王様の「秘密の参謀本部」

田端到&ビンゴ本郷の実験創作プロジェクト

義足のジャンパー

2014-08-30 18:28:50 | CGマンガ

 前回、義足のアスリートの話を書いたら、ちょうどテレビ番組も義足ラッシュ。
 NHK教育の障害者バラエティ「バリバラ」では切断ヴィーナスを大々的に扱い、「スーパープレゼンテーション」ではハイテク義足で有名なMITメディアラボのヒュー・ハー教授の再放送。とどめは「24時間テレビ」で義足の少女が富士登山に挑むという。

 そこで今後のために、義足のパラリンピアンのCGアニメーションを作ろうと、四苦八苦した断片がこれ。走り幅跳びのつもりです。

 







 ううむ。あまりに古くさい機械的な義足で、全然、速そうに見えない(笑)。もっとアディダスやナイキの義足みたいにカッチョいいヤツを作らないとダメだ。しかも走らせると、ヒザか足首かどちらかの関節がズレてしまう。

 というわけで今回は静止画の3コマだけ。ヒマがあれば改善します。
 
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パラリンピックとアイルトン・セナ

2014-08-20 19:56:28 | CGマンガ
 以下、一部は某月刊誌に書いた原稿だけど、発売までのタイムラグが長すぎて話題が腐りそうだから、再録しつつ補足。

・パラリンピックの記録がオリンピックの記録を上回るようになったとき、面白いことが起こるだろう--。
 これは私が15年ほど前に出した本に書いた一文で、ずっと興味を持ってウォッチングし続けてきたテーマである。
 
・7月26日、ドイツ陸上競技選手権。走り幅跳びにおいて、右ヒザ下義足のアスリート、マークス・レームが8m24の大記録をたたき出し、健常者の選手を上回って優勝するという大事件が起こった。

・パラリンピアンがオリンピアンの記録を超えたときに起こる「面白いこと」のひとつは、さっそく現実化した。
 ドイツ選手権の優勝者は通常、ヨーロッパ選手権の代表に選ばれる。しかし、マークス・レームは同大会のドイツ代表に選出されなかった。義足の有利性を指摘されたためだ。「レームの義足は、跳躍にバネのような効果を与える。だから公平ではない」と判断されたのである。

・専門家の分析だから、バネのような効果は本当なのだろう。レームのここ数年の記録の伸びは、普通のアスリートでは考えられないレベルで、記録の更新がハイテク義足というスポーツギアに拠る部分が大きいだろうことは想像できる。
 しかし、ならば、なぜ大会前にその詳細な検査、調査をしなかったのだろう? 

・バネ効果のある道具をつけて走り幅跳びをやるなんて、そんなの最初から反則に決まっている。ドクター中松がジャンピング・シューズをはいて走り幅跳びに出場したら即失格だ。
 なのに、レームは許されていた。そして結果が出た後に、許されなくなった。許されていた理由は「パラリンピアンだから」であり、許されなくなった理由は「健常者を上回ったから」である。

・つまり、健常者を追い抜きさえしなければ、おそらくバネ義足も特別な調査がされないままスルーだったのだろうし、大きな報道がなされることもなかった。
「この線よりこっち側に入ってくるなら、大目に見てあげるわけにはいかなくなるよ」という、歌舞伎町の裏カジノの扉みたいな、デリケートなラインを飛び越えてしまったのだ。

・アスリートの義足については、最近、為末大さんが各所で積極的に発言していて、とても参考になる。
 パラリンピアンの装具・器具はどこまで進歩し、どこから規制するべきか、オリンピアンとの共生は可能か、別種の競技として明確に分けるべきか……。2016年に開催予定のサイバスロン(サイバーアスリートによるオリンピック)や、慶応大学の稲見昌彦教授が提唱する超人オリンピックの構想など、いろんな矢印がひとつの像へ向かって集結しつつあるように感じる。

・義足のサラブレッドが登場する、なんちゃって競馬漫画を数年前に描いたのも、この流れに沿ったものだった。人間ではなく、馬にしたのは、そちらのほうが倫理面のコードを気にせず描きやすいからだ。
 たとえば義足のアスリートの足を、他の選手がレース中に蹴飛ばしてブロックする場面は描きづらいが、義足のサラブレッドなら、隣の馬がその足を蹴飛ばす場面を描ける。わざと地面がぼこぼこした悪路に追いやる場面を描ける。そんな暗喩を、馬を使ってやりたかった。

・でも、そんな下手な気の使い方は不要だったのかもしれない。パラリンピックについては過去、何度か雑誌の原稿に取り上げてボツをくらったことがあり、だから自分の中で自主規制が働いてしまう。
 パラリンピアンがオリンピアンの記録を超えたときに起こる「面白いこと」。それは、健常者が障害者を上から見ることができなくなる。もっとはっきり言えば、同情的な視線で障害者スポーツを語れなくなることだ--。と、これがボツになった原稿の内容である。まあ、実際は「愛は地球を救う」に絡めながら、もっと皮肉っぽい書き方をしてしまったから、ボツは仕方なかった。
 しかし、義足の開発者でもあるソニーCSL研究員の遠藤謙さんの最近のコラムに、同様の指摘がストレートに書かれていて、あのボツの記憶が一気によみがえってきた。現場で義足を作っている人の言葉は重い。

