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Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

ショパン・コンクールの覇者(9)

2025年06月25日 06時30分00秒 | Weblog
ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ Op. 87より
第1番 ハ長調
第2番 イ短調
第6番 ロ短調
第7番 イ長調
第12番 嬰ト短調
第14番 変ホ短調
第24番 ニ短調
ショパン:24の前奏曲 op.28 全曲
<アンコール曲>
ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ Op. 87より
第5番、第15番

 「私はこの2人の巨匠をさらに結び付けたいと考えました。彼らの音楽や人生は全く異なっているものの、ショパンの「24の前奏曲」作品28とショスタコーヴィチの「24の前奏曲とフーガ」作品87といった最高傑作のインスピレーションは、史上最高の巨匠、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの音楽から得たものです。それぞれのサイクルは、その創作者の核―彼らの人生、経験、信念―を描写しています。今回、ショパンとショスタコーヴィチの偉大な音楽遺産を皆さんと一緒に探求できることを、心から嬉しく思います。

 2010年ショパン国際ピアノコンクールの覇者:ユリアンナ・アヴデーエワの来日ソロ・コンサート。
 明確なコンセプトのもとに選曲されているため、丸山眞男先生から「盛り合わせ音楽会」という批判を受ける心配はゼロである。
 ショスタコーヴィチを取り上げたのは、今年が彼の没後50周年に当たるからだという。
 彼の曲のうち24の前奏曲とフーガをショパンとミックスさせたのが新鮮である。
 この二つを聴き比べてみると、いずれもエンディングをピークとしている、つまり「ピークで終わる」ことを狙っていたようで、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」などと似た印象を受ける。
 惜しむらくは、時間的制約(?)のため、ショスタコーヴィチの方は全曲演奏ではなく、アンコールを含め計9曲の演奏にとどまったところである。
 私も全曲を聴いたことはないが、ウィキペディアによると、全曲の演奏時間は約2時間32分とのこと。
 全曲を一夜で弾くのはさすがに無理か?

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源氏と平家(5)

2025年06月24日 06時30分00秒 | Weblog
(4)大原御幸(第57回花影会
 「源平の戦いに決着がつき、平家一門が滅びた後のこと。平清盛の娘で安徳天皇の母、建礼門院(女院)は、檀ノ浦の戦いに敗れた時、海に身投げしたのですが、源氏の侍に引き上げられて命を長らえ、出家遁世して都の東北にある大原の寂光院に住み、一門の人々を弔い、仏に仕える日々を送っていました。・・・
 女院が、法皇の思いがけない訪問に有難い気持ちを述べると、法皇は、女院が六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの世界)を見たと言われているが、どういうわけか、と問いかけます。女院は、数奇な運命を辿ってきた自分の身の上を語り、平家一門の最期と安徳天皇の入水を涙ながらに語りました。その後、名残り惜しくも別れの時が来て、法皇は輿に乗って都へ帰り、それを見送った女院は、庵室へ静かに入っていきました。

 登場人物の多い鬘物で、上演機会が少ないため、機会をとらえてぜひとも見ておくべき演目の一つである。
 シテは建礼門院(女院)平徳子)。
 平家のイエのため高倉天皇に入内し、安徳帝を生んで「国母」となったものの、壇ノ浦の戦いで安徳帝と母:時子を失い、自分だけ生き残る。
 この演目のメイン・テーマは、「六道」を見た建礼門院の内面であり、これを後白河法皇は、
 「女院は六道の有様正にご覧じけるとかや
とストレートに突いてくる。
 建礼門院の人生は、平家というイエの不完全さ・いびつさを象徴したものと言えるだろう。
 
 「僕は、「家」というものを前提に考えたとき、この招婿婚(婿取婚)は不完全なものだったと思います。つまり「家」社会が生まれてくるまでの大きな変化の中で、過渡期として存在したものであり、非常に大きな矛盾をはらんでいたと思うのです。
 招婿婚の一番の矛盾は、やはり、系図の問題でしょう。「家」の継承として、本当の意味で招婿婚があるのならば、家はお祖母さんからお母さんへ、お母さんから娘へという形で女性によって受け継がれていくべきです。ところが、招婿婚が盛んに行われていた時期も、天皇家やほかの貴族の家は、男性によって受け継がれています。この矛盾があるということは、招婿婚が基本的に完成形ではなく、そうした招婿婚に乗っかった形での摂関政治もまた矛盾をはらんでいたということになるのではないでしょうか。」(p51)

