見ごたえのあるトリプル・ビルで、もっと早く前方の席を押さえておくべきだったと後悔してしまう。
「火の鳥」は、なんとも豪華な舞台で、ずっと眺めていたいところだし、やはり音楽が素晴らしい(ちなみに、ピアノ版も傑作で、例えば「フィナーレ」を生演奏で聴こうものなら、背筋が震えるほど感動するのは必至である(サウスポー)。)。
ラストの「エチュード」ももちろん見事で、このバレエ団の層の厚さを感じさせるが、個人的に一番注目していたのは、『精確さによる目眩くスリル』に登場する米沢唯さんである。
彼女は、昨年7月に心臓の病気が発覚して休業に入り、10月の「眠れる森の美女」では当初予定していたオーロラ姫ではなくリラの精役で復帰したが、主役として復帰するのは今回が最初と思われるのだ。
『精確さによる目眩くスリル』は、フォーサイス作品にしては珍しくクラシック・テーストのように見えるが、映像(SF Ballet in Forsythe's "The Vertiginous Thrill of Exactitude")からも分かる通り、実際はほぼ常に動き続けるというハードなコリオである。
だが、私が観た限り、米沢さんのダンスは以前と変わらぬ見事なものであり、「完全復活」という印象である。
ダンスマガジン2025年1月号 米沢 唯 バレリーナの頭の中 第21回
「・・・カラボスの死の呪いからオーロラ姫を守るとき、王子を導くとき。けれど、オーロラ姫とは一言も言葉を交わさないのです。百年後の世界では、王子以外の人にはリラの精が見えていないようにも感じます。・・・」
「カーテンコールでひとり、幕の前に立ったとき、お客さまの拍手があたたかくて、涙が込み上げました。私は劇場が好きです。舞台に立つことが好き。踊ることが好き。でもこれはこのぽんこつの心臓を抱えたまま突き通してよいものなのか。我儘ではないのか。でもいま、私は目に見えない大きなものに守られ、祝福されている。感謝と、喜びと、恐れと、痛みと、言葉にならない揺れ動く感情をあふれるほど抱え、私は客席に向かって精一杯のお辞儀をしました。」(p51)
病気その他の事情で仕事(あるいはやりたいこと全般)が出来なくなった経験のある人がこの文章を読むと、込み上げてくるものがあるのではないだろうか?
ふだん気づくことはまずないけれども、「目に見えない大きなもの」(=リラの精)による加護に気づくことが出来るのは、「恐れ」や「痛み」を経験したからこそなのかもしれない。