西風に吹かれて

日本の西端にある基地の街から、反戦や平和の事、日々の雑感を綴ります。

子供の心に寄り添う

2014-06-28 19:33:23 | 市民活動
7年ほど前から「子供たちの声を聞き、子供たちの心に寄り添って行く」というボランティアに参加している。

日本中に衝撃を走らせた同級生殺害事件「大久保小学校事件」から、今年はちょうど10年になる。
小学校6年の女子児童が、同級生の女の子を学校の中で殺害したこの事件は、世の大人たちを震撼させたが、私たち佐世保市に住む大人たちも同様だった。

どうしてこのような事件が起きたのか、大人たちは防ぐことが出来なかったのか、みな一様にオロオロとし、何か糸口になるものがないかと考え込んだ。

講演会やシンポジウムも数多く開かれ、名高い教育評論家の先生方も佐世保へ来て話をされた。

しかし、2年もすると潮が引くように講演会も開かれなくなった。
佐世保の誰もが忘れたいと思っているかのようだった。

そんな中、元小学校の教師で市議会議員だったWさんが、「あのような事件が起こらないために、子供たちの声を聞き子供たちの心に寄り添うような活動をしたい」とチャイルドラインの立ち上げを検討されたのだった。

どういうわけか私にも声がかかり、東京のチャイルドライン本部からみえたSさんのお話を聞いたのだが、最初に思ったのは「これは大変なことになった」ということだった。軽い気持ちではできない、覚悟を決めよう…。

いろいろな研修を受け、1年後「チャイルドラインさせぼ」が動き出した。

有償ボランティアが主流になりつつある現在、無償というより自分たちで手出しして活動をするボランティアは敬遠されがちであり、なかなかスタッフが集まらない。

でも、「子供たちが生きやすい社会を作るために、子供たちからの電話を聞くことによって、心の居場所つくりをしよう」というミッションはすばらしいことだと思う。





7月から、スタッフの養成講座が始まる。

ぜひ、多くの方に参加していただきたいと思っている。


歴史の上書き

2014-06-26 21:27:07 | 反戦・平和
今日の朝日新聞15面の論壇時評、「あすを探る」の執筆者は映画監督の森達也氏だった。

戦争は自衛の暴走で始まるというという文章は、いろいろな意味で考えさせられるものだった。


ドイツのメモリアルは加害。そして日本のメモリアルは被害。

不思議な気がする。




6月14日に行われた、佐世保空襲を語り継ぐ会の「平和のつどい」でも、「戦争中は大変だった、辛かった、」「戦後も食料難で辛かった。とにかく食べられるものは何でも食べました」

…と、3人の方が自分たちの辛い思い出を語られた。
確かに、年若い少女たちには辛い思い出だっただろう。

しかし、私たちはもっと想像力を働かせなければならない。


第2次世界大戦の死者は約6000万人と言われている。

そのうちドイツが約9,000,000万人。死者は軍人のほうが多い。

日本の死者は、3,000,000万人前後だと言われている。日本も軍人のほうが多い。

日本が侵略していった中国ではどうだろうか。
戦争によって、全世界で6000万人が亡くなったが、その3分の1、2000万人が亡くなっている。
それも、民間人が軍人の2倍も亡くなっているのだ。


私の父方の叔父は学徒兵だった。
卒業を繰り上げて戦地へ赴き、すぐに亡くなった。

母方の伯父はもう結婚もし、子供も2人いたが南方へ送られ、塹壕を掘っている最中に砲弾が当たり死亡した。戦死公報がきて白木の箱も送られてきたが、中には遺骨など入っておらず、石ころと砂だけが入っていたそうだ。きっと木っ端微塵になったのだろう。

夫の父は、夫が生まれて3ヶ月目に南シナ海に散った。
乗っていた船が爆撃を受け、船ごと沈んだのだ。
初めての子供を見ることもなく、抱くこともなく死んでいったのだ。

夫は自分の父親の死は「犬死だった」と言う。いくら靖国に奉られようとも、戦争で死んだ人たちは犬死でしかない。

子供や孫たちを犬死させないために、声を上げる。戦争につながるものに反対の意思表示をする。

それが、私たち団塊の世代の役目だと思う。

それでも知事は来なかった

2014-06-22 04:42:46 | 石木ダム
石木ダム建設予定地の地権者ほーちゃんは、長崎県の説明会や佐世保市水道局との話し合いをいつもビデオ撮影し、その動画を“YouTube”にUPしてくれる。

