サーファー院長の骨休め

“ビッグマッサータハラ”のライフスタイル

「夢に拘れ」

2024-02-22 | サーファー院長の骨休め by 毎湘通信
「夢に拘れ」                  2024.2月

 マンハッタンを見下ろす高層ビルの展望台から自由の女神に向かって「世界一のマッサージ師になる。」と意気込んだ時の腹の底の震えは、武者震いでもなんでもなかった。「お前の行きたいのはハワイじゃないのか?違うと思っているのになぜに行く。」20代の自分は精一杯背伸びしようとしながら、自分の首を絞めていた。「大成してやる。」そうやって不安を封じ込めながらアメリカ行きの手続きを進めていた。「俺はニューヨークに行く。」と宣言し、修行先に辞表を出し、大使館でビザの申請を行った。しかしビザは発給されなかった。送別会の翌日、29歳で無職になった。

 サーフボードを持ってオーストラリアに旅に出た。現地で語学学校に通いながら、色々なセラピストを訪ねて回った。ステイ先の看護師の伝手でホスピスで療養する末期がん患者のドイツ人女性と出会った。言葉は全く通じず、身振り手振りで首や背中の不調を訴える。彼女にマッサージをすると、強張った顔が笑顔になった。
 また別の日には、在宅療養中の末期がん患者の家で肩が上がらないという症状に対して施術をすると「あなたのような技術を持った人にはこの国では会ったことがない。感動した。ありがとう。」と目に涙を浮かべて喜んでくれた。
 自分の技術は、世界中どこへ行っても人を喜ばせることができるのか。拠点がどこであれ、自分が移動すれば私を必要としてくれる人に会いに行くことができる。次への動機が見つかった。
 そんな時、日本からいいテナントが空いたという連絡が入った。「ここでやるしかない。」1994年12月、大磯で治療院を開業した。

 今回「しくじり先生」として話をした。「夢に拘れ」夢は、理想を掲げ、計画し、実行し、実現する。今はもうハワイの大波に乗りたいとは思わない。20歳の時に味わった不完全燃焼を長い年月を掛けて自分なりの形で納めたのだ。夢に拘ってしまったからこそ得たものもある。このライフスタイルが理想なのかもしれない。

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