西風に吹かれて

日本の西端にある基地の街から、反戦や平和の事、日々の雑感を綴ります。

2014年最後の日に

2014-12-31 19:29:26 | 日記
今日で2014年も終わる。

昨日は夫の身内のお葬式で、夫は西海市松島まで出かけた。10年ほど前までは、佐世保から西海町へも大瀬戸町へも直通のバスがあったのだが、バス路線は廃止になり車を持っていないと簡単にはいけない場所になってしまった。

佐世保駅まで歩いて10分足らず、繁華街にも15分ほどで着きバスの便もいい場所に暮らしていると維持費もかかる自家用車を持つなど考えたこともなかった。

しかし、こんな時は困ってしまう。
夫は娘の車を借りて大瀬戸町まで行き、そこから船で松島に渡ってお葬式に参列してきた。


12月に入って、知り合いの訃報が相次ぐ。


9日には「19日佐世保市民の会」で反戦・反基地のデモを一緒に続けていたⅠさんが亡くなった。世間の雑音などにはとらわれず、飄々としていた人だった。
私より年下だったのに残念でならない。


そして28日には井上澄夫さん。



先月16日に自宅で倒れられ入院されたことは[kPeace]のメーリングリストで流れてきていたが、深刻な状態だとは夢にも思っていなかった。

12月のはじめに、お連れ合いの志茂美栄子さんからお電話をいただき、井上さんの病状がただならないことを知ったが、それでも私はお元気になられるに違いないと思っていた。

若いときに一度倒れられて半身不随になられていたが、精力的に活動されていて佐世保にもお見えになったことがあった。

井上さんと知り合うそもそものきっかけは、中学校の歴史教科書から従軍慰安婦の記述が削除されようとしたことだった。
パソコンも普及していない時代、井上さんは全国各地で上がった抗議の声をFAXでつなぎ大きな運動とされた。

私は井上さんに背中を押され、初めて市議会に請願を出した。分からないことだらけだったが、井上さんにはずっと支えていただいた。

それからは市民意見広告運動の事務局として、5月3日の大手新聞一面の広告掲載を成功させてこられた。
また、ここ一年ほどは沖縄・辺野古ニュースの配信を連日されてきた。


大きな方が亡くなられて、比喩ではなく、ぽっかり穴が開いたような気がしている。

遺志を継ぐなど大それたことはできないし、力量も持ち合わせていないが、せめて反権力の運動を続けることを誓いたい。

井上さんのご冥福をお祈りしたい。





裂かれる海~辺野古 動き出した基地建設~

2014-12-29 20:52:09 | 原発事故
見逃していた「裂かれる海」が2回に分けてYoutubeにUPされている。

UPして下さった方に感謝したい。


裂かれる海~辺野古 動き出した基地建設~(1)



裂かれる海~辺野古 動き出した基地建設~(2)


安倍政権は、沖縄振興予算を減額する予定らしい。

11月に普天間の辺野古移設に反対する翁長新知事が誕生したことに対する圧力に他ならない。

こんなことに負ける沖縄県民ではないが、それにしても恥知らずな安倍政権だ。



一方で、12月25日に告示された佐賀知事選挙では、政府の言いなりになるであろう立候補者、樋渡前・武雄市長を当選させようとやっきになっている。

佐賀では、玄海原発の再稼動と佐賀空港オスプレイ配備が大きな争点であるけれど、選挙民の目の前に大きなニンジンをぶら下げようとしている。

原発を再稼動させれば多額の交付金を、オスプレイを配備すれば防衛予算を湯水のように与えるというおいしい話なのだ。

しかし、おいしい話を信じてはいけない。

いつもおいしい話に乗ってきた佐世保市だけど、そのために港の83%はいまだに米軍のものだ。
原子力艦船も通告無しに、出入港している。

市民は大事故と背中合わせの生活を強いられているのだ。

そんなことにならぬよう、佐賀県民の良識を信じたい。



立ち入り調査中止の申し入れ

2014-12-25 20:11:55 | 石木ダム
県は来月中旬、「石木ダム」建設予定地の保留解除をした土地・建物の立ち入り調査を行うと発表したと報道されている。



今年7月25日と28日にダム事務所の所長と職員が「立ち入り調査をします。」とやって来た場所は、地権者の皆さんが買収に応じなかった土地の非保留地だったところで、四世帯の地権者の方の土地だった。

もちろん、地権者の方々と一緒に県の職員を追い返したが、そこは田圃・畑・雑木林・原野といった場所で、人家も何もないところだ。

しかし、来月13日から16日まで予定されている立ち入り調査の場所は、四軒の家が建ち並び、地権者の皆さんが住んで生活をし、子供たちも学校に通っている、そんな場所なのだ。