 藤原氏による摂関政治をモデルとして、天皇家の”ゲノム”を承継することを核心とした「平家」のイエのシステムは、はじめから矛盾をはらんでいたようである。
 それだけでなく、「武祖神」と clientela による「源氏」のイエのシステムが台頭してくると、これに圧倒されるしかなかった。
 つまり、”ゲノム至上主義”によってイエの存続を図るのは極めて難しいことであり、そのことを「源氏」と「平家」の戦いが象徴していた。
 これを、当時の能(謡曲)の作家たちは、見事に作品として表現したのである。

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源氏と平家(4)

2025年06月23日 06時30分00秒 | Weblog
(3)屋島(第57回花影会
 「源氏と平氏は互いに弓を構え、船を組んで駒(馬)を並べて攻め合っていたところ、義経は何かの拍子で自身の弓を落としてしまい、弓は平氏側に流れてしまいます。義経は弓を取られまいと敵船の近くまで馬に乗りながら進んでいきます。平氏は好機と思い義経に熊手をひっかけて落馬させようとし、危機一髪な状態になりますが、なんとか熊手を切り払って弓を取り返して引き下がります。
 家来の増尾十郎兼房は義経に対して、たとえ千金を延べて作った弓であったとしても命を危険にさらす行為は感心しない、と涙を流して諫めます。しかし義経は「弓が惜しかったのではない。私の武名はまだまだ知られておらず、弓を取られて義経は強弓を引けない弱い将だと思われることは無念なことだ。だからこそ取り返しにいったのだが、そこで討ち取られたら運が無かったということ。運が尽きていないなら敵に渡すまいと弓を取りに行った。この名は末代まで語られるのではないだろうか」というと、増尾十郎兼房やその他の武士たちは感涙を流すのでした。

 本曲は、観世流のみ「屋島」と題し、他流は全て「八島」と表記するらしい。
 イヤホンガイドによれば、見どころは、
① 佐藤継信の最期、② 景清しころ引き、③ 那須与一、④ 義経弓流し、ということだが、社会学的・法学的観点から重要なのは、①と④だろう。
 但し、①の「犠牲死」は既に「千本桜」などで取り上げたので、今回は④にフォーカスしてみる。
 義経が落としたのは数十センチの「小弓」らしく、これが扇で表現される。
 「そんなの取りに行って討ち取られたらダメじゃん」というのは現代人(及び増尾十郎兼房ら家来たち)の発想であり、義経はそのような発想とは無縁である。
 「弓が惜しかったのではない。私の武名はまだまだ知られておらず、弓を取られて義経は強弓を引けない弱い将だと思われることは無念なことだ。だからこそ取り返しにいったのだが、そこで討ち取られたら運が無かったということ。運が尽きていないなら敵に渡すまいと弓を取りに行った。この名は末代まで語られるのではないだろうか
と述べるとおり、義経は、「命」より「名」を重んじる思考に立つ。
 「名」において「結果」は問われないので、殺されて負けても構わないことになる。
 「智者は惑はず、勇者は恐れず
 「惜しむは名のため、惜しまぬは一命
という義経のセリフは、「幡随院長兵衛」(5月のポトラッチ・カウント(2))の、
 「俺が行かなきゃ男が立たねえ
 「恐れて逃げたと言われれば、仲間の恥
 「人は一代、名は末代
と共通の思考をあらわしたものである。
 つまり、義経の「命」は絶えるとも、智者/勇者として弓を取りに行った彼の果敢さは、「名」として、「時間」を超越して残るというのである。

日本政治思想史 十七~十九世紀 渡辺 浩 著
 「誇り、すなわち「名」の意識は、武士たちの士気と組織を支えるのにも有効だった。命を賭けて戦う者には、富や地位の約束だけでは足りない。死んでしまえば、それらに意味はないから。」(p35)

