「(国沢光宏さん)やはりユーザーの方はそこが一番心配だと思うんですね。不正とか改ざんとかいうふうに言われると、自分の車は大丈夫なのかとなると思います。今回発表されたデータを見ると、精査してみたんですけど、いずれも安全性には影響ないなというふうに判断できるような内容でした。」
「(国沢光宏さん)これは追突の燃料漏れを試験する内容です。日本で走っている車は小さいので1100kgでやるんですけど、アメリカとかは大きな車が多いので重い車でやるんですね。重い車で燃料が漏れなければいいということで。トヨタはアメリカにも車を売っているので1800kgでやったと。これで問題なかったので、本当は1100kgとかやんなきゃいけないんですけど、時間がないとか、認証ってすごく時間がかかるので締め切りがあるので、とりあえず1800kgのデータを出してしまったと。これが不正・改ざんということになります。」
「(国沢光宏さん)今回こういう騒ぎになると、やはり見直しした方がいいんじゃないかという声がたくさん出てくると思うんですね。今まではヨーロッパとかアメリカみたいに開発スピードがそれほど高くないところが相手だったんですけど、今後は中国とか韓国みたいに開発速度の速い国と勝負するには、認証制度をもうちょっと簡素化して早くできるようにした方がいいと思います。それを今後ちょっと話し合っていくべきだというふうに思いますね。」
メーカーに全面的に好意的な発言に終始し、かつ、次々と論点をずらしていった挙げ句、「日本がどう栄えて行くか」にたどり着いてしまった自動車評論家。
一般消費者としては、この種の議論に騙されないことが肝要である。
私見では、今回の件は紛れもない「不正」であり、その程度も「重大」である。
前提として押さえるべきは、この問題の背景には、「官による外部検査」から「民による(自主)検査」という大きな流れがあることである。
「型式指定」の手続も、おそらくかつての「金融ビッグバン」における「自己査定」や建築確認における「指定確認検査機関」などと共通していると思われる。
ここで決定的に重要なのは、「「民」がゴマカシをしない」ということであり、外部者によるものでない「自己査定」や「自主検査」であっても客観性や透明性が担保されているということである。
この観点からすれば、
「1800kgで検査して大丈夫だった。だから、このデータを1100kgで検査したものとして出しても構わんだろ?安全性に問題はないんだから」
という思考は完全にアウトであり、弁解の余地がない。
「安全性に問題ないので、これで大丈夫」という判断を、”検査主体自らが行った”ことにより、当該制度の客観性や透明性が損なわれたことが致命的な問題なのである。
なぜなら、こういうことが「自己査定」や「自主検査」で行われるようであれば、「「民」がゴマカシをしない」という基本的な前提が揺らいでしまうからである。
さらに、この問題の根底に「コスト削減圧力」があるのだとすれば、この種の不正を行う集団は、反対方向、つまり「安全と見せかける方向」にも不正を行いかねないということになる。
なので、
「「制度」と「現場」にギャップがある、この制度自体をどうするのか議論になっていくとよい、不正の撲滅は無理だと思いますよ」
などという発言は、論点ずらし目的の発言と受けとめられても仕方がないだろう。
こういう言い分があるのであれば、最初から国交省に提言していればよかったのである。