にゃぁとよべばふりむきます

日々のことつれづれ。更新さぼりがちです。

平櫛田中邸

2010-04-28 00:00:00 | でかける・都内
『間間間』(さんげんま)で、平櫛田中邸を一般開放しているという貼り紙を、偶然見目にした。

何か知らんけど普段は見ることが出来ないようなので、とりあえず向かう。パティスリー・
イナムラショウゾウのすぐ近所。

平櫛田中(ひらくし でんちゅう):近代木彫の巨匠らしい。岡山県井原市に生まれ、明治・大正・昭和の三代に
渡って活躍。代表作は「鏡獅子」など。出身地・岡山県井原市と、終焉の地・東京都小平市に美術館がある。

外観母屋1階・茶の間母屋1階・サンルーム
母屋1階・サンルームの土壁母屋2階・田中の寝起きした座敷
母屋・階段母屋2階・縁側の障子母屋2階・座敷よりアトリエを臨む

平櫛氏が岡山県井原市に寄贈してしまったので、管理にいろいろと問題があって大変な
のだそうで、公開にあたってはNPO法人たい歴の方が不定期で企画してるとか。入場料
無料なのに、ボランティアガイドさんに解説していただきながら見学できる。いただいた資
料によると、大正8(1919)年にこの地にアトリエ、その隣に3年後に友人達の尽力によ
り住居を建てて家族と共に上野桜木に暮らした。昭和45(1970)年小平市に転居する
まで、ここで制作に励んだという。

『田中はそれまでのアトリエが手狭になり、大作を作る場所がなく困っていると、同じ日本
美術院同人の横山大観下村観山木村武山が「平櫛さん、アトリエを作る費用はなん
とかするから、良い作品を作ってください」と言って自分たちの絵を売り、それを資金に
アトリエを建ててくれました。上野桜木町のアトリエは、3巨匠からの温かい友情の贈
り物
です。』
(井原市立田中美術館HPより引用)

全体的な印象は、今は亡き祖父宅に似てる。台所なんか特に。戸や窓はH島で育った家に近いし、急な階段
はおばの家を彷彿とさせる。梅模様の障子紙はなかなか高価なので、改修の際に張り替えた分はプロジェクト
の一環でリノベーションに当たった東京藝大の学生が制作したという。とても風の通りがいいけど、片側の窓が
視界=オール谷中霊園なのはちょっと…。この日はアトリエ1階部分だけはイベント使用で見学できず。
なにがすごいって、上野桜木町を後にしたときすでに田中さん98歳。そのころ向こう30年分の材料を買い込
んだというのだから、何歳まで生きようとしてたんだ(*゜ο゜)ゞ?自分で限界を作るのはよくないクセなのだなぁ。


参考:井原市立田中美術館(岡山県)-->公式HP
    小平市平櫛田中彫刻美術館(東京都)-->小平市による文化施設紹介