昨日の「大磯市」。
天気も良く、風も弱く、穏やかな大磯市日和でした。
大磯市というアウトドアでのマッサージ、緊張感がありますね。
時間が短いということ。
10分1,000円です。
患者さんは、1,000円分の期待をしてベッドに上がるのだから、
1,000円でも、10,000円の価値のある仕事をしたい。
周りで人が見ています。きっと凄い勇気を振り絞って、「マッサージお願いできます?」って
申し込んだのだと思います。
周りの喧騒を振り払って、10分の中で何ができるのか、瞬時に判断し、結果を出さなければいけない。
180cm四方のスペースで勝負しているのです。
人の動きを目で追うのが好きなのか。
道行く人の動作観察を今この患者さんにフィードバックする行為が楽しいのかもしれません。
時には、知り合いが通って、「おー元気ですか?」とか、「波どーだった?」「最近どぉ?」
仕事をしながら通りすがりの人と会話できるのも集中と抜きのメリハリがあっていいです。
昨日治療をさせていただいた皆様、ありがとうございました。
天気も良く、風も弱く、穏やかな大磯市日和でした。
大磯市というアウトドアでのマッサージ、緊張感がありますね。
時間が短いということ。
10分1,000円です。
患者さんは、1,000円分の期待をしてベッドに上がるのだから、
1,000円でも、10,000円の価値のある仕事をしたい。
周りで人が見ています。きっと凄い勇気を振り絞って、「マッサージお願いできます?」って
申し込んだのだと思います。
周りの喧騒を振り払って、10分の中で何ができるのか、瞬時に判断し、結果を出さなければいけない。
180cm四方のスペースで勝負しているのです。
人の動きを目で追うのが好きなのか。
道行く人の動作観察を今この患者さんにフィードバックする行為が楽しいのかもしれません。
時には、知り合いが通って、「おー元気ですか?」とか、「波どーだった?」「最近どぉ?」
仕事をしながら通りすがりの人と会話できるのも集中と抜きのメリハリがあっていいです。
昨日治療をさせていただいた皆様、ありがとうございました。
「大磯市」出店のお知らせです。
3/17(日)の大磯市に今年初の出店をします。
あなたのカラダのいい所を御見立て致します。
10分1,000円です。
会場でお待ちしております。
仕事中でも声を掛けていいですよ。
よろしくお願いします。
大磯市
3/17(日)の大磯市に今年初の出店をします。
あなたのカラダのいい所を御見立て致します。
10分1,000円です。
会場でお待ちしております。
仕事中でも声を掛けていいですよ。
よろしくお願いします。
大磯市
「震災の記憶」
この写真は、2年前の3月11日の午前中に撮ったもの。
この日、大磯港に新しい灯台を設置するという情報を聞きつけ、スタンダップで沖の工事現場まで近付き、写真を撮った。
この日は、今日と同じような晴れ渡ったいい日だった。
波は、なかったのだが、ロングやスタンダップなら少し乗れて、少人数で遊んだ。
それから数時間後地震が起こった。
昼過ぎから南西が吹いてきて、腰位の風波になって、その時間サーファーが数人入っていた。
津波警報が出て、沖には、白い漁船やこの灯台工事の船が港の離れた所に停泊していた。
門扉は全て閉められ、西湘は通行止め、道路は、たちまち大渋滞となった。
この写真は、2年前の3月11日の午前中に撮ったもの。
この日、大磯港に新しい灯台を設置するという情報を聞きつけ、スタンダップで沖の工事現場まで近付き、写真を撮った。
この日は、今日と同じような晴れ渡ったいい日だった。
波は、なかったのだが、ロングやスタンダップなら少し乗れて、少人数で遊んだ。
それから数時間後地震が起こった。
昼過ぎから南西が吹いてきて、腰位の風波になって、その時間サーファーが数人入っていた。
津波警報が出て、沖には、白い漁船やこの灯台工事の船が港の離れた所に停泊していた。
門扉は全て閉められ、西湘は通行止め、道路は、たちまち大渋滞となった。
「震災の記憶」
震災6ヶ月後の2011年9月に神奈川県鍼灸マッサージ師会の一員として宮城県亘理町にマッサージのボランティアに行った。
前夜土曜日の夕方に出発し、東北道をひた走り、松島に宿泊した。
早朝亘理町へ向かった。
仙台市街を右側に見ながら、南下して来ると田んぼの中に裏返しになった船が横たわっている光景が目に入ってきた。
阿武隈川を越えて、海に近い所まで来ると瓦礫の山に行く手を阻まれた。
そこから数分南下し、海に出れそうな道を進み、車を停めた。
松林には、水が溜まりラグーンが出来ていた。
そこで撮った写真がこれだ。
折れたスクール用のスポンジボードが浮かんでいた。
これは、どうしてここにあるのか?
