西風に吹かれて

日本の西端にある基地の街から、反戦や平和の事、日々の雑感を綴ります。

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「反骨の砦」蜂の巣城闘争 

2018-07-25 09:45:18 | 石木ダム
大分県と熊本県の県境に造られた「下筌ダム」。

そのダム反対運動のリーダーだった室原知幸さんの闘いのドキュメンタリー。

監督はあの大島渚。

昨日の長崎新聞「記者の目」でも取り上げられていた「公共事業は法にかない、理にかない、情けにかなわなければならない」という有名なことばを言った方である。







石木の地権者にどれほどの勇気を与えてくれているだろうか。


「反骨の砦」蜂の巣城闘争 日本テレビ1964年
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大石芳野講演会

2018-02-25 20:14:01 | 原発事故
20日から風邪気味で調子が悪く、石木の座り込みがお休みの土・日にゆっくりと寝ていようと思っていたのに…。

長崎の知人から、写真家の大石芳野さんの講演会をやるのでぜひ来てほしいとのメールが飛んできた。

だいたい今日、長崎では東京新聞の望月衣塑子さんの講演会が予定されている。気分が良かったらそちらに行こうと思っていたくらいなのだ。

きっと参加者が少ないので、私にまでSOSを出したのだろう。

毎月「19日佐世保市民の会」のデモにも長崎から参加してくれているし、これは行かなければならないだろう。


長崎はランタンフェスタの真っ最中で、浜の町は人でごった返している。
その中を抜けて、市民会館へと向かった。

主催者は心配そうな様子だったが、70名ほどの参加があり私も他人事ながらちょと安心した。



大石さんは74歳。体は大丈夫なのだろうかと心配になるほどほっそりされていたが、お年よりずっと若々しく、やはり第一線で頑張っている方は違うんだと思わずにはいられなかった。

話しはお世辞にも上手とは言えなかったが、自分が撮られた写真を示しながらの誠実な話し方が心に沁みた。


フクシマから遠く離れた九州に住んでいると、いまなお続いている原発事故の被害もどこか他人事のように思ってしまっている。

こんな自分ではいけないと改めて思い、毎年フクシマの子供たちを長崎に呼んで保養を行っている知人たちに頭が下がる思いだった。

しかし、話によるとその保養が批判されているのだという。
「フクシマを差別している。」という声が上がっているとのこと。

本来一般人1年間にが浴びていい放射線量は1ミリシーベルトだったはずだ。
それを20ミリシーベルトまで引き上げて、「汚染されている故郷に帰っていい」とする帰還事業を推し進めているのは国ではないか!

フクシマの現在をもっと知りたくて、大石さんの写真集「福島FUKUSIMA土と生きる」を買った。



これからしっかり見ることにしよう。
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2018年ご挨拶

2018-02-07 18:34:39 | 反戦・平和
新しい年になり心機一転、全ての活動を頑張ってやろうと思っていたのだけれど、もう2月も1週間を過ぎてしまった。

1月はエンプラ事件を契機に生まれた「19日佐世保市民の会」のデモが600回を迎えることから、「エンプラ闘争から50年」の講演会とビデオ上映会を行って、とても忙しかったのだ。





いつもそうなのだけど、言い出しっぺが責任をもって最初から最後までやるというのがこの会の在り方なので、一人でバタバタとやってしまった。

でも、思ったより参加者も多く、みなさん懐かしんでくださったりやる気を出してくださったりで、とても嬉しく元気づけられた一日だった。

今年の幸先良いスタートが切れたようで、嬉しい。


今年1年どうかよろしくお願い致します。
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チャイルドラインさせぼ10周年

2017-11-26 08:16:02 | 市民活動
立ち上げから係わった(というにはあまりにもお粗末すぎるかかわり方だったが)子供たちの声を傾聴する「チャイルドラインさせぼ」が10周年を迎え、昨日、記念のシンポジウムが開かれた。





「チャイルドラインさせぼ」が出来たきっかけは、2004年に起きた少女が同級生を教室で殺害した「大久保小学校事件」だった。

この事件は教育現場にいる多くの教師たちに衝撃を与え、また多くの市民たちにも衝撃を与えた事件だった。

その前年には長崎市で中学生が幼児を殺害した事件も起こっていた。

「何とかして、このような悲劇を食い止めたい」と現場の教師の方々から声が上がり、教師から佐世保市議へ転身された女性市議の尽力で2007年に結成されたのだった。

大人の意見や指導といったことではなく、ただただ子供たちの声を聴き続けることはとても大変で、投げ出したくなることもあったが、10年続いてきたのだ。

資金もなく、会員が出す会費と企業などがボランティア団体に出す基金などを申請したりと運営には苦労してきた。

そのため事務所を維持することも困難で、この10年間に5回もの引っ越しを余儀なくされた。

そして現在、理解のある方の協力で部屋を貸していただき、「チャイルドラインさせぼ」は続いている。

昨日のシンポジウム参加者は120人。

地元新聞社の記者として、子供たちの事件を取材されその記事をまとめて本にされた坂本文生さん、子供の事件を医師として、また臨床心理士として検証された中根充文先生・古賀義先生にお話を伺った。



参加者のみなさんは熱心に話に聞き入っておられ、有意義なシンポジウムだったと感じている。

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付替え道路工事再開284日目

2017-10-23 19:53:02 | 石木ダム
台風一過。 今朝は秋晴れのいい天気となった。



重機も先週金曜日と同じ位置にあり、「大丈夫。動いていない。」とちょっとホッとする。






ダム事務所前にいる支援者からは、「応援が11人もきたよ。」と連絡が入る。

先週は水曜日に本庁から4人の応援が来ただけだったのに、今週は月曜日から大量動員だ。


午前9時15分、ダム事務所職員と本庁や他の振興局からの応援が正面ゲートを通り詰所に入る。



その後、3つの班に分かれて重機のそばにいる私たちのもとへやって来た。

開口一番、建設課長は「今日は重機は動かしません。上のほうの(里山)の伐採作業をやるだけです。重機のそばから離れて下さい。」と言う。



「早くここから離れて下さい。外に出ましょう。」

「あなた方が外に出たら私たちも出る。」

お互いこれの繰り返しだったが、らちが明かないと思ったのか建設課長は場所を移動した。


午前10時50分、気が付くと、向かい側の重機の傍で地権者のみなさんと所長との話し合いが行われている。

今年8月17日にダム事務所で知事との面談を求めての話し合いが決裂して以来の話し合いではないだろうか?

地権者のみなさんも大きな声を出すこともなく、所長もにこやかな表情だ。



私は一支援者に過ぎないし、地権者のみなさんと所長との話し合いがうまくいけばいいがな…と思って、離れた場所から見守っていた。

話し合いのための話し合いだったのかもしれないが、所長を囲んでの話し合いなど行われないのが常なので、よかったのではないだろうか?

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