・義足のアスリートといえば、オスカー・ピストリウスについても一言。例の射殺事件以来、すっかり触れにくい空気になってしまったが、私が気になっているのは、ピストリウスの自宅から筋肉増強剤や注射針が見つかったという報道があり、それについてのフォロー記事をほとんど見かけないことだ。
 射殺が事故だったのか事件だったのかは、競技と関係ないし、ここで語りようがないとしても、ドーピング疑惑についてはもっと詳細を報じられるべき、もっと議論されるべきだろう。パラリンピアンのドーピング検査は、オリンピアンと同等の厳しさで行なわれていたのかとか……ああ、やっぱり自主規制が働く。

・長くなったので急ぐ。私が義手や義足を使ったスポーツに興味があるのは、これらの科学技術が人間の持つ身体機能を拡張させ、眠っている能力を目覚めさせる可能性に想いを馳せるからだ。
 逆説的に言えば、義手や義足は障害者のためだけのものではなく、健常者ももっと使えばいい。健常者がそれをつけて競技する種目があってもいい。医者の手術支援ロボット「ダヴィンチ」などもこのカテゴリーに入る。フォークリフトもそうか。

・そうやって定義を広げていくと、ひとりのアスリートに行き着く。アイルトン・セナである。
 1980年代、F1の世界を制した「セナ+ホンダのテレメトリー・システム」は、人類史上最初の、身体+機械の幸せな融合例だった。あれがたぶんサイボーグの最初の到達点である。パトレイバーやらエヴァンゲリオンやらのSFアニメに求めなくても、1980年代にそれは既に実在した。

・テレメトリー・システムは今やどのチームも採用する当たり前の技術になったが、現状は、身体機能を補助するメカニカルな道具に成り下がっている。しかし、セナ+ホンダの場合は「補助」ではなかった。
 セナという突出した才能の身体データを逐一記録し、それをリアルタイムにフィードバックすることで、セナがさらに一段先へ進む。それを記録することでテレメトリーシステムの側も進化し、さらなるフィードバックでセナがまた先へ進む。補助ではなく、「相互進化」の繰り返し。これこそ人間とテクノロジーの理想的な関係である。

・F1マシンという「センサー満載のパワードスーツ」により、身体機能の拡張、および運動能力の飛躍的覚醒に成功した先駆けのモデルケース。それがアイルトン・セナ withホンダだった。
 そう遠くない未来。パラリンピアンがオリンピアンの記録を当たり前に上回るようになった頃、そんなサイバーアスリートとしての再評価がセナにくだされる日が来るのではないか。私はそう思っている。

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長岡花火2014

2014-08-05 12:32:12 | Weblog
動画リンクまとめておきます。

8月3日 天地人 野村花火工業
https://www.youtube.com/watch?v=9Gis3RP3lps
8月3日 この空の花 マルゴー
https://www.youtube.com/watch?v=ify87XzrN_c
8月3日 フェニックス10(遠景)
https://www.youtube.com/watch?v=ujMVdpUM6cc

8月2日 天地人 小千谷煙火興業
https://www.youtube.com/watch?v=-8DEhU_fMes
8月2日 この空の花 マルゴー
https://www.youtube.com/watch?v=aCJn15OuUmk
8月2日 フェニックス10(やや仰角)
https://www.youtube.com/watch?v=9bppEG3ZWok

 個人的には毎年、マルゴーさんのをベストワンと感じることが多い中、今年は野村さんの天地人が素晴らしすぎて感嘆符の連打。序盤の四重芯の完璧さとか、中盤の八方咲きのたたみ掛ける美しさとか、あとは紅の使い方が独特だと思う。

 マルゴーさんのは2日目のほうが良かったと思ったけど、動画を見直したら1日目もイイ。技術的にはパステルカラーの発色の鮮やかさが抜群とか、グラデーション牡丹の往復変化がすごいとか、そういうことなんだろうけど、もっと根源的な色彩のセンスや、空というキャンバスへの配置レイアウト(たぶん9分割で考えているのではないかと推測する)、光をどう使うかの意識の高さが、ほかとは違う。
 それとあの規模の大花火を2日連続で、しかもまったくパターンを変えてくるところに、職人のプライドと能力の高さがにじみ出ている。2日目の終盤近くの、あの花の色のきれいなこと。

 初日の小千谷煙火さんの天地人は、音楽が途切れて気の毒だった。どうしても野村さんと比べられてしまうハンデはあるとしても、ラストの錦冠の使い方はこれぞ長岡花火だと思う。でも途中、いびつな玉が多かったのは気になった。

 フェニックスは撮影角度の違う2パターンを貼ってみた。10年目の特別版フェニックス、さすがにいつもより金もかかっているだけあって良かったっすねえ。
 時間が長くなった分、余裕ができて緩急もあったし、中盤にも不死鳥が飛んだり、ラスト近辺に千輪菊があったり(今までなかったよね?)。最後の不死鳥も、年によっては錦の色とかぶって見づらいけど、今年ははっきり羽ばたいてました。

 そんで、ますます影が薄くなっているのが三尺玉っすよ。言っちゃいけないのか、これは。
 もう何発連続、黄金すだれなんだよ。去年も4発全部、今年も4発全部、黄金すだれ小割り浮模様。そりゃ三尺玉の大きさや迫力をもっとも見せやすい玉なんだろうけど、1発くらい千輪か何か混ぜてくださいよと強く思う。
 片貝の四尺玉できれいな千輪菊があがっているのを見ると、なおさら、なぜ毎年全部、黄金すだれなのか、理解に苦しむ。小割り浮模様もきれいに出たのは4発中、2発か? 

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