7月の調査では、立ち入れなかったため航空写真で土地の評価をしたのだが、今回は家屋もあるのだから、家の中まで入らないと建物の評価は出来ない。

そして、地権者の皆さんは「自分たちの家には一歩たりとも入れない」と決意されているのだから、県が強行しようとするならどういうことになるのか容易に想像がつく。

そこで私たちは、「1月の立ち入り調査を中止し、地権者とのダムの必要性について話し合う」ことを県に言うべき、との申し入れをしたのだ。





しかし、私たちの申し入れには市長も副市長も水道局長さえも「所用のため」と称して出てこない。
代わりに総務部長が対応したが、「申し入れの趣旨は市長にお伝えします」と繰り返すだけだ。


長崎県も佐世保市も、こんなことでいいのか?

これまで日本のダム建設で、13世帯60人もの人が住んでいるところを強制収用したことはない。このままいくと、行政代執行という事態にも成りかねないのだ。

県も佐世保市も、全国に恥を晒さないで欲しい!




米原潜ハワイ初入港

2014-12-23 19:57:45 | 反戦・平和
今朝10時、アメリカのバージニア級・攻撃型原子力潜水艦「ハワイ」が初めて佐世保港に入港した。

これまで「ホノルル」という原潜は何度も入港したが、「ハワイ」は初めてである。



テレビのニュースで映像が流れていて、これまでの原潜とは違った役割を持つ原子力潜水艦なのだと報じていた。

とにかく見に行かなければならないと、原潜が接岸する米軍基地内赤崎岸壁の対岸、干尽岸壁に行ってみた。

しかし、デジカメで撮っても撮っても逆光で、原潜の姿がよく分からない。
かえって、干尽岸壁のすぐ傍にある、海自の倉島岸壁に係留されている満艦飾の掃海艦ばかりが目に入ってくる。



仕方なく海岸沿いに駅裏まで歩き、新港町の公園から赤崎岸壁に接岸している原潜を撮ってみた。



これまで佐世保に入港していた米原潜は、ロサンゼルス級攻撃型原潜といわれるものだったが、今日入港したのはバージニア級といわれる原潜である。

詳しくは専門家のリムピースSさんに聞かなければならないが、ロサンゼルス級の原潜より格段に音が静かであるということと、浅い沿岸地域から陸上へ向けてトマホークを発射することが出来るという違いがあるのだという。

それに、これまでの原潜と違って、原子炉の燃料棒の寿命が10年から33年へと大幅に長くなっている。

佐世保にアメリカの原子力潜水艦が入港するようになってから今年で50年。

今回の入港で、原潜の入港回数は350回となった。

いったいいつまで入港するのか!

民家のすぐ傍に、原発が出現したのと同じことなのだ。

今すぐの基地撤去は望むべくもないけれど、市長には、せめて核艦船の入港を拒否するという姿勢でも見せてもらいたいものだ。


もう1年が…

2014-12-19 22:52:14 | 反戦・平和
今年最後の「19日佐世保市民の会」のデモ。



私たちの運動には、近頃はやりのパレードなどの名称は似合わない。

これからもずっと(いつまで続くかという問題はあるにせよ)みなさん、デモと言うに違いない。

高齢者が多いこの会は暑さ寒さに弱いのだが、2日前からの寒さの影響でやはり参加者は19人と少ない。

いつものように松浦公園から三ヶ町・四ヶ町のアーケードを通り、下京町のアーケード入り口までの約2キロをデモ行進した。

最終地点で、それぞれの団体・個人が取り組んでいるイベントのお知らせなどをやるのだけれど、今日の最初のお知らせは訃報だった。

ほとんど毎月、顔を見せていたIさんが12月9日に亡くなったという報告だった。

自宅玄関を出たところで倒れて亡くなっていたのだという。「人通りが少ない場所で発見されるまで時間がかかったらしい」と報告者のHさんが話してくれた。

私はⅠさんと高校時代からの知り合いである。同じ高校で、たまたまクラブ活動の部室が隣同士だったことで仲良くなり言葉を交わすようになった。私のほうが一年先輩だったけれど、いろいろと物知りで話も面白かった。

そんな彼がこのデモに参加するようになったのは、いつ頃からだったろう。

まじめな銀行員で、政治活動などすることもないと思っていたが、離婚し仕事もやめ活動を始めたのだった。

その活動は、反基地運動や反原発運動など多岐に渡っていた。


少ない仲間内の訃報は、気持ちが滅入ってしまうけれど、デモ後の恒例の忘年会で気持ちを新たにし来年に向かうことにしたのだった。



来年1月19日で米原子力空母エンタープライズが入港し、入港に反対する学生・労働者の闘争から丸47年。
2月19日は、この会の出発から丸47年になる。

体の続く限り、やり続ける。

それが、少ないこの会の仲間たちの決意だ。