「19日佐世保市民の会」が活動を始めてから、満48年となった。
1968年1月19日、アメリカの原子力空母エンタープライズが入港し、佐世保の街は入港に反対する学生や労働者、市民たちとそれを規制する機動隊との激突で騒乱状態となった。
ベトナム戦争が激化し、このままでは日本も戦争に巻き込まれるのではないか、そんな思いが若者たちを突き動かした。
原子力潜水艦も原子力空母も首都圏から遠い佐世保に一旦入港させ、安全性を確認してから横須賀に入港させる。それが当時の政府のやり方だった。
しかし、佐世保市民の中にも、「日本の足の裏」と呼ばれ、その役割を押し付けられていることに忸怩たる思いを抱いている人たちもいた。
そんな人たちが、1月19日の学生たちの運動に触発されて、翌月2月19日から始めたのが「19日佐世保市民の会」である。それから48年、1回も休むことなく続けられてきた。
この48年の間に、多くの中心メンバーが鬼籍に入られたが、まだまだこの会は続いていく。
いつも「死ぬまで続ける」と話されていたSさんも、その宣言どおり亡くなる2ヶ月前までデモに参加された。
Sさんの宣言を聞くたび「うへ~、冗談じゃないよ。」と思っていた私が、今は「死ぬまで続けるかな。」と言ったりしているから可笑しなものだ。
初期の頃のように100人を超すデモは出来ないが、48年たってもまだ20人近くの人間が呼びかけもしないのに、毎月自然に集まってデモをやるって、すごい事ではないだろうか!
どんどんと右傾化しきな臭い時代になったからこそ、小さな行動ではあるが継続して行きたい。
そう決意した満48年の今日。
来月から49年目を歩く。
1968年1月19日、アメリカの原子力空母エンタープライズが入港し、佐世保の街は入港に反対する学生や労働者、市民たちとそれを規制する機動隊との激突で騒乱状態となった。
ベトナム戦争が激化し、このままでは日本も戦争に巻き込まれるのではないか、そんな思いが若者たちを突き動かした。
原子力潜水艦も原子力空母も首都圏から遠い佐世保に一旦入港させ、安全性を確認してから横須賀に入港させる。それが当時の政府のやり方だった。
しかし、佐世保市民の中にも、「日本の足の裏」と呼ばれ、その役割を押し付けられていることに忸怩たる思いを抱いている人たちもいた。
そんな人たちが、1月19日の学生たちの運動に触発されて、翌月2月19日から始めたのが「19日佐世保市民の会」である。それから48年、1回も休むことなく続けられてきた。
この48年の間に、多くの中心メンバーが鬼籍に入られたが、まだまだこの会は続いていく。
いつも「死ぬまで続ける」と話されていたSさんも、その宣言どおり亡くなる2ヶ月前までデモに参加された。
Sさんの宣言を聞くたび「うへ~、冗談じゃないよ。」と思っていた私が、今は「死ぬまで続けるかな。」と言ったりしているから可笑しなものだ。
初期の頃のように100人を超すデモは出来ないが、48年たってもまだ20人近くの人間が呼びかけもしないのに、毎月自然に集まってデモをやるって、すごい事ではないだろうか!
どんどんと右傾化しきな臭い時代になったからこそ、小さな行動ではあるが継続して行きたい。
そう決意した満48年の今日。
来月から49年目を歩く。