西風に吹かれて

日本の西端にある基地の街から、反戦や平和の事、日々の雑感を綴ります。

水道だより(平成25年10月)

2013-10-29 22:54:02 | 石木ダム
10月16日の新聞各紙の朝刊に、佐世保市水道局発行の「水道だより」が折り込まれてきた。



「水道だより」は2004年6月に第1号が発行されて以来、現在まで不定期に14号まで発行されている佐世保市水道局の広報紙だ。他に「水道だより」特別号が2度発行されている。
今回は「特集号」としてあり、特集と銘打ったのは初めてのことだ。

内容は、9月6日に事業認定の告示が行なわれた「石木ダム」についてだ。

石木ダムの事業認定申請は、4年まえの平成21年11月9日に事業認定庁に提出された。この事業が認定されれば、土地の強制収用が可能になることから、私たちは強く反対し申し入れも行なってきたが、長崎県も佐世保市も佐世保市水道局も「あくまで話し合いの進展を図るため」として事業認定申請を行なったのだ。
 
今年、事態は大きく動いた。
 
1月、水道局は5年毎に行なっている厚労省の再評価を、「再評価委員会」を立ち上げず水道局に常設されている経営検討委員会に諮問したが、この委員会の委員8人のうち3人は、「石木ダム建設促進佐世保市民の会」の構成団体のメンバーであった。そして、もう1人、川棚町の「石木ダム建設促進川棚町民の会」が行なった講演会で、ダム推進の立場から「ダムを作って町起こしをしよう。」と話したホテル・旅館業組合の理事長も入っている。メンバーの半分がダム建設に賛成であり、とても公平・公正な第三者機関とはいえない委員会が出した結論は当然ながら「ダム建設が必要」というものだった。
3月、川棚町で公聴会が行なわれた。
公平に判断しても、ダム建設反対の意見が、賛成意見を論破している。
この後、「社会資本整備審議会公共用地分科会」で審議され、その結果「事業の認定をすべきであるとする九州地方整備局長判断を相当と認める。」と議決されたが、この審議会での委員の意見は(議事要旨)ダム建設には全て懐疑的である。

・自治体が過去に見積もった水需要が実態と乖離し、財政処理に困っている例も見られる。利水起業者が、将来にわたって事業費を負担することが可能なのか、途中で撤退することがないのか。
・渇水と洪水の対策として理解しているが、工場用水もあるため、人口が全体として減少する中では、最終的に企業のためだけという形にみられてしまうのではないか。
・用地の取得状況について、ダム事業にしては、未買収の率が高いような気がする。
・山林の保水力を鑑みれば、山林を開発する施策を行なう一方で、ダムを作るという関係は、今後の洪水・利水対策などの論議で、もう少し深く議論する必要があるのではないか。


これだけの意見が出ながら、それでも「石木ダム」は事業認定されてしまった。
認定後の記者会見で「あくまで地権者との話し合いのための申請だ」と言っていた知事は「理解が得られない場合は(強制収用が)選択肢としてありうる」と発言を転換している。

こうした流れの中で今回の「水道だより」は発行され、当然ながら「石木ダム」建設に懐疑的な意見など皆無である。ダムによって得られる公共の利益には1ページを割いているが、失われる利益の紙面は3分の1。それも、魚や鳥や植物についてのみで、そこに住み続けたいと願っている地権者13世帯60人については、一言の言及もないのだ。





そして、
〇現在でも水が不足している(これまでで最高の参加者と発表された「よさこい祭り」の期間ですら安定水源77,000トンからおつりがくる状況で水は不足していない。)
〇将来も水が不足する(水が必要だとする根拠だったSSKの工場用水は、SSKの経営縮小・人員削減で根拠がなくなった。)
〇安定して取水可能な水源確保が必要(上記のことにより、水源確保は必要とはいえない。)
〇緊急性がある(石木ダムの計画から50年。これまでダムが無くても生活してきた。平成6年の渇水からでも、もう20年が経過している。どこに緊急性があるだろうか。)
ということを、2ページにも渡って書いてあるのだ。

無駄な公共事業に税金を投入せず、佐世保市水道局は、もっと現実を見るべきではないか?
3年前には、赤字で水道料金を値上げし、一般会計から毎年2億円の繰入金を支援してもらっている企業なのだ。このようにりっぱなカラー刷りの「水道だより」を新聞折込で配布しないことだ。この特集号にかかったお金はどれほどなのだろうか。

第4回実行委員会

2013-10-25 07:57:32 | 石木ダム
昨日は長崎で、「やめさせよう石木ダム建設!全国集会」の実行委員会が開かれた。

9月6日に、認定庁である国土交通省九州地方整備局は土地収用法による事業認定を告示した。これによって、「石木ダム」建設は、土地の強制収用が可能になったのだ。

ひらたく言えば、「ここに住み続けたいから土地は売りません」と言っても、ダム建設に必要だからと住んでいる人を追い出すことが出来るようになったのだ。

ダム建設計画から50年余り、これまで石木ダムが無くても佐世保市民は生活できた。
確かに渇水で大変なときもあったが、佐世保市だけの問題ではなかったはずだ。
渇水に苦しんだ他の都市は、早々に打開策を打ち出して、問題の解決に取り組んだというのに、佐世保市と長崎県は「石木ダム」があるさ、とばかりに他の方法の検討などなにもやってこなかったのだ。

