの、必要悪と割り切って勉強している。

(事例その2~Bさん)
 受験歴が長く、既に相当量の教材を持っている上、新しい教材が発売されると知るや、手に入れないと気がすまなくなる。一生懸命法律を勉強してきたという自負を抱いているせいか、司法試験に合格していない教官や自分より受験歴の短い学生のことを内心軽蔑している。授業の課題講評や自主勉強会などで自分の答案の問題点を指摘されると、ついついカッとなって声を荒げてしまい、相手が引き下がるまで反論する。ところが、実際にBさんの答案を読んでみると、日本語として意味の通じないところや文法的におかしいところがたくさんある。
 「法律」「裁判官」「司法試験合格」などの「権威」に憧れて必死に勉強してきた。

                                               (つづく)

バッハ狂時代(その1)

2006年03月17日 07時42分43秒 | Weblog
 今日も終日法律事務所でアルバイトの予定。弁護士の先生が警察署の留置管理課や入管で被疑者・抑留者と接見・面会するのについていったりしているのだが、詳細は後日書くこととしたい。
 さて、最近、バーディーは比較的幸福な生活を送っているとは思うものの、自分に「音楽が足りない」と感じるときがある。私は、小学1年から3年までオルガンを習い、中学1年から2年までピアノを習っていた。体調を崩したことなどからピアノをやめて少したった頃、母がソニーのクラシックCD全集を購入したのが私にとって人生の転機ともいうべき出来事であった。なにしろ、それからというものは、寝てもさめてもCDを聞き、聞いた曲を下手なピアノでまねる毎日が続いたのである。夜10時を過ぎてもピアノを弾くのをやめない私を、何度も母がたしなめたものだった。夜8時を過ぎると真っ暗になるド田舎のことである。
 まずショパン、リストなどのピアノ曲から入り、さまざまな交響曲・室内楽・声楽を経て、最後にたどり着いたのがバッハのゴールドベルク変奏曲である。弾いているのはグレン・グールド。初めて聴いたのはある真夏の日のことだった。ヘッドフォンからは、ピアノの音の背後から、病人のうめき声のようなグールドのハミングが聞こえる。余りの不気味さに聴くのをやめ、それ以来、私はこのCDを忌み嫌うようになった。
 高校に入り下宿生活を送るようになると、もはやピアノを弾くことはできなくなった。部屋にピアノを置くことはできない。そんな中、なぜか、かつては触ろうともしなかったグールドを筆頭とするバッハのCDが、私の一番のお気に入りになってしまっていた。その理由はうまく説明できないが、宮城谷昌光さんが「クラシック私だけの名曲1001曲」の中で書いているように、当時必ずしも順調な生活を送っていたわけではない私が(宮城谷さんは、みずからがバッハに傾倒した時代のことを、「人生が私から剥がれ落ちていった時期」と表現している)、バッハの音楽(本物の音楽)しか受けつけなくなったことの証かもしれない。しかも、それは社会人になってからも続いた。…私は、この、始まりもなければ終わりもない、聴き終わるまでに1時間程度かかる曲を、少なくとも1000回は聴いているはずである。
 …そういえば、最近、相当長い間、この曲を聴いていない。どうりで「何かが足りない」と感じるはずだ。
 
                                             (つづく)

秘島めぐり(その3)

