2019年2月の法語解説
「きくというは 信心をあらわす 御のりなり」と法語にあるように、「聞」ということが信心をあらわすとは、どういうことなのでしょうか。信心ということが、真実に目覚めることを意味するのであれば、「聞」ということは自分の都合に合うことだけを聞いて自我を満足させることではなく、教えを聞くことによって、自分の真実の姿が明らかになり、身の事実に目覚めることをいうのでしょう。つまり、自我で聞いていくのではなく、「聞」により自我が根底から問われ、自我に執着しているこの身が明らかになることを、「聞即信」として教示されているように思えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/72/7e/a2ca844bbd745797826852e0dc9ab387_s.jpg)
2月8日午前10時新別府病院泌尿器科受診膀胱がん進捗状況腫瘍新たに数個発生しているので3月5日入院翌6日切除手術予定決定
「きくというは 信心をあらわす 御のりなり」と法語にあるように、「聞」ということが信心をあらわすとは、どういうことなのでしょうか。信心ということが、真実に目覚めることを意味するのであれば、「聞」ということは自分の都合に合うことだけを聞いて自我を満足させることではなく、教えを聞くことによって、自分の真実の姿が明らかになり、身の事実に目覚めることをいうのでしょう。つまり、自我で聞いていくのではなく、「聞」により自我が根底から問われ、自我に執着しているこの身が明らかになることを、「聞即信」として教示されているように思えます。
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2月8日午前10時新別府病院泌尿器科受診膀胱がん進捗状況腫瘍新たに数個発生しているので3月5日入院翌6日切除手術予定決定