 ここで義経が、自身のイエの存続のことを考えているかどうかは分からない。
 自分ではなく頼朝の子孫が残れば、「源氏」が自分の「名」を承継してくれると考えていたのかもしれない(「名は末代」)。
 だが、能の中で、彼は結局「修羅道」に落ちてしまうのだが、作者は、「『名』に執着したこと」がその原因であることを示唆しているようだ。
 数百年後、「徳川御静謐の世」になると、合戦そのものが殆ど無くなり、個人として「名」(武勲)を挙げる機会は激減してしまい、武士としては、せいぜい「イエ」がその名を維持する程度のことしか出来なくなってしまう。
 しかも、徳川家によって、種々の機会に「名」を毀損・喪失してしまうという”恐れ”、具体的には「減封」や「改易」などといった制度が作出される。
 つまり、ネガティヴな「名」である。
 こうなると各藩(イエ)は、イエの「名」が傷つくことを恐れる余り、徳川家に唯々諾々として従うほかないこととなる。
 まるで、転勤・懲戒に怯えながら毎日を過ごすサラリーマン」のようだ。
 ・・・かくして、明治維新を迎えるまで、徳川家以外の全ての藩(イエ)が、義経とは違った意味で、「修羅道」に落ちてしまうのである。
 

 

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源氏と平家(3)

2025年06月22日 06時30分00秒 | Weblog
 「源氏」式、というか日本式 clientela の特徴は、「二君に仕えず」にあるという。
 なので、日本式 clientela に基づいて組成された集団を図式化すると、「ツリー」状となる。

 「このとき大事なのは、一人の主人は複数の家来を持つけれども、一人の家来は必ず一人の主人しか持てない、ということです。これはまさに「家」の構造そのものです。親は複数の子どもを持つことができますが、子どもは複数の親を持つことができないのと一緒です。・・・
 さて、こうしたツリーと正反対のものに、「リゾーム」というものがあります。リゾームとは、頂点はもちろん、始まりも終わりもなく、無秩序に多方面に広がっていく非階層の社会のあり方です。非階層性ということは、タテではなくヨコにつながっていきます。例えば、近畿地方を中心に広がった「惣村」という集団があります。・・・
 またリゾーム型の組織には一神教が入ってきやすいという特徴があります。「南無阿弥陀仏」の一向宗は、仏教ではありますが一神教的なところがあります。・・・」(p140~143)

 社会人類学の用語で言うと、「ツリー」は「枝分節」、「リゾーム」は「無分節」ということになるだろうカイシャ人類学(11))。
 「イエ」における「二君に仕えず」原則の理由について言えば、「イエ」と同じく「祖霊信仰」のカテゴリーに属する古代ギリシャの「竈神」信仰が最も分かりやすい。

 「・・・父祖の竈神は彼女の神である。この娘に対して隣家の若者が結婚を申しこんだとすると、娘にとっては、父の家をでて他家にはいるという以外に、別の重大な問題がある。それは、父祖の竈をすてて、夫の竈にいのらなければならないことである。彼女は宗教をかえて、他の儀式を実行し、別の祈りを口にしなければならない。少女時代の神とわかれて、未知の神の主権にしたがうことになる。彼女は、婚家の神を尊崇しながら、同時に実家の神を信奉しつづけようと希望することはできない。この宗教では、おなじ人物がふたつの竈と二系の祖先とをまつることをゆるさないのが、動かすことのできない鉄則であったからである。」(p79) (「父」の承継?(4)

 「源氏」を典型とする武士の「イエ」における clientela でややこしいのは、 これを今日的な観点から、例えば「友情」とか「契約」などとのアナロジーで捉えようとすると、ちょっとした錯覚に陥りがちな点である。
 義経―弁慶の関係は、まず、同じ軍人であるアキレウスーパトロクロスのような、友情によって結ばれた水平的・対等な関係とは全く異なる。
 また、主君―家来の関係とは言え、「きびだんご」を報酬とする契約によって結ばれた桃太郎と犬・猿・雉との関係とも違う。
 義経(牛若丸)は、実力(殺害能力)でもって弁慶を屈服させ、八幡大菩薩に帰依させることによって、自身のイエの「郎党」として組み込んだのである。

 「武士は、その名の通り、何よりも「武」をその自己規定の核とする。武者であり、軍人であり、兵隊である。つまり、戦さにおける暴行・傷害・殺人を本来の役割とする特殊な職業人である。・・・
 ホッブズは、「自然状態」における殺害能力の基本的平等を想定したが(『レヴァイアサン』第十三章)、多分それは幻想である。実際には、体力だけでなく、陰謀能力・組織化能力等、さまざまな原因によって殺害能力には大差がある。弱者は、そのままでは強者に滅ぼされる。しかし、服従と保護とを交換するという手がある。強者は弱者に土地や禄を与え(あるいは元来の占有を承認してやって「恩」を売り)、その代わりに弱者の奉仕を求める、かくして「主君」と「奉公人」という関係が成立する(そして強者はますます強くなる)、というのである。」(p34、38)
 
