Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

道具概念vs.道具概念(5)

2023年05月10日 06時30分00秒 | Weblog
 「ニーチェはたしかに、「永遠の生命」つまり<第二の生命>を糾弾し、なまみの肉体を復権させた。しかし、この批判は真に根源的な批判でありえただろうか。
 それは、大衆が自らの肉体の保全を望むとき、根源的な批判になりえない。すなわち、イエスの「癒やし」とフーコーのいう「生権力」を大衆があくまで望むとき、敗北する思想なのである。この世での敗北をこそ究極的な勝利だと考えることはできる。しかし、そう考えた瞬間に、「死の説教者」への対抗言説は一気に「死の説教者」と同類のものになってしまうのだ。
 この「敗北」=「勝利」の詭弁から脱出するためには、次のふたつのことが要求される。ひとつは、「イエスによる癒やし」を<第一の生命>でも<第二の生命>でもないほかの角度から再解釈することである。もうひとつは、「生権力(biopower)」を打ち倒す「生自由(biofreedom)」の道を切り開くことである。それこそが、本書のテーマである「弱いニーチェ」が語ったことなのだ。」(p48~49)

 <第三の生命>の「道具概念」性がよく分かる記述である。
 もっとも、<第三の生命>にたどり着くまでには、いくつか大きな関門がある。
 その最たるものが、言うまでもなく、<第一の生命>の実体であり、かつ<第二の生命>を要求する原因とも言うべき「身体」(引用したくだりでは「肉体」)である。
 私見では、小倉先生は、これを「「私」(ひいては主体全般)の解体」+「受容体への還元」という方法で乗り越えようとしたように思える。
 
 
 
コメント
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