今日の朝日新聞15面の論壇時評、「あすを探る」の執筆者は映画監督の森達也氏だった。
戦争は自衛の暴走で始まるというという文章は、いろいろな意味で考えさせられるものだった。
ドイツのメモリアルは加害。そして日本のメモリアルは被害。
不思議な気がする。
6月14日に行われた、佐世保空襲を語り継ぐ会の「平和のつどい」でも、「戦争中は大変だった、辛かった、」「戦後も食料難で辛かった。とにかく食べられるものは何でも食べました」
…と、3人の方が自分たちの辛い思い出を語られた。
確かに、年若い少女たちには辛い思い出だっただろう。
しかし、私たちはもっと想像力を働かせなければならない。
第2次世界大戦の死者は約6000万人と言われている。
そのうちドイツが約9,000,000万人。死者は軍人のほうが多い。
日本の死者は、3,000,000万人前後だと言われている。日本も軍人のほうが多い。
日本が侵略していった中国ではどうだろうか。
戦争によって、全世界で6000万人が亡くなったが、その3分の1、2000万人が亡くなっている。
それも、民間人が軍人の2倍も亡くなっているのだ。
私の父方の叔父は学徒兵だった。
卒業を繰り上げて戦地へ赴き、すぐに亡くなった。
母方の伯父はもう結婚もし、子供も2人いたが南方へ送られ、塹壕を掘っている最中に砲弾が当たり死亡した。戦死公報がきて白木の箱も送られてきたが、中には遺骨など入っておらず、石ころと砂だけが入っていたそうだ。きっと木っ端微塵になったのだろう。
夫の父は、夫が生まれて3ヶ月目に南シナ海に散った。
乗っていた船が爆撃を受け、船ごと沈んだのだ。
初めての子供を見ることもなく、抱くこともなく死んでいったのだ。
夫は自分の父親の死は「犬死だった」と言う。いくら靖国に奉られようとも、戦争で死んだ人たちは犬死でしかない。
子供や孫たちを犬死させないために、声を上げる。戦争につながるものに反対の意思表示をする。
それが、私たち団塊の世代の役目だと思う。
戦争は自衛の暴走で始まるというという文章は、いろいろな意味で考えさせられるものだった。
ドイツのメモリアルは加害。そして日本のメモリアルは被害。
不思議な気がする。
6月14日に行われた、佐世保空襲を語り継ぐ会の「平和のつどい」でも、「戦争中は大変だった、辛かった、」「戦後も食料難で辛かった。とにかく食べられるものは何でも食べました」
…と、3人の方が自分たちの辛い思い出を語られた。
確かに、年若い少女たちには辛い思い出だっただろう。
しかし、私たちはもっと想像力を働かせなければならない。
第2次世界大戦の死者は約6000万人と言われている。
そのうちドイツが約9,000,000万人。死者は軍人のほうが多い。
日本の死者は、3,000,000万人前後だと言われている。日本も軍人のほうが多い。
日本が侵略していった中国ではどうだろうか。
戦争によって、全世界で6000万人が亡くなったが、その3分の1、2000万人が亡くなっている。
それも、民間人が軍人の2倍も亡くなっているのだ。
私の父方の叔父は学徒兵だった。
卒業を繰り上げて戦地へ赴き、すぐに亡くなった。
母方の伯父はもう結婚もし、子供も2人いたが南方へ送られ、塹壕を掘っている最中に砲弾が当たり死亡した。戦死公報がきて白木の箱も送られてきたが、中には遺骨など入っておらず、石ころと砂だけが入っていたそうだ。きっと木っ端微塵になったのだろう。
夫の父は、夫が生まれて3ヶ月目に南シナ海に散った。
乗っていた船が爆撃を受け、船ごと沈んだのだ。
初めての子供を見ることもなく、抱くこともなく死んでいったのだ。
夫は自分の父親の死は「犬死だった」と言う。いくら靖国に奉られようとも、戦争で死んだ人たちは犬死でしかない。
子供や孫たちを犬死させないために、声を上げる。戦争につながるものに反対の意思表示をする。
それが、私たち団塊の世代の役目だと思う。
おっしゃる通り 戦争ほど無意味で人権を無視した行為は無いと思います。
人が殺し殺されるそんな行為は決して許せない。
子や孫たちが未来永劫戦争に駆り立てられることの無いように
反対の意思表示をし続けなければいけないですね。
戦争への道をひた走るこの政権をどうにかしなければと思いつつ何も出来ずにいます。
自分たちの生き方を変えると豪語していた全共闘世代はどこに行ったのでしょうか?
起死回生の策を弄するより、これまでやってきたことを確実にやり続けることが大事かな、と思っています。