 無分節集団の典型は軍事的部族アマゾーンなど)だが、これは、理念的には頂点も上下関係もない(文字通り「分節が無い」)集団なので、厳然たる頂点と上下関係をもつ「源氏」は「無分節」とは言えないはずである(日本史で言うと、「一向宗」の宗徒の方がむしろ「無分節」に近いだろう。)。
 つまり、武士の場合、ゲノム(又は仮装ゲノム)による結合と、日本式 clientela、すなわち「殺害能力」の差を背景とした支配・服従関係による結合とがミックスされて、「イエ」という「枝分節」集団が組成されるのである。
 なので、ゲノムを共にする「一族」と、日本式 clientela に基づく「郎党」とが、同じ「イエ」に属しているということになる。
 これが戦さの時には「無分節」であるかのように見えるのだが、それは「外(敵)に対しては一つ」であるというだけに過ぎず、内部が「ツリー」状であることは動かない。
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源氏と平家(2)

2025年06月21日 06時30分00秒 | Weblog
 源氏における clientela の代表例は、やはり義経-弁慶のコンビである。
 だが、西欧風の clientela と大いに違っていることは、「安宅」(9月のポトラッチ・カウント(9)を見ればすぐ分かる。
 「安宅」の筋書きは、弁慶が、八幡大菩薩という共通の「(氏)神」を戴くことによって義経のイエのメンバー郎党となったことを前提としている。
 つまり、義経と同じ宗教に入信したのである。
 ところが、この点に触れない文献が多い。

 「『文明としてのイエ社会』では、イエ型集団の基本特性として、①超血縁性、②系譜性、③機能的階統制、④自立性の四点を挙げています。中でも際立つ特性が①超血縁性であり、別の表現として「血縁なき血縁原則」という言い方もされています。この特性を見事に反映しているのが、日本における養子制度の広範な活用です。」(p86~87)

 「超血縁性」→「養子制度」というけれども、この間に「「(氏)神」への信仰」、柳田國男の言葉で言うと「祖霊信仰」という宗教的要素が介在している点が看過されている。
 
(2)船弁慶(第57回花影会ーーー舞囃子「船弁慶」)
 「・・・静との別れを惜しみ、出発をためらう義経に、弁慶は強引に船出を命じます。すると、船が海上に出るや否や、突然暴風に見舞われ、波の上に、壇ノ浦で滅亡した平家一門の亡霊が姿を現しました。なかでも総大将であった平知盛(とももり)の怨霊は、是が非でも義経を海底に沈めようと、薙刀を振りかざして襲いかかります。弁慶は、数珠をもみ、必死に五大尊明王に祈祷します。その祈りの力によって、明け方に怨霊は調伏されて彼方の沖に消え、白波ばかりが残りました。

 おやおや?
 弁慶は、源氏の氏神である八幡大菩薩ではなく、「五大尊明王」に祈祷して難を救った。
 八幡大菩薩は、元は応神天皇と同一視される「(武祖)神」だが、奈良時代に神仏習合によって仏教の「菩薩」となった。
 「菩薩」は「明王」よりランクが上なので、弁慶は、義経の上司=社長(八幡大菩薩)ではなく、その下にいる5人の部長(五大明王)に稟議書を提出し、部長が「代決」を行ったのである。
 こういうことを、サラリーマンはときどきやる。
 怖い上司が出張等で不在の時を狙って。
 
 
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源氏と平家(1)

2025年06月20日 06時30分00秒 | Weblog
 源平の合戦は、能、文楽、歌舞伎や時代劇において、格好の素材となっている。
 元はと言えば、「清和源氏」と「桓武平氏」と呼ばれていたのだから、同じ「天皇家」の子孫であるはずである清和源氏の系図桓武平氏の系図)。
 ところが、能(謡曲)の作家は、古くから、「源氏」と「平家」が異なる組成原理に基づいて形成された集団であることを示唆してきたように思われる。