2006年03月16日 08時01分39秒 | Weblog
 ピピ島(Koh Phi Phi)の悲劇。一昨年末の津波で甚大な被害を受けたピピ島は、未だ復興途上のようである。
 ピピ島とバーディーとの関係は、7~8年前のプーケット・ツアーにまで遡る。やけに安いというので、何も知らずに10月初旬のパッケージ・ツアーに参加したが、プーケットに着いてみると、モンスーンのためビーチは遊泳禁止(台風のような高波)、毎日小雨の降るいやーな天気が続く。そう、この時期は、プーケット観光のオフシーズンなのである。道理でツアー料金も安いはず。
 しかたなく、モンスーンの影響を受けにくいピピ島への日帰り旅行に参加した。すると、イルカの群れとの遭遇・ボートで追いかけっこ、シュノーケリングでは無数の魚と戯れ竜宮城に来た気分、…要するに、「地上の天国」を見たような思いがしたのである。それ以来、私にとって、「ピピ島」は楽園の代名詞のようになり、その翌年には、念願かなってピピ島に1週間近く滞在することができた。
 …ところが、今度は、ピピ島の負の側面ばかりが見えてきたのである。
 「タイの秘島・楽園の旅」や「バイクで回るタイ」の著者である飯田泰生さんも指摘するとおり、
①乱開発のためか、サンゴの白化(死ぬこと)が著しい。サンゴは手を触れただけ
 でも死ぬことがある(自然の脆弱性の象徴でもある)。
②魚影は濃いものの、人間に寄って来るところをみると、餌で飼いならされたよう
 である。「野生の喪失」
③ビーチ・チェアーで寝転んでいると、監視人がやってきて20バーツ(約60 
 円)を請求する。「商業主義の芽生え」
などに気がつき、その度に落胆する。これらはみな、楽園の喪失を示すものであろう。
 特に、「ザ・ビーチ」(レオナルド・ディカプリオ主演)でピピ・レイ島(地図の左下。飲み水がないため無人島となっている)がロケに使われてからというものは、観光客が飛躍的に増え、環境破壊はさらに進んでいる。
 人間が踏み入れてはならない領域というものがあるものだ。ジョン・ミューアもいうとおり、人間から隔離された「手付かずのままの自然」を確保することが、環境保護の中核なのだ。これがいわゆる"preservationism"の思想である。多くの被害者の方がいらっしゃる中で、不謹慎な言い方かもしれないが、一昨年の津波も、人間に対する神の怒りのような気がしないでもない。
 クランク・アウトのあとピピ島を再訪したディカプリオ一行に対して、住民であるイスラム教徒たちは、島の平和を乱したことを理由に抗議活動を行ったそうである。

 「楽園をかえせ!」
                                            (つづく)

各国弁護士事情

2006年03月15日 08時23分24秒 | Weblog
 今日は終日弁護士事務所にて通訳のアルバイト。インドの弁護士・留学生であるJさんのインターンの補助である。(絵はケイコとマナブドットコムより)
 さて、Jさんによれば、インドでは検察官も弁護士も法廷では法服を纏うらしく、日本の弁護士がスーツ姿なのにショックを受けたらしい。「あの人はほんとに弁護士なのか?」「どちらが検察官なの?」などという質問を受ける。こんな調子なので、彼がテレビの某番組の弁護士軍団をみたら卒倒するかもしれない。また、民事裁判の判決言い渡しで、当事者が在廷しないのも意外らしい。インドでは民事裁判においても判決言い渡しの際には当事者の在廷が義務付けられているとのこと。
 通訳の中には、韓国の弁護士資格を持つTさんもいた。よくうちのマンションにある中華料理屋でお会いしたものだが、偶然の再会である。聞くと、既に大学院(修士課程)を修了していったん韓国に帰国したが、今は休暇で日本に来ているとのこと。彼は、英語・日本語も達者である。ちなみに、韓国でも、日本と同様、司法試験に合格しただけでは法曹資格は得られず、任官・開業のためには「司法研修院」(日本の司法研修所に相当)での2年間の修習が必要である。
 ところで、その韓国では、司法試験合格者の大幅増加の反面、司法試験に合格しても就職できない人たちが300人も出てしまった!(その記事)。これは全く他人事ではない。日本でも、昨年修習を終えた58期の修習生のうち、未就職者が60名出ている。また、今年修習を終える59期については、数百名単位の就職できない人たちが出る可能性が指摘されている(ある弁護士のブログ)。
 しかし、バーディーはこのような事態に陥ることを一応想定していたので、あまり驚かない。私が就職した頃は、ちょうど第二次ベビー・ブーマーが就職するころで、バブル崩壊とも重なり、「就職氷河期」といわれた戦後最悪の時期であった。大学を出ても職がない若者が町にあふれた時代である。そんな事情もあって、バーディーは、「大学は出たけれど」ではないが、受付でも何でもやる覚悟が若い頃からできているのだ。

 嗚呼、弁護士!