それで、昨日行われた川原公民館での県の説明会の様子が動画サイトにUPされてから記事の更新をしようと思っていたのに、すっかり眠りこけてしまい今頃あわてて書いている始末だ。


長崎県は「地権者の皆様のご理解を得たい」といい、地権者も「県の説明を聞きたい」と言っているのに、県庁に出かけて行っても知事は出てこないし本庁ではなく別館の狭い部屋に押し込まれて、ケンモホロロの対応をされ続けてきた。

県がいう地権者の理解を得るは「用地買収交渉の話し合いをし、金額等の理解を得たい」のであり、地権者の説明を聞くは「50年も出来なかったダムが本当に必要かどうか納得のいく説明をして欲しい」ということなのだ。

4月21日、知事は突然川原を訪れ、中断している付け替え道路の建設をさせて欲しいと13世帯を戸別訪問した。もちろん13世帯の誰も応じる人はいなかったし、ダム小屋にいたばあちゃんたちは「私たちは絶対に動きませんよ。ダムを作るなら私たちを殺してからにしてください!」と応じている。

それほど知事が会いたいのならと、面談を了承し5月19日に県庁へ出かけたのに、知事は出てこない。いつもの土木部河川課のメンバーだけだ。

それで、何とかして知事に説明をして欲しいと文書も提出し、説明会の持ち方についても事前に話し合いをやりたいと申し入れていたのに、県は拒否してきたのだった。


それやこれやの末に、やっと昨日「こうばる公民館」で開催にこぎつけた県の治水についての説明会には、やはり知事が来ることはなかった。しかし、これまで聞く耳を持たない態度だった県の姿勢が、話を聞くという姿勢に変化しつつあることを感じさせた。








ほーちゃんがUPした動画を見ていただけると分かるけれど、治水に関しても石木ダムが必要ないということがよく分かる説明会だった。



長崎県による13世帯60名の皆さんなどへの説明会 2014年6月21日



長崎県による13世帯60名の皆さんなどへの説明会つづき 2014年6月21日



ダムはできない! と確信できた説明会だったと思う。

中止まであと少し、がんばるぞ!

梅雨の晴れ間の「19日」

2014-06-19 21:55:40 | 反戦・平和
昨日までは曇り空で、それほど激しい雨ではないものの降り続いて半袖シャツでは肌寒いほどだったのに、今日は午後からいいお天気になった。


「19日佐世保市民の会」の定例デモは今日で557回。参加者は21人だった。



先日、デモのために「道路使用許可」の申請に警察に行ったら、年配の警察官から「よう辞めもせんで、続けらすですね」と言われてしまったが、考えてみると、あと3年8ヶ月で始めてから50年になるのだ。

こんな反戦・反基地の運動をまだ続けなければならないことが問題なのだ。







米軍基地は無くなりもしないし、縮小されもしない。

自衛隊の基地はますます大きく拡充されている。

体の続く限り、続けるしかない。




水や空

2014-06-17 21:45:13 | 日記
長崎新聞のコラム「水や空」。

書評めいたものが書かれていたり、うん蓄を傾けるだけのものがあったり、毎回すばらしいとは言いがたいのだが、昨日と今日の「水や空」は納得のいくコラムだった。

昨日の執筆は私が敬愛している(信)こと高橋信雄氏で、今日は(智)氏だった。智氏とは、もと佐世保支社にもいらっしゃった下釜智氏のことだろうか。

TPPは、主に食品問題で語られてしまいがちだが、別の視点、「健康保険」の問題が語られてあって、とても分かりやすい。

さすがだな~と感心して読んだ。

今でさえ保険料が上がり、年金生活者は生活するだけで四苦八苦している。

病気をしても病院にかかれない、かかっても保険内だけの診療は軽くあしらわれる、そんな時代がそこまできているのに、大多数のものは気づかない。



すべてのことがとんでもない方向へ向かっているのに、止められない歯がゆさ、苛立ち、悔しさ。
このコラムを読めば、混合診療の理不尽さが分かるだろうし、TPP問題を考える端緒になるだろう。


さて、今日の「水や空」は、修学旅行で長崎を訪れていた中学生が案内した被爆者に「死に損ない」と暴言を吐いたことを取り上げている。



この被爆者は森口貢さん。

いまネットでは、この森口さんのことを偽被爆者などと、それこそ偽記事が出回っているが、森口さんは、被爆直後に長崎に入り、入市被爆された方である。

心無いネット上の暴言が、早く収束して欲しいと思う。