 源氏でありながら平清盛の愛顧を受けて、従三位という高位に就き、歌人としても名声を極めた源頼政は、晩年、以仁王を戴いて謀反を起こすも、平家軍に宇治川を突破され、平等院で自害したとされる。
 ちなみに、これは日本史上初の「切腹」であり、後の数世紀に亘る武士の「切腹」のモデルとなったという。
 今回は、何と、宝生流の「本面」(オリジナルの面)、かつ、この演目専用につくられた「頼政」と頭巾を用いて演じられる貴重な公演。

 「旅僧が宇治の里を訪れると、一人の老翁が声をかけてきたので、宇治の名所旧跡を案内してくれるように頼みます。老翁は名所をまわるうちに、平等院へと案内します。庭の扇形に残された芝を不思議に思った旅僧は、老翁にそのいわれを尋ねます。戦に敗れた源頼政がこの地で扇を敷いて自害し、その場所が「扇の芝」と呼ばれていることを老翁は語ります。旅僧が頼政を弔うと、老翁は今日が頼政の命日であることを告げ、自分が頼政の幽霊であることを明かして消えていきます。
 里人から、源頼政の挙兵のいきさつと最期の様子について聞いた旅僧は、再び頼政の霊を弔い、頼政と夢で出会えるように仮寝をします。そこに、法体ながら甲冑を着た頼政の幽霊が、世のはかなさを嘆きながら現れ、僧に読経を頼みます。頼政は挙兵から平等院への逃亡のいきさつ、宇治川を挟んだ激しい合戦の様子を伝えます。さらに辞世の歌を詠んで自害するまでを語り、旅僧に弔ってくれるように頼むと、扇の芝へ帰るように消えていくのでした。

 多勢に無勢で、息子たちは次々に討死し、「もはやこれまで」と観念する頼政。
 彼は、辞世の句を読んだ後、切腹する。
 享年77。
 これが、文武の道に秀でたサムライの理想の死に方とされたのである。

 「平等院の庭の面 これなる芝の上に 扇を打ち敷き 鎧脱ぎ捨て座を組みて 刀を抜きながら さすが名を得しその身とて
 埋もれ木の 花咲く事もなかりしに 身のなる果ては 哀れなりけり

 ラストは、
 「扇の芝の草の陰に 帰るとて失せにけり 立ち返るとて失せにけり
とあり、「扇」が冥界との出入り口であったことが示される。
 ・・・と言う風に、源氏においては、頼政が清盛や以仁王との間で結んだような clientela(クリエンテラ)(9月のポトラッチ・カウント(9))が活用される点が大きな特徴と言えそうだ。

 
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芸術監督の資質

2025年06月19日 06時30分00秒 | Weblog
(1)オーストラリア・バレエ団
 「ダンサーとしての20年間を振り返り、最も満足していることは何ですか? もし心残りがあるとしたら、それはどんなことでしょうか?
 正直に答えたいので、少し時間をください。(しばらく考えて)……そうですね、“心残り”についてのほうが、簡単に答えられるかもしれません。ひとつは、長い間ケガに苦しんだことです。自分のキャリアの絶頂期に、2年半も舞台から離れなくてはならなかったこと。僕は限界を超えるまで身体を酷使して、壊してしまいました。誰のせいでもない、自分自身の責任です。でも、悔やんではいません。なぜなら踊れなかったあの2年半が、僕に謙虚さを教えてくれたから。そしてリハビリのためにオーストラリアに渡ったことが、僕の未来を変えました。今があるのは、あの時のケガのおかげでもあるんです。
 もうひとつ、これは後悔していることです。僕は舞台の上で、いつも“安全第一な踊り”をしていました。転ぶのが怖かったし、リフトを失敗するのが怖かったし、ミスをして何かを台無しにするのが怖かった。だからいつもどこか守りの姿勢で踊っていて、自分のすべてを出して踊りきったと思えたことは、ほんの数回しかありません。いっぽう何度もパートナーを組んだナタリア・オシポワは、恐れ知らずのダンサーでした。怖いものなど何もない動物のように踊り、そんな彼女に向けられる観客の大喝采を、僕は隣で聞いてきました。僕も怖がったり自分を疑ったりせずに、もっと思いきり踊ればよかった。だから今、ダンサーたちにこう伝えたいのです。「リスクを取れ。恐怖を捨てろ」と。
 (プリンシパルの近藤亜香について)「彼女は自分の意思で踊れるダンサーです。僕が芸術監督として絶対に避けたいのは、ダンサーたちに「監督に気に入られるように踊らなくては」と思わせてしまうことです。ダンサーたちには主体性をもって踊ってほしい。自分はどう踊るのか、自分の意思で選択してほしい。亜香は、それができるダンサーです。