秘島めぐり(その2)

2006年03月14日 08時22分40秒 | Weblog
 インド人留学生のJさんは、ボンベイで弁護士をなさっているエリート。熱心に法廷傍聴等をなさっていた。インターン先のF事務所の先生方もみないい人ばかり。一切報酬のえられぬプロボノ活動だが、熱心に教えてくださる。
 …さて、ナン・ユアン島に持っていったのが、シェイクスピアのテンペスト(写真はデジタル書店・グーテンベルク社のもの)。小田島雄志先生訳のやつに加え原書も持っていったが、こちらの方はすぐに挫折。グーテンベルクの解説には、
”ミラノ大公の地位を追われ、娘とともに無人島に流れ着いたプロスペローは、修得した魔術を用いてあらしを起こし、自分を陥れた敵たちの船を難破させ、島にたどりつかせる。……だが最後には改悛した敵たちを許し、ともにミラノへと帰る。再生と和解のテーマを謳いあげたシェイクスピア最晩年の名作”
とある。一説によると、シェイクスピアは三大悲劇で人間のダーク・サイドを極めたあと、年齢的に衰えてきたこともあり、今度は反対にハッピー・エンドの芝居を書いたのだという。
 ところで、錯雑した文明生活に疲れ、時として人間不信に陥るバーディーは、自分をプロスペローのように感じるときがある。そういえば、秘島への旅も、無人島への逃避のようなものである。
 そんな私にとって、無人島で育ったためいままで父以外の人間を見たことのないプロスペローの娘ミランダが、父を陥れた宿敵とその息子(最後にミランダと結婚)を見て、

How many good creatures there about!
How beautious mankind is! O brave new world,
That has such people in't!
「なんてすばらしい!りっぱな人たちがこんなにおおぜい!人間がこうも美しいとは!ああ、すばらしい世界だわ、こういう人たちがいるとは!」

と感嘆する場面を読むことは、社会復帰のための欠かせない儀式となる。
  O brave new world!
 オー、ブラーブ ニュー ワールド!
                                              (つづく)

インド

2006年03月13日 07時56分35秒 | Weblog
 今日は終日弁護士会館~F法律事務所でインドからの留学生のために通訳のアルバイト。インドで弁護士をなさっている方のようである。
 奇しくも、今週のニューズウィークは”The New India"「新しいインド」。いまやアメリカはじめ世界中からインドは注目の的で、ブッシュ大統領やシラク大統領、クリントン元大統領などの要人がひっきりなしに来訪中である。なぜなら、みな中国に対する警戒感を強く持っていて、その隣国であるインドは、その抑止力として期待されているからである。
 確かに、インドは、英語が通用し、民主主義の伝統をはじめ欧米文化と親和性と持つし、中国とは違って、経済はボトムアップ型の成長を見せている。おまけに、理科系の人材は極めて優秀で、IT産業の担い手を多く有する。ゴールドマンサックスの調査によれば、2050年にはGDP規模で世界最大の大国に躍り出るはずである。
 ところがその一方、インド自身は長らく「第三世界のリーダー」の地位に安住し、大国としての自覚がほとんどない。他国を援助するよりはむしろ、世界最多の貧民を抱える国として、ひたすら援助を受け続けてきた。以上がニューズウィーク誌の分析である。
 …ともあれ、バーディーは、今日一日、インド人留学生の方の補助に専念することになる。因みに、研修先のF法律事務所は、あの福岡一家4人殺害事件の国選弁護人がいらっしゃる事務所で、私も先月、ここのK弁護士の特別講義を聴講している。

  川柳 「あやぱんが 大塚さんの ギャグを無視」(だいたひかる)

                                                (つづく)


秘島めぐり(その1)

