三角関係のもつれが殺人事件に発展してしまう話としては、やはり「クロイツェル・ソナタ」を挙げないわけにはいかない。
ストーリーは単純で、妻に対して疑惑を抱き、嫉妬のあまり刺し殺すというもの。
ヴォツェックと似ているが、主人公・ポズドヌイシェフは精神疾患を発症しておらず(とはいえ妄想癖は顕著である)、責任能力には問題がない。
この小説でトルストイは、性欲(小説の中では「あのこと」 などという言葉で表現される)全般を「悪」とみなしている。
そればかりでなく、トルストイは、一見すると関係なさそうなものまでこの「悪」に関与しているとみなし、攻撃のターゲットにしてしまう。
「トルストイは、ベエトオヴェンのクロイチェル・ソナタのプレストをきき、ゲエテは、ハ短調シンフォニイの第一楽章をきき、それぞれ異常な興奮を経験したと言う。トルストイは、やがて『クロイチェル・ソナタ』を書いて、この奇怪な音楽家に徹底した復讐を行ったが、ゲエテはベエトオヴェンに関して、とうとう頑固な沈黙を守り通した。」(p7~8)
小林秀雄は「クロイチェル」と書いているが、この「クロイツェル・ソナタ」のブレスト(Beethoven.Violin.Sonata.No.9.Op.47.kreutzer.[Anne-Sophie Mutter.-.Lambert.Orkis]では2分20秒付近から始まる)のいったいどこに問題があるというのだろうか?
「「・・・『音楽はそれを作った人と同じ心境へ、否応なしに人を連れていってしまいます。その人の魂は作曲者の魂と溶合して、作曲者とともに一つの心境から他の心境へと移ってゆきます。しかし、それは果してなんのためでしょう? わたしには分りません。無論、作曲した人は――かりにこのクロイツェル・ソナタを例に取れば、ベエトーヴェンですな――なぜ自分がそういう心境に到ったかがよく分っていて、その心境が彼にある一定の行動をとらしたのですから、その心境たるや、彼にとって意味のあることです。が、他人にとってはぜん/\無意味です。つまり、それがために、音楽はただ人をいら/\させるだけで、解決をつけてくれない。(中略)
一体どんな人間でも勝手放題に相手のものに(時にはまた一時に大勢の人に)催眠術をかけて、その後で自分のしたい放題なことをする、なんてことを許していいものでしょうか? しかも何より恐ろしいのは、どんな背徳漢でも、この催眠術師になれるという点なのです。
『この恐ろしい武器が、誰彼の差別なく手に入れられるのです!たとえば、このクロイツェル・ソナタ、殊に最初のプレストですね、一体あれをデコルテを着た婦人たちの間で、普通の客間の中で弾いてもいいものでしょうか? あのプレストを弾いて、後でお客の相手をし、それからアイスクリームを食べたり、新しい市井の風評を語り合ったりしていいものでしょうか?ああいう曲は、一定の厳粛な意味のある場合にのみ奏すべきで、しかもその音楽に相当した一定の行為を必要とする時に限ります。つまり、演奏された音楽の呼びおこす気分に従って、行為しなければなりません。その反対に、行為をもって表現されないエネルギイや感情を、やたらに時と場所を考えずに呼びさましたら、それは恐るべき反応を示さないではおきません。」」(新潮文庫版ではp134~135)
『この恐ろしい武器が、誰彼の差別なく手に入れられるのです!たとえば、このクロイツェル・ソナタ、殊に最初のプレストですね、一体あれをデコルテを着た婦人たちの間で、普通の客間の中で弾いてもいいものでしょうか? あのプレストを弾いて、後でお客の相手をし、それからアイスクリームを食べたり、新しい市井の風評を語り合ったりしていいものでしょうか?ああいう曲は、一定の厳粛な意味のある場合にのみ奏すべきで、しかもその音楽に相当した一定の行為を必要とする時に限ります。つまり、演奏された音楽の呼びおこす気分に従って、行為しなければなりません。その反対に、行為をもって表現されないエネルギイや感情を、やたらに時と場所を考えずに呼びさましたら、それは恐るべき反応を示さないではおきません。」」(新潮文庫版ではp134~135)