 「リスクを取れ。恐怖を捨てろ」という言葉は、長い間ケガに苦しんだこの人が言うと説得力が増す。
 最後の、
 「僕が芸術監督として絶対に避けたいのは、ダンサーたちに「監督に気に入られるように踊らなくては」と思わせてしまうことです
と言う言葉は、あらゆる管理職サラリーマンが肝に銘ずべきことだろう。
 「上司の顔色を見て動く部下」を大量生産していくと、組織は腐敗してしまう。
 デヴィッドの言葉の通り、近藤さん&チェンウ・グオのコンビ(夫婦)は、時にはアクロバティックに、堂々たるダンスを見せた。
 さて、今回の日本公演では、特別にクラス・レッスンが公開されたのだが、これも面白かった。
 デヴィッドが指導するのだが、使用される音楽は、クラシック(オペラやショパンの曲)だけでなく、ジャズ(マイ・ファニー・ヴァレンタインなど)、ディズニー、はたまたブリトニー・スピアーズの曲(Stronger)まで動員されている。
 毎日のレッスンにおいて、多様なジャンルの音楽に対応できる身体をつくっているのだが、これはやはり芸術監督の方針なのだろう。

(2)K-BALLET TOKYO
 「・・・(22年前の演出の)若気の斬新さと、チャレンジが、今となっては心地よい・・・」(1:20付近~)
 「『白鳥の湖』は、王子が語り手となっているんですよ。・・・有名なマイムなんですけど、何回バレエのステップしましたか?ゼロなんですよ。ドラマで魅せてるんですよ。」(10:05付近~)

 K-BALLETというと、私などはやはりコリオとストーリーの独自性に注目してしまう。
 だが、意外なことに、芸術監督は真っ先に「舞台と衣装の豪華さ」を強調した。
  確かに、新国立劇場のピーター・ライト版ローエングリンからトリスタンとイゾルデへなどと比べても、舞台の豪華さに遜色はない。
 また、ロットバルトの「羽」が「烏と蛾」のデュアリズムを表現しているところや、オデットとオディールの「羽」の共通点の強調、ラストにおける「羽」の再登場など、衣装の仕掛けも細やかである。
 芸術監督はコリオ(とストーリー)に専念しているのかと思いきや、そうではなくて、それ以外のあらゆる分野についても十分な配慮が必要なのだ。
 要するに、経営者と似ているのである。
 ということは、「職場環境配慮義務」も負っているのである。

 「告発文書にはセクハラを巡る記述があった。文書は〈以下のようなハラスメントが、所属アーティスト等に対し、公益財団法人オペラ振興会が運営する事業において確認されています〉として、こう綴る。 
〈 セクシャルハラスメント 〉
 〈・キャスティング等を匂わせた私的関係の誘い、強要 〉 
〈・公演、イベント等公的な場所での男尊女卑、マイノリティー差別に基づく発言や行動 〉 
〈・身体的接触 〉

 「キャスティング等をにおわせた私的関係の誘い、強要とあるが、仮に事実であるとすれば、絵に描いたような「対価型セクシャル・ハラスメント」である。
 そもそも、キャスティングは、通常は芸術監督(総監督)の専権事項とされていて、これを第三者が監視するというのは性質上なじまない。
 このため、オペラやバレエの世界(スポーツの世界も)では、「対価型セクシャル・ハラスメント」が起こりやすいのではないかと思われる。
 なので、こうした行為をしない人物であることが、芸術監督(総監督)の資質として要求されるということになるだろう。
 
 
 
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もう一つの名前(7)

2025年06月18日 06時30分00秒 | Weblog
 「自身も名門・尾上一門生まれである寺島しのぶは「自分自身とのつながりを感じた」と振り返りつつ「今回、役者というよりスタッフの一部みたいになってしまって。セットで、自分が見てきたものとちょっと違うなと思うと言ったりして…」と明かし、すかさず渡辺が「けっこう厳しい指摘がありました」。  
 さらに寺島は、名門・丹波屋の看板役者・花井半二郎(渡辺謙)が、主人公・喜久雄(吉沢亮)の才能を見抜いて、実の息子・俊介(横浜流星)よりも引き立てようとするという設定に「夢があるな、と。世襲の歌舞伎界では、ほとんど考えられないこと。吉田さんは、すごいものをお書きになったと思いました」と感嘆しつつ、半二郎の妻役として「夫にムカついて仕様がなかった」とぶっちゃけ会場も大笑い。

