「弟子」 2024.7月
マッサージ界にも徒弟制度があった。今から40年前、私はマッサージの学校に入った。湯河原のみかん山の中腹にある平屋でトタン張りの専門学校には、北海道から沖縄まで全国から生徒が集まっていた。クラスの半分は高校を卒業したての人たちだった。また大学浪人から方向転換した人や脱サラした人など様々な経歴の人たちがいたが、親が治療院を経営していて、家業を継ぐために学びに来たという人たちが少なくなかった。
授業が終わるとクラスメイトたちは、湯河原や箱根の温泉場を拠点とする治療院に住み込み、夜遅くまで働いた。私は、大井町のサウナで掃除やカウンターで生ビールを注いでいた。合間にマッサージ室で先輩マッサージ師から指導を受けた。そこへ後に私の師匠となる先生が頻繁にマッサージに掛りに来ており、彼に引き抜かれたのだ。その治療院での修行は厳しいとの噂を聞いていたので、相当の覚悟を持って弟子入りしなければならなかった。学校に通いながら午前中働き、放課後また仕事という生活が始まった。見習いの仕事は、タオルの洗濯やスタッフの食事の用意など雑用だった。営業が終わるとマッサージを教わり、体を鍛えた。拳で逆立ちし手首を鍛え、指立て伏せで指を鍛え、仕事に耐えられる体を作った。半年程経ったある日、急遽腰痛の患者さんを任されることになり、無我夢中で指圧した結果、好反応。「やればできるじゃないか。」と初めて師匠に褒められたことが嬉しかった。
こうして経験を積みながら後輩を指導する立場にもなった。6年半の修行を終え、大磯で独立した。開業後はがむしゃらに働いた。店舗を拡大し、自分にも弟子ができた。つづく。