トルストイは、ポズドヌイシェフのセリフに仮託して、「クロイツェル・ソナタ」のとりわけプレストは、人間の性的なエネルギーや感情を刺激すると言いたいようなのだ。
だが、常識で考えて、これは相当変わった見方であるし、(小林秀雄が言う所の)”復讐”を受けたベートーヴェンはかわいそうである。
私見では、トルストイは、やはり標的を見誤っていると思う。
つまり、リビドーや死の欲動などをいっしょくたにしてしまい、その全体を一つの実体とみなして敵視してしまったところに、彼の勘違いがあったと思うのである。
彼の誤解の一つの根拠として、上に挙げたくだりに先立つ、ポズドヌイシェフが妻に対して憎しみと嫉妬を抱く理由について書かれた箇所を挙げることが出来る。
「『ええ、それは本当でした。しかもカタストロフのちょっと前なんです。『わたしたちはしばらく休戦といったような形で暮らしていて、何もそれを破る原因などなかったのですが、突然こんな会話が始まりました。「今度の展覧会でこれこれの犬が賞牌を取った。」とわたしがいいますと、妻は「賞牌じゃありません、褒状です。」という。そこで喧嘩がはじまったのです。対象はあれからこれと飛び移って、烈しい非難や詰責がはじまるのです。「いや、それはもう前から分りきってる、いつでもそうなのだ。」「でも、あなたがそうおっしゃったわ‥‥」「いや、わたしはそんなことをいやしない。」「じゃ、わたしが嘘をついていることになりますわね。」今にもすぐ自分を殺すか、相手を殺すかしなければ承知できないような、恐ろしい争いがはじまりそうな気配が感じられました。もうはじまるのは分っていて、それを火のように恐れているのですから、じっと我慢したらいいのですが、憤怒がわたしの全幅を領してしまったのです。妻も同じくらい、いや、もっと恐ろしいくらいな心の状態になって[#「なって」は底本では「なつて」]、わざとわたしの言葉を一々曲解し、まるで違った意味をつけてゆくのです。妻の一言々々は毒を含んでいて、しかも彼女はどこがわたしの最も痛いところかよく心得ているので、そこを狙って刺はりをさすのです。争いの進行につれて、それがます/\ひどくなる。で、わたしは「黙れ!」とか何とか、そういう風のことを呶鳴りつけました。
『妻は部屋から飛び出して、子供部屋の方へ走って行きました。わたしはよく腑に落ちるように話そうと思い、妻の手を取って引き留めようと努力しました。が、妻はわたしが痛いことでもするような風を装って、「坊や、嬢や、お父さんがわたしをぶちなさるよ!」と喚くではありませんか。わたしが「嘘をつけ!」と呶鳴ると、「だって、これはもう一度や二度ではありません!」とかなんとか、そういったことを叫ぶのです。子供らがそこへ駈けつけると、妻はそれを宥めるので、わたしは「空々しい真似をするな!」といいました。すると彼女は「あなたには何もかも空々しいように見えるのです。自分で人を殺しても、空々しい真似をするとおっしゃるでしょうよ。わたし今こそ分りました。あなたはつまり、それを望んでいらっしゃるんだわ!」「おお、本当に貴様くたばってくれればいいに!」とわたしは叫びました。」(新潮文庫版ではp107~108)
『妻は部屋から飛び出して、子供部屋の方へ走って行きました。わたしはよく腑に落ちるように話そうと思い、妻の手を取って引き留めようと努力しました。が、妻はわたしが痛いことでもするような風を装って、「坊や、嬢や、お父さんがわたしをぶちなさるよ!」と喚くではありませんか。わたしが「嘘をつけ!」と呶鳴ると、「だって、これはもう一度や二度ではありません!」とかなんとか、そういったことを叫ぶのです。子供らがそこへ駈けつけると、妻はそれを宥めるので、わたしは「空々しい真似をするな!」といいました。すると彼女は「あなたには何もかも空々しいように見えるのです。自分で人を殺しても、空々しい真似をするとおっしゃるでしょうよ。わたし今こそ分りました。あなたはつまり、それを望んでいらっしゃるんだわ!」「おお、本当に貴様くたばってくれればいいに!」とわたしは叫びました。」(新潮文庫版ではp107~108)