これまでの経過を見ると、佐世保市というより長崎県が主導的立場で、佐世保市の石木ダム以外の水源確保を邪魔してきたように思われる。

今は亡き、桟元市長が退陣の取材に応じて朝日新聞に語っている。



このような経過の中で、石木・川原(こうばる)の方々は翻弄され続けてきたのだ。

これからの時代は、脱ダムの時代だ。

人口の大幅減少の佐世保市に、水道局のいう工業用水大幅UPが必要とされる佐世保重工業が事業縮小されるときに、どうしてダム建設をしてまでも水が必要だろうか?





私たちは、佐世保市民の責任としてもこの計画を潰さなければならない。

10.21国際反戦デー

2013-10-21 22:51:37 | 反戦・平和
今日は「国際反戦デー」。

47年前の1966年10月21日、当時の総評がベトナム戦争に反対してストライキを行ない、全世界の労働者たちにベトナム反戦を呼びかけたことが起源となっている。

私たちの世代では、10.21といえば「ベトナム戦争反対」であり、思い出すのは新宿駅構内の占拠だろうか。





1967年に新宿駅でアメリカ軍のジェット燃料が爆発する事故が起こったが、当時、アメリカ軍はベトナム戦争に使用する武器弾薬を日本にある米軍基地からベトナムへと輸送していた。
北九州の山田弾薬庫や広島の川上弾薬庫からも、ベトナムへ大量の弾薬が運ばれた。

そして、1968年の10月21日に米軍のジェット燃料輸送・弾薬輸送に反対して、学生たちが駅構内を占拠したのだ。

若い私たちの正義感はどうしてもベトナム戦争を許すことが出来なかった。

岡村昭彦の「南ベトナム戦争従軍記」を読み、沢田教一の写真を見て、アジアを虫けらのように見下す大国に怒りが湧き上がっていた。そして、その戦争を支持し、支援する自民党・佐藤内閣にも怒っていた。

当時の若者たちは声をあげ行動していたし、それは何も特別のことではなく、ごく普通の一般のサラリーマンだったり、事務員だったり、店員だったりという若者たちが行動していたのだ。

今日は、元若者だった年配者が多く、落ち着いた集会となった。



集会決議は「国家安全保障会議設置法案」「特定秘密保護法」に反対し、「脱原発」「オスプレイ」配備撤回を訴えたものだった。



集会後のデモ行進にも、かなりの人が参加していた。

元若者にも、まだまだ熱い気持ちがあるのだ。

石木ダムの事業認定

2013-10-19 21:15:51 | 石木ダム
今朝の長崎新聞2面の「論説」に石木ダムのことが書かれている。

書き手は編集委員の森永玲氏。

森永さんは、若かりし頃に佐世保支局で活躍をされていた方だ。颯爽と取材に飛び回られていた姿がよみがえってくる。その森永さんが、今回の国の「石木ダムの事業認定」について懐疑的な視点で論説を書かれているのだ。



「切実度が県民に理解されにくい状況」「説得力を持つ事業であるべき」

そして、「強制収用など論外」と結ばれている。

地元の長崎新聞がここまで書くということは、この事業が県民には全く理解されていないと言うことではないか。

データを客観的に見る限り、石木ダムの必要性はどこにもないのだ。

やより賞

2013-10-18 19:46:56 | 原発事故
今年の「やより賞」が、福島原発告訴団・団長で、ハイロアクション福島40年実行委員会の武藤類子さんに決まった。

「やより賞」は、元朝日新聞編集委員で戦争と女性への暴力に反対し、戦時性暴力である従軍慰安婦などアジアの女性問題を追及されてきた松井やよりさんの遺志に連なる活動をしている女性に贈られる賞だ。

 

松井さんは「女性の平和資料館」の建設を願っておられたが、生前には叶わなかった。
しかし、その志を受け継ぐジャーナリストの西野瑠美子さんや辛淑玉さんら沢山の女性の手によって東京・新宿の西早稲田に「女たちの戦争と平和資料館」が建設されたのは2005年のことだった。

その年から、この「やより賞」が設立され、これまでにアジアで地道に活動を続けてきた女性たちに賞が贈られてきた。

そして、今年は福島の武藤類子さんに贈られたのだ。

「司法の場で、原発事故の責任を問うことが、被災者が前に進む第一歩になる」と言う武藤類子さんの活動は心を動かされるものだ。



「原子力発電はウラン採掘の時点から被ばく者を生み、人の犠牲の上に成り立った発電システムである」と語る武藤類子さんを応援したい。

私も同じ気持ちを持って闘っていきたい。