(1)オーストラリア・バレエ団
「ダンサーとしての20年間を振り返り、最も満足していることは何ですか? もし心残りがあるとしたら、それはどんなことでしょうか?
正直に答えたいので、少し時間をください。(しばらく考えて)……そうですね、“心残り”についてのほうが、簡単に答えられるかもしれません。ひとつは、長い間ケガに苦しんだことです。自分のキャリアの絶頂期に、2年半も舞台から離れなくてはならなかったこと。僕は限界を超えるまで身体を酷使して、壊してしまいました。誰のせいでもない、自分自身の責任です。でも、悔やんではいません。なぜなら踊れなかったあの2年半が、僕に謙虚さを教えてくれたから。そしてリハビリのためにオーストラリアに渡ったことが、僕の未来を変えました。今があるのは、あの時のケガのおかげでもあるんです。
もうひとつ、これは後悔していることです。僕は舞台の上で、いつも“安全第一な踊り”をしていました。転ぶのが怖かったし、リフトを失敗するのが怖かったし、ミスをして何かを台無しにするのが怖かった。だからいつもどこか守りの姿勢で踊っていて、自分のすべてを出して踊りきったと思えたことは、ほんの数回しかありません。いっぽう何度もパートナーを組んだナタリア・オシポワは、恐れ知らずのダンサーでした。怖いものなど何もない動物のように踊り、そんな彼女に向けられる観客の大喝采を、僕は隣で聞いてきました。僕も怖がったり自分を疑ったりせずに、もっと思いきり踊ればよかった。だから今、ダンサーたちにこう伝えたいのです。「リスクを取れ。恐怖を捨てろ」と。」
(プリンシパルの近藤亜香について)「彼女は自分の意思で踊れるダンサーです。僕が芸術監督として絶対に避けたいのは、ダンサーたちに「監督に気に入られるように踊らなくては」と思わせてしまうことです。ダンサーたちには主体性をもって踊ってほしい。自分はどう踊るのか、自分の意思で選択してほしい。亜香は、それができるダンサーです。」
「リスクを取れ。恐怖を捨てろ」という言葉は、長い間ケガに苦しんだこの人が言うと説得力が増す。
最後の、
「僕が芸術監督として絶対に避けたいのは、ダンサーたちに「監督に気に入られるように踊らなくては」と思わせてしまうことです」
と言う言葉は、あらゆる管理職サラリーマンが肝に銘ずべきことだろう。
「上司の顔色を見て動く部下」を大量生産していくと、組織は腐敗してしまう。
デヴィッドの言葉の通り、近藤さん&チェンウ・グオのコンビ(夫婦)は、時にはアクロバティックに、堂々たるダンスを見せた。
さて、今回の日本公演では、特別にクラス・レッスンが公開されたのだが、これも面白かった。
デヴィッドが指導するのだが、使用される音楽は、クラシック(オペラやショパンの曲)だけでなく、ジャズ(マイ・ファニー・ヴァレンタインなど)、ディズニー、はたまたブリトニー・スピアーズの曲(Stronger)まで動員されている。
毎日のレッスンにおいて、多様なジャンルの音楽に対応できる身体をつくっているのだが、これはやはり芸術監督の方針なのだろう。
(2)K-BALLET TOKYO
「・・・(22年前の演出の)若気の斬新さと、チャレンジが、今となっては心地よい・・・」(1:20付近~)
「『白鳥の湖』は、王子が語り手となっているんですよ。・・・有名なマイムなんですけど、何回バレエのステップしましたか?ゼロなんですよ。ドラマで魅せてるんですよ。」(10:05付近~)
K-BALLETというと、私などはやはりコリオとストーリーの独自性に注目してしまう。
だが、意外なことに、芸術監督は真っ先に「舞台と衣装の豪華さ」を強調した。
また、ロットバルトの「羽」が「烏と蛾」のデュアリズムを表現しているところや、オデットとオディールの「羽」の共通点の強調、ラストにおける「羽」の再登場など、衣装の仕掛けも細やかである。
芸術監督はコリオ(とストーリー)に専念しているのかと思いきや、そうではなくて、それ以外のあらゆる分野についても十分な配慮が必要なのだ。
要するに、経営者と似ているのである。
ということは、「職場環境配慮義務」も負っているのである。
「告発文書にはセクハラを巡る記述があった。文書は〈以下のようなハラスメントが、所属アーティスト等に対し、公益財団法人オペラ振興会が運営する事業において確認されています〉として、こう綴る。
〈 セクシャルハラスメント 〉
〈・キャスティング等を匂わせた私的関係の誘い、強要 〉
〈・公演、イベント等公的な場所での男尊女卑、マイノリティー差別に基づく発言や行動 〉
〈・身体的接触 〉」
「キャスティング等をにおわせた私的関係の誘い、強要」とあるが、仮に事実であるとすれば、絵に描いたような「対価型セクシャル・ハラスメント」である。
そもそも、キャスティングは、通常は芸術監督(総監督)の専権事項とされていて、これを第三者が監視するというのは性質上なじまない。
このため、オペラやバレエの世界(スポーツの世界も)では、「対価型セクシャル・ハラスメント」が起こりやすいのではないかと思われる。
なので、こうした行為をしない人物であることが、芸術監督(総監督)の資質として要求されるということになるだろう。