王様の「秘密の参謀本部」

田端到&ビンゴ本郷の実験創作プロジェクト

2019長岡花火の雑感

2019-08-03 23:07:54 | Weblog

 長岡人にとって、8月1日から3日は特別な日。
「長岡花火は昭和20年の空襲で焼け野原になった町の、復興祈願の花火」という話は全国的に知られるようになったが、私の身内もその空襲で亡くなっている。そんな悲しい話はさておき。

 今年は東京の自宅でテレビ鑑賞。全体の傾向としては、シンプルな牡丹で色をきれいに見せようという原点への回帰を感じた。
 ここ数年の流行だった時差式発光球や、八方咲きの変わり種バージョンなどのアーティスティックな玉は、数が減った。という評論家気取りを書いても、痛くなりそうだからやめよう。

 フェニックスは、去年まで「一羽だけいる青い鳥が見えたら幸せになれる」と言われていたブルーフェニックスを、今年はわかりやすく、誰にも見えるようにラストに並べて飛ばした。
 そもそも、蝶々みたいな形の不死鳥が飛ぶこと自体、一般層に認知されていたのか怪しいが、それはラストの錦冠菊の乱れ打ちと不死鳥の色が重なってしまい、見えにくかったためだ。
 今年はカムロの乱れ打ちの後、一拍おいてから、青の不死鳥と金の不死鳥が違う高さで飛び、判別しやすかった。

「故郷はひとつ」は、花火は素晴らしいのに、音楽が明らかな失敗作なので、さっさとこの曲に見切りをつけるか、阿木燿子・宇崎竜童にもう一度頭を下げて作り直してもらうか、どっちかにしたほうがいいと思う。

 ヤクルト戦も同時にちらちら気にしながら見ていたら、2日は天地人の真っ最中に山田哲人の同点ホームランが出てしまい、肝心な場面を見逃した。3日は創価学会の尺玉連発の真っ最中に、代打・広岡のホームランが出た。

 まとめ。
 打上花火なんて、空にお金をばら撒くようなもので、ある意味、無駄遣いの最たるものだと思うけど、大勢の人を元気にして生きる力を与えられるのなら、お金なんかナンボでも無駄遣いしていいんだよって、長岡花火を見るたびに思う。

 

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