 3時間近い大作だが、全く緩むところのない傑作で、「これ吉沢の代表作になるね」という渡辺謙の言葉が真実味を帯びている。
 渡辺が演じる半二郎は、実の子ではないのに丹波屋の名跡を継ぐ喜久雄(吉沢)に、
 「この世界、親のないのは首のないのと同じや・・・
と言うが、実際、喜久雄はその後、半二郎の妻(寺島)を含む業界の人間たちから散々冷遇されるのである。
 ・・・それにしても、菊五郎・菊之助ダブル襲名のタイミングで劇場公開を開始し、しかも寺島氏をこの役にキャスティングしていたというのは、計っていたのではないかと疑ってしまう。
 その音羽屋だが、実は「世襲」を徹底してきたわけではない。
 初代の実子:二代目菊五郎は19歳で急逝しており、三代目は初代松緑の養子であるから、ここで既に初代のゲノムは絶えている。
 四代目は婿養子であり、五代目は三代目の娘の子なので、男系相続の原則も維持されていない。
 六代目は五代目の長男であり、男系相続が復活するが、その実子・長男(但し妾腹の子):尾上九朗右衛門 (2代目)ではなく、養子:尾上梅幸 (7代目)の長男が菊五郎を継いだ。
 つまり、七代目は六代目のゲノムを継いでいない。
 そして、七代目の長男が八代目を継いだのだが、初代から六代目までのゲノムは承継していない(はず)なのだ。
 ところで、有名な話であるし、系譜を見れば一目瞭然だが、「菊五郎」には別名「梅幸」がある。
 これは、初代の俳名であり、初代が深く帰依した天満宮の梅に因んだものである。

 「騒ぎの発端となったのは5日に都内で行われた「団菊祭五月大歌舞伎」取材会での菊五郎の発言。菊五郎が自身の父7代目尾上梅幸が継いだ音羽屋の大名跡である「梅幸」を寺島の長男に継がせたいと発言したことが報じられた。

 2016年4月のニュースだが、この話が再燃している。
 今回、七代目が「梅幸」を襲名しなかった理由として、「「梅幸」を寺島の長男に継がせたい」という意図があると囁かれているのである。
 これが実現するかどうかは現時点では分からないが、仮に実現するとすれば、映画「国宝」(の終盤)に似た状況が生まれることになるのかもしれない。
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もう一つの名前(6)

2025年06月17日 06時30分00秒 | Weblog
 夜の部最初の演目は、歌舞伎十八番より「暫」The Aragoto Masterpiece EXPLAINED・Shibaraku (1697))。
 主人公:鎌倉権五郎を演じるのは團十郎。
 平成16年以降、鎌倉権五郎を演じたのは、何と彼ひとりのみである。
 その團十郎は、
 「古風に則った鎌倉権五郎を、”童の心で演じる”という荒事の精神
という。
 鎌倉権五郎は純粋無垢な少年あるいは若者なのだが、これは西洋人にとっては意外なことらしい。
 「正義のヒーローは少年・若者」というのは、江戸時代の大衆のみならずジャンプ漫画、ガンダムやエヴァンゲリオンなどに親しんできた現代の日本人にとっては当たり前のことなのだが、世界的には例外に属しているのである。
 
 「『暫』の魅力とは何でしょうか。
 今では歌舞伎の代表作であり、最も有名な作品のひとつですが、なぜそれほどまでのインパクトがあるのでしょうか。江戸時代には毎年興行され、今日においては、西洋人が観たい演目もやはり『暫』なのです。
・・・
 どの西洋人にも理解出来ないのは、『暫』の主人公がまだ青年であることです。これは鎌倉権五郎の前髪が剃られていない(成人するときにする儀式)ことからわかります。今の若い日本人はこれを知っているでしょうか。このような、些細でありながら重要な点を理解するのに、イヤホンガイドは欠かせませんね。・・・
 「しばらく」は命令調であり、お願いではありません。ですから、私は"Stop!"または"Wait!"(待て!)といった、もっと強い表現がふさわしいと思います。そもそも、あんな衣装を身に着けた人物が丁寧な言い方をするわけがないですからね。

