指揮=セバスティアン・ヴァイグレ
ヴォツェック=サイモン・キーンリーサイド(バリトン)
鼓手長=ベンヤミン・ブルンス(テノール)
アンドレス=伊藤達人(テノール)
大尉=イェルク・シュナイダー(テノール)
医者=ファルク・シュトルックマン(バス)
マリー=アリソン・オークス(ソプラノ)
第一の徒弟職人=加藤宏隆(バス)
第二の徒弟職人=萩原潤(バリトン)
白痴=大槻孝志(テノール)
マルグレート=杉山由紀(メゾ・ソプラノ)
ヴォツェック=サイモン・キーンリーサイド(バリトン)
鼓手長=ベンヤミン・ブルンス(テノール)
アンドレス=伊藤達人(テノール)
大尉=イェルク・シュナイダー(テノール)
医者=ファルク・シュトルックマン(バス)
マリー=アリソン・オークス(ソプラノ)
第一の徒弟職人=加藤宏隆(バス)
第二の徒弟職人=萩原潤(バリトン)
白痴=大槻孝志(テノール)
マルグレート=杉山由紀(メゾ・ソプラノ)
合唱= 新国立劇場合唱団
TOKYO FM 少年合唱団
音楽総合助手・合唱指揮= 冨平恭平
TOKYO FM 少年合唱団
音楽総合助手・合唱指揮= 冨平恭平
(ネタバレご注意!)
ヴァイグレが指揮するドイツ・オペラは、無条件で”買い”というのが私の方針なので、当然早期に購入。
主役の交代もあったが、声量が十分な歌手を連れてきたという印象。
さて、ストーリーは、「イノック・アーデン」ほど有名ではないので、これからオペラを鑑賞したいという人は読まない方が良いと思うのだが、音楽之友社の「ドイツ・オペラ(上)」では、こんな風に要約されている。
「小心者の貧乏兵士が、妻の浮気を知って刺し殺し、自分も誤って死んでしまうという、救いようもない無残な物語」(p242)
だが私は、これはちょっと危うい要約だと思う。
というのは、序盤ですぐ分かるとおり、ヴォツェックは様々な幻覚を見る精神疾患(統合失調症?)を発症しており、かつ、妻・マリーの浮気の現場を実際に見たのではなく、”幻覚”の中で見たという設定と思われるからである。
つまり、トリッキーな話だが、妻の浮気は”幻覚”ではなくて正しく現実であったというのがポイントであり、これが医学者でもあった原作者:ゲオルク・ビューヒナーの大きな狙いと思われるのである。
ちなみに、ビューヒナーは、1821年6月、退役下級兵士ヨハン・クリスティアン・ヴォイツェックが情婦を殺害した事件を基にこの戯曲を書いている。
ヴォイツェックは精神疾患を疑われて何度か鑑定を受けたのち、有罪判決を受け、公開処刑されている。
例の”幻覚”、いや、現実なのだから「千里眼」(あるいは「千里耳」)か「透視」(あるいは「透聴」)と言うべきかもしれないが、それを代表するセリフが、
"Immer zu, immer zu !" (もっと、もっと!)
である。
このセリフは、マリーの口から発せられる時は、
「鼓手長に自分の身体を性的に激しく刺し貫いてくれることを望む」(前掲p249)
という意味になり、ヴォツェックの口から発せられる時は、
「彼女の身体をナイフで刺し貫くイマジネーションを喚起する」(同上)
意味を帯びる。
ちなみに、同じ音楽之友社の「オペラ対訳シリーズ4 ヴォツェクWozzeck」では、同じセリフが職人たちの歌に向けられる言葉:
「続けろ、続けろ!」(p65、67、72)
としても訳されており、実行行為の直前になると、ヴォツェックには何とヴァイオリンの音まで「続けろ、続けろ」と聞えてしまう。
もっとも、最後だけは、「やっちまえ、やっちまえ!」と訳した方が良いのではないだろうか?
・・・というわけで、今回の三角関係をまとめると、マリーと鼓手長は悪い人たちであるのに対し、ヴォツェックは「責任能力なし」で無罪という理解で良さそうだ。