先日、職場近くの「てんや」で食事をしていたら、中堅ないし店長クラスの日本人の店員が、外国人の店員に対し、こう言って指導しているのを聞いて驚いた。
「どんどん失敗していいからね。お客さんに怒られたときは俺が謝るから」
見ると、そう言っているのは仏様のような顔をした店員であった。
どうして私が驚いたかというと、私の新人時代(約四半世紀前)には、こんな風に指導を受けることは稀だったからである。
むしろ、2人に1人くらいの割合で、
「お前の代わりなんていくらでもいるんだからな!」
というスパルタ式の上司がいて、それでも支店長などから注意をされることはなかった。
当時はまだ「パワハラ」という言葉もなく、「犠牲強要モード」が最高潮に達しようとしていた時代なので、こういう言葉が職場で飛び交っていたのだ。
「言葉遣い」で指摘したように、こういうところから人間の「動物化」が始まるわけである。
「てんや」のようなところはまだ例外的なのかもしれないが、こういう職場が増えてきたとすればよいことである。
「どんどん失敗していいからね。お客さんに怒られたときは俺が謝るから」
見ると、そう言っているのは仏様のような顔をした店員であった。
どうして私が驚いたかというと、私の新人時代(約四半世紀前)には、こんな風に指導を受けることは稀だったからである。
むしろ、2人に1人くらいの割合で、
「お前の代わりなんていくらでもいるんだからな!」
というスパルタ式の上司がいて、それでも支店長などから注意をされることはなかった。
当時はまだ「パワハラ」という言葉もなく、「犠牲強要モード」が最高潮に達しようとしていた時代なので、こういう言葉が職場で飛び交っていたのだ。
「言葉遣い」で指摘したように、こういうところから人間の「動物化」が始まるわけである。
「てんや」のようなところはまだ例外的なのかもしれないが、こういう職場が増えてきたとすればよいことである。