持ち主は、生きているのか?
最初から折れていたのか、それとも津波の流れの中で折れてしまったのか?
想像してしまう。
この上に防潮堤があり、そこをよじ登ると海が開けた。
腰、胸のきれいな波が折っていたが、サーファーの姿は、どこにもなかった。
南北に何キロもつながるその堤防は、全て破壊されていて、復旧工事中だった。
その後、町内の仮設住宅に行き、ボランティアをした。
その時の様子は、→こちら。
震災6ヶ月後の2011年9月に神奈川県鍼灸マッサージ師会の一員として宮城県亘理町にマッサージのボランティアに行った。
前夜土曜日の夕方に出発し、東北道をひた走り、松島に宿泊した。
早朝亘理町へ向かった。
仙台市街を右側に見ながら、南下して来ると田んぼの中に裏返しになった船が横たわっている光景が目に入ってきた。
阿武隈川を越えて、海に近い所まで来ると瓦礫の山に行く手を阻まれた。
そこから数分南下し、海に出れそうな道を進み、車を停めた。
松林には、水が溜まりラグーンが出来ていた。
そこで撮った写真がこれだ。
折れたスクール用のスポンジボードが浮かんでいた。
これは、どうしてここにあるのか?
持ち主は、生きているのか?
最初から折れていたのか、それとも津波の流れの中で折れてしまったのか?
想像してしまう。
この上に防潮堤があり、そこをよじ登ると海が開けた。
腰、胸のきれいな波が折っていたが、サーファーの姿は、どこにもなかった。
南北に何キロもつながるその堤防は、全て破壊されていて、復旧工事中だった。
その後、町内の仮設住宅に行き、ボランティアをした。
その時の様子は、→こちら。
「震災の記憶」
もうすぐ、2年が経とうとしている。あの時世の中は、混沌としていて、人々は、マッサージになど掛かる雰囲気ではなかった。
予約のキャンセルが続出し、自分に出来ることは何か考えていた。
近くに福島県から避難してきた方がいるとのことで、治療させていただいた。
その時の話は、→こちら。
大磯も津波警報の解除は、なされたものの誰も海に入る気になれず。海は、しーんと静まり返っていた。
そんな中、以前から巨大サーフボードの件で連絡を取り合っていた岩手の佐々木先生と電話で話すことができたのは、地震から2~3週間後だったと思う。
洋野町も被災し、自身の家は、無事だったが、海岸沿いは、凄い状況だとのことだった。
それから、3ヶ月後の6/28早朝3時に大磯を出発し、岩手県洋野町へ向かった。
写真は、八戸線の有家(うげ)という駅で、目の前がサーフポイントだが、誰もいなかった。
津波で線路が引きちぎられ、枕木や漁具がまだ散乱していて、周辺の木々がなぎ倒されていた。
そこまで水が来たということが、一目で分った。
三陸の海は、何事もなかったかのように、青く輝いていた。
もうすぐ、2年が経とうとしている。あの時世の中は、混沌としていて、人々は、マッサージになど掛かる雰囲気ではなかった。
予約のキャンセルが続出し、自分に出来ることは何か考えていた。
近くに福島県から避難してきた方がいるとのことで、治療させていただいた。
その時の話は、→こちら。
大磯も津波警報の解除は、なされたものの誰も海に入る気になれず。海は、しーんと静まり返っていた。
そんな中、以前から巨大サーフボードの件で連絡を取り合っていた岩手の佐々木先生と電話で話すことができたのは、地震から2~3週間後だったと思う。
洋野町も被災し、自身の家は、無事だったが、海岸沿いは、凄い状況だとのことだった。
それから、3ヶ月後の6/28早朝3時に大磯を出発し、岩手県洋野町へ向かった。
写真は、八戸線の有家(うげ)という駅で、目の前がサーフポイントだが、誰もいなかった。
津波で線路が引きちぎられ、枕木や漁具がまだ散乱していて、周辺の木々がなぎ倒されていた。
そこまで水が来たということが、一目で分った。
三陸の海は、何事もなかったかのように、青く輝いていた。