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Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

源氏と平家(5)

2025年06月24日 06時30分00秒 | Weblog
(4)大原御幸(第57回花影会
 「源平の戦いに決着がつき、平家一門が滅びた後のこと。平清盛の娘で安徳天皇の母、建礼門院(女院)は、檀ノ浦の戦いに敗れた時、海に身投げしたのですが、源氏の侍に引き上げられて命を長らえ、出家遁世して都の東北にある大原の寂光院に住み、一門の人々を弔い、仏に仕える日々を送っていました。・・・
 女院が、法皇の思いがけない訪問に有難い気持ちを述べると、法皇は、女院が六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの世界)を見たと言われているが、どういうわけか、と問いかけます。女院は、数奇な運命を辿ってきた自分の身の上を語り、平家一門の最期と安徳天皇の入水を涙ながらに語りました。その後、名残り惜しくも別れの時が来て、法皇は輿に乗って都へ帰り、それを見送った女院は、庵室へ静かに入っていきました。

 登場人物の多い鬘物で、上演機会が少ないため、機会をとらえてぜひとも見ておくべき演目の一つである。
 シテは建礼門院(女院)平徳子)。
 平家のイエのため高倉天皇に入内し、安徳帝を生んで「国母」となったものの、壇ノ浦の戦いで安徳帝と母:時子を失い、自分だけ生き残る。
 この演目のメイン・テーマは、「六道」を見た建礼門院の内面であり、これを後白河法皇は、
 「女院は六道の有様正にご覧じけるとかや
とストレートに突いてくる。
 建礼門院の人生は、平家というイエの不完全さ・いびつさを象徴したものと言えるだろう。
 
 「僕は、「家」というものを前提に考えたとき、この招婿婚(婿取婚)は不完全なものだったと思います。つまり「家」社会が生まれてくるまでの大きな変化の中で、過渡期として存在したものであり、非常に大きな矛盾をはらんでいたと思うのです。
 招婿婚の一番の矛盾は、やはり、系図の問題でしょう。「家」の継承として、本当の意味で招婿婚があるのならば、家はお祖母さんからお母さんへ、お母さんから娘へという形で女性によって受け継がれていくべきです。ところが、招婿婚が盛んに行われていた時期も、天皇家やほかの貴族の家は、男性によって受け継がれています。この矛盾があるということは、招婿婚が基本的に完成形ではなく、そうした招婿婚に乗っかった形での摂関政治もまた矛盾をはらんでいたということになるのではないでしょうか。」(p51)

 藤原氏による摂関政治をモデルとして、天皇家の”ゲノム”を承継することを核心とした「平家」のイエのシステムは、はじめから矛盾をはらんでいたようである。
 それだけでなく、「武祖神」と clientela による「源氏」のイエのシステムが台頭してくると、これに圧倒されるしかなかった。
 つまり、”ゲノム至上主義”によってイエの存続を図るのは極めて難しいことであり、そのことを「源氏」と「平家」の戦いが象徴していた。
 これを、当時の能(謡曲)の作家たちは、見事に作品として表現したのである。



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