 私はたまたま花道の左横の席で観たのだが、これは正解だった。
 團十郎が登場する前の花道奥でのセッティングの音、60キロを超える衣装を着けて待機する團十郎と後見の姿を、至近距離で観ることが出来るのである。
 團十郎を見ていると、じっと同じ姿勢を保っているだけでも大変なのが分かる。
 これで最後は六方を踏んで花道を飛んでいくのだから、團十郎の体力には脱帽するしかない。
 渡辺保先生は、
 「物語的には単純で下らぬものだが、演出的にはしゃれた、奇想天外な面白さである。
と指摘する。
 確かに、長年かけて研ぎ澄まされてきたであろう演出は完璧で、初めから終わりまで飽きさせるところがない。
 続く「口上」では、相変わらず團十郎の話も面白いが、梅玉が、自身の持ち役でもある「勧進帳」の富樫について、
 「八代目菊五郎さんの演技には学ぶところがあります
と述べてちょっと嫉妬している(らしい)ところは面白かった。
 襲名披露の「連獅子」だが、途中からたてがみを回すタイミングがずれてしまったの惜しいところ。
 ラストの演目は「芝浜革財布」。

  「三遊亭円朝の人情噺を脚色した世話物。怠け者で大酒飲みの魚屋政五郎は、ある日芝浜海岸で大金入りの革財布を拾う。さっそく仲間を集めて大酒盛り。しかし酔っぱらって一晩寝て目覚めると、女房のおたつは「夢でも見たのだろう」と言う。反省した政五郎は一念発起して断酒。まじめに働き出して三年の月日が流れ…。夫を思いやる妻の配慮が夫婦に幸をもたらすという、笑って泣かせる作品だ。

 今日的な視点からすれば、おたつの言動には注目すべきものがある。
 浜で財布を拾った政五郎に、「それは夢だよ・・・」などと言って洗脳したおたつの行為は、殆ど「ガスライティング」なのだ。
 ・・・というわけで、夜の部はやはり「暫」に持って行かれた感が強い。


 

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もう一つの名前(5)

2025年06月16日 06時30分00秒 | Weblog
 続く「寺子屋」だが、松王丸=菊五郎、源蔵=愛之助というコンビは、昨年3月の公演と同じである3月のポトラッチ・カウント(5))。

 「「菅原伝授手習鑑 寺子屋」は「三月大歌舞伎」の昼の部で披露される演目。「菅原伝授手習鑑」は歌舞伎三大名作の1つとして知られ、その中の1場面「寺子屋」では、2組の夫婦の忠義と悲劇が描かれる。このたび解禁された特別ビジュアルには、どっしりと佇む菊之助演じる松王丸の姿と、力強い視線を投げる片岡愛之助演じる武部源蔵の姿が収められた。

 「寺子屋」は歌舞伎座によれば上演時間91分と長い演目であり、当然ながら「トイレ警報」が発令されてしかるべきところ。
 というわけで、直前の休憩(「車引」の後)は35分となっており、この辺は主催者側も心得たものである。
 ネットを見ると、昨年より出来が良かったという感想が目立つようだが、個人的には、愛之助はもうちょっと抑える方が良かったのではないかと思った。
 というのは、源蔵のセリフ回しが、昨年よりもっと”荒事”チックだったのである。
 それがまずいというわけではないが、菊五郎の演技とのバランスを考慮する必要があると思うのだ。
 原作者の意図は、「松王丸=猛者」のようで(間違ってたらゴメンナサイ)、源蔵には、松王丸のキャラクターを阻害しないように振舞うことが期待されているからである(つまり、例えば團十郎が松王丸であれば愛之助の源蔵はちょうどよいテンションだと思う。)。
 とはいえ、昨年はカットされていた「寺入り」の場面や、涎くり(精四郎)の演技、何より最大の見せ場である菊五郎の「泣き笑い」は申し分ない出来栄えだったと思う。
 さて、昼の部最後は「お祭り」。
 81歳の仁左衛門がここまで動けることにひたすら感動。
 何だか「仁左衛門祭り」で良かったような気がしてきた。
 
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