「アンダークラスの出現、そして拡大は、社会に何をもたらすだろうか。ひとことでいえば、社会の持続可能性が大きく低下する。あえていえば、社会は存続不可能なものとなる。正規労働者階級は搾取される階級であるとはいえ、その賃金には子どもを産み育てて次世代の労働力を再生産する費用が含まれている。しかしアンダークラスの賃金には、次世代の労働力を再生産するための費用が含まれ得ていない。だからアンダークラスは子孫を残さない。再生産不可能な階級、それがアンダークラスである。・・・
・・・なぜ、このようなことが可能になったのか。それはおそらく、循環論法にみえるかもしれないが、少子化が進んだからである。・・・
・・・こうなると、家族を形成することのできない、あるいは子どもを産み育てることのできない低賃金というものが、社会的に許容されるようになっていく。」(p88~91)
この本の核心部分の記述をピックアップしてみた。
橋本先生によれば、日本社会は「アンダークラス」という「再生産不可能な階級」を生み出したが、これによって、日本という国は自壊の道を歩んでいるという。
このルートは、途中までは、意外にも中国の「一人っ子政策」と目指すところは共通していた。
だが、日本の方が、社会を分断し根底から崩壊させてしまう点において「一人っ子政策」より悪質かつ深刻と言える。
ここで私は、ある(引退した)政治家の発言を思い出した。
それは、
「氷河期世代の人たちは、結局は子孫を残さないのだから、手厚く保護する必要はないのだ」
という趣旨の発言である。
これは全くの誤りである。
橋本先生が指摘したとおり、他の世代・階級(資本家階級と新中間階級の一部)は、この世代を切り捨てることによって、あるいは「アンダークラス」を作出することによって、自身らの「存続可能性」を確保しようとしているのであり、世代丸ごと、あるいは「アンダークラス」という階級に属する人たち丸ごと、”人身供犠”に供されたというのが、日本社会の実情である。
「全員に行きわたるだけのパイがないので、人によって取り分に差をつけよう。場合によっては子どもに与える分がもらえない人が出て来るかもしれないが、それもやむを得ない。全員が滅びるよりはマシだから」
というわけなのだが、これは「いつか見た光景」ではないだろうか?
38 「ヨーロッパでは、生まれた子を堕胎することはあることはあるが、滅多にない。日本ではきわめて普通のことで、二十回も堕した女性があるほどである。」
(堕胎が頻繁におこなわれていたことは宣教師の報告にもしばしば記されている。コリャードの『懺悔録』にも「腹を捩って」あるいは「薬を用いて」堕した例が見えている。)
39「ヨーロッパでは嬰児が生まれてから殺されるということは滅多に、というよりほとんど全くない。日本の女性は、育てていくことができないと思うと、みんな喉の上に足をのせて殺してしまう。」
(堕胎とならんで嬰児殺害もさかんだった。ことに女児より男児の方が多く殺害されたらしい。・・・(中略)欲女多者、俗妻妾多之故也。」(日本一艦)と述べている。)(p50~51)
ルイス・フロイスによれば、当時の日本はおそらく世界有数の堕胎大国、嬰児殺大国だったらしい。
彼以外の宣教師も同様の報告をしばしば行っているから、上の記述は事実と見てよいだろう。
興味深いことに、「一人っ子政策」によって中国では男児が多くなったのに対し、戦国時代の日本では男児の嬰児殺が多かったため、女性の人口が多かったようだ。
戦国時代においてこれ以上男性が増えて、世界がますます荒んでいくことを、民衆は防ごうとしたのではないだろうか?
さて、当時のヨーロッパでは、生まれてすぐ洗礼を受けた赤子を殺せば、当然神に対しても罪となるのだから、日本のやり方は残酷非道なものに見えただろう。
これにはもちろん理由があった。
言うまでもなく、当時の社会が抱えていた食糧問題、端的にはコメの生産量の限界という問題が、「堕胎大国」「嬰児殺大国」の背景にあったのである。