2006年03月12日 09時32分44秒 | Weblog
 久保利先生が南の島が大好きという話をしたが、バーディーの最大の趣味は、熱帯の島でのダイビング・シュノーケリングである。実際、私は、先月末から1週間、タイのナン・ユアン島で過ごしてきた。ナン・ユアン島は、3つの小島が砂洲で繋がった、珊瑚礁から成る美しい島で、タイでも1,2を争う美しい海を誇る(写真はhttp://www.w-t.jp/index.htmから引用)。サラリーマン時代に日帰り旅行で出かけ、一度泊まってみたいと思っていた島である。
 島はタイ財務省の所有で、ナン・ユアン島ダイビング・リゾートが島で唯一の宿泊施設である。島の環境保護のため、一切のプラスチック類は持ち込み禁止、ゴミは持ち帰り、シュノーケリングの際もフィンの着用が禁止される。
 タイへの旅行は実に5年ぶりである。この5年間、何をしていたかというと、最初の1年間は、留学資金をためるため、旅行をはじめとする一切の金のかかる趣味を断っていた。当時の私は、朝5時に起きて出勤までの間、英語の勉強を行うという生活。当時鹿児島にいたのだが、今でも「鹿児島」という言葉を聞いただけで当時のことを心と体が思い出し、ほとんど泣きそうになる。
 会社を辞めた次の1年間はアメリカで暮らし、その後の1年間は(再)就職活動や大学院の受験等、その後の2年間はロースクールに通いながら現行司法試験の受験。要するにこの間、最初の1年間を除いて収入はない。そもそも、貯金の大半も、学資や生活費に費やしている。残り少ないたくわえの中から、今回の旅行資金を捻出したのである。このような無茶ができるのは、来月からは司法修習生として、給与を支給されることになっているからである。もうこれ以上貯金が減ることはないはず、ないかも、ないよね……。
 …5年ぶりのナン・ユアン島は、昔と変わらない竜宮城のままだった。
                                               (つづく)

弁護士の二重構造化が意味するもの(その2)

2006年03月11日 08時09分15秒 | Weblog
 久保利英明先生(写真)は、私の尊敬する弁護士の一人である。彼の名は、一般人にとっては総会屋対策で有名だと思う。森・濱田松本法律事務所を日本トップレベル(弁護士数では長島・大野常松事務所に次いで第2位)のローファームに築き上げた人物といってよい。ところで、私の記憶に間違いがなければ、彼は、1年のうち約1ヶ月の休暇を、南の島で過ごしているはずである(だから色が黒いのか?)。馬車馬のようにしゃかりきに働いた報酬として得たものは、もともと手にしていた穏やかな生活と安らぎであるという、前回の寓話を思い起こさせる話である。
 さて、弁護士の二重構造化については、さまざまなレベルで語ることが可能である。バーディーは差当たり、哲学的なレベルで論じて見たいと思う。
 人間は、自分が所有しているものに常に飽き足らず、より多くを求めるものである。しかしながらその結果として得るものは、実際には既に手にしているものであることが多い。「オズの魔法使い」で、主人公のドロシーは、なんでも願いをかなえてくれるというオズの魔法使いに会ったものの、そこで得たものは、"There is no place like home"(我が家にまさるところなし)という教訓であった。「自分の家の庭より外に幸福を求めてはならない」。ショーペンハウアーもいうとおり、「幸福を自分の外に見出すのは不可能であり、それを自分のうちに見出すのは困難である」。
 …弁護士事務所の飽くなき巨大化路線がたどり着くのは、結局、分裂・小規模化、ということかもしれない。実際、久保利先生も、森・濱田松本法律事務所をスピンアウトして、比較的小さな事務所を構えていらっしゃる。「なーんだ、結局町弁じゃないか」と思う人もいるかもしれない。
 だが、昼間活発に活動すればするほど、眠りもより深いものとなり、次の日には爽やかな朝がやってくるものである。長い旅の末に再発見した幸福は、以前の幸福より輝きを増していることだろう。…最終的に行き着くところは同じであっても、以前の「町弁」とはいっぷう違って、より平和と安らぎに満ちた「町弁」の生活が待っているだろう。帰還したオデュッセウスを迎え入れる故国のように。
(もっとも、以上は寓話であって、実際の町弁の皆さんは多忙な生活を送っている。念のため。)                         (つづく)

意見陳述書という名の「詩」

2006年03月10日 08時11分43秒 | Weblog
 昨日は、午前中は卒業する大学院から荷物を撤去、午後から連続強盗殺人事件の法廷傍聴。当日は被害者の遺族の方の意見陳述が行われた。だが、余りの悲しさに一日憂鬱になってしまう。「どんな人間の一生も一篇の詩のようである」とトーマス・マン(写真)はいうが、バーディーは、「意見陳述書」という名の詩が存在することを始めて知った。
 被害者の一人であるK子さんは、当時23歳の航空関連会社社員。この日は午前6時半からの勤務で、出勤途中のところを腹部を刺されて死亡した。逮捕された容疑者は、「消費者金融五、六社に数百万円の借金があり、金に困っていた」と供述していた。
 K子さんは一人娘。幼いころから年に一度の家族での海外旅行を楽しみにしていた。K子さんは大学時代、講義の合間をぬってアルバイトで学費を稼ぎ、一年半、市内の航空専門学校に通った。「いつか自分が乗った航空機で家族を海外旅行に連れていきたい」。夢は客室乗務員だった。
 語学学校に通う資金をためるため、領収書をノートに張り、財布の中にはいつも千円前後しか入っていなかった。月に7万円ためていたという。そして時間を作って英語を勉強していた。この日も、ヘッドフォンを聞きながら通勤していたのである。
 法廷でお父さんは意見陳述書を朗読する。まるでK子さんの一生が、一篇の詩と化したかのようである。「娘が生まれたとき、大きくなったら一緒にデートをするのが夢でした。そして一昨年、ついに夢が叶い、娘と一緒にお台場やディズニーランドめぐりをしたのです。…K子が亡くなった、その次の年の○月×日のことを、忘れることはできません。…」
 ここでついにバーディーは涙をこらえきれず、法廷を後にしたのである。
 

弁護士の二重構造化が意味するもの(その1)

2006年03月09日 07時44分37秒 | Weblog
 昨夜、アカデミー作品賞を受賞した「クラッシュ」を観る。井筒監督ならずとも失敗作と評するだろう。人種差別にまつわる複数のストーリーをシンクロさせたものだが、テーマを露骨に打ち出しすぎて作りが粗く見える。私見だが、映画におけるテーマとは、表層に現れるものではなくて、通奏低音のように流れるべきものである。ちなみに、この映画は、「”最も俗悪な映画”賞」も受賞している。
 閑話休題。さて、法律事務所をいくつか訪問しているうちに、既に始まっている弁護士の二重構造化現象(巨大ローファームといわゆる町弁との二極分解)が、ここ数年でさらに進行するだろうと確信した。だが同時に、それが意味するところも大体理解した(と思う)。
 以下は、ある掲示板からの引用(ただし若干修正を加えてある)。

日本の田舎町。小さな法律事務所が開設されていた。
田舎者の町弁が小さな相談室に客をとってきた。その客はなんとも羽振りがいい。
それを見た都会者の旅行者は、
「すばらしい客だね。どれくらいの時間、相談にのっていたの」
と尋ねた。
すると町弁は、
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。
旅行者が、
「もっと相談に応じていたら、もっと客がきたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、
町弁は、
「自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だ」
と言った。
「それじゃあ、余った時間でいったい何をするの」
と旅行者が聞くと、
町弁は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから相談に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって… ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者は、まじめな顔で町弁に向かってこう言った。
「ハーバード・ロー・スクールでLLMを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、相談に応じるべきだ。それで集まった紛争は提訴する。着手金が貯まったら大きな事務所を借りる。そうすると売上高は上がり、儲けも増える。
その儲けでイソ弁を2人、3人と増やしていくんだ。やがて大規模法律事務所ができるまでね。そうしたら同業者に客を譲るのはやめだ。自前の専門事務員を雇って、そこに破産事件をやらせる。
その頃には、きみはこのちっぽけな田舎を出て東京に引っ越し、大阪、名古屋と進出していくだろう。きみは、丸の内のオフィスビルから弁護士法人の指揮をとるんだ」
町弁は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから?・・・そのときは、本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は事務所を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、田舎の小さな市街地に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」
                                                (つづく)