にゃぁとよべばふりむきます

日々のことつれづれ。更新さぼりがちです。

糸島@福岡

2009-01-06 08:03:54 | でかける・九州

珍しく帰省中にでかけたので(旦那パパの喜寿祝い)

げんこうぼうるい           いしついじ
元寇防塁、正式名称石築地 (福岡市西区今津)
800年以上前の鎌倉時代に蒙古襲来(元寇)に備えて博多湾沿岸一帯に築かれた石の
防塁のことで、今は国史跡に指定されています。
石垣が金網に囲まれてます。この石垣が防塁の遺構。松原の中で分かりにくく、ご一行は
一時は離散状態に…。
 第一次の襲撃である文永の役では、元軍が船団でまず対馬に乗りつけて襲撃し、次に壱岐を占領しました。
 2週間ほどで志賀島から福岡に上陸し市街戦となり、箱崎の町は1日にして灰になったそうです。
 その夜神風来襲とよばれる暴風雨で元軍の船の大半は沈められます。
 文永の役後、再度の来襲対策として鎌倉幕府が九州の御家人に作らせたのが、この元寇防塁で博多湾の
 沿岸20kmに渡り築かれたこの石垣が7年後の第2次襲撃弘安の役で大いに役立ち、弘安の役では石垣の
 築かれなかった志賀島が主な合戦場となりました。前回で日本軍が攻略法を学習+ふたたび暴風雨が襲っ
 て泣きっ面に蜂なところを叩いて、元軍を追い返し終決しました。
 後世埋め立てが進み海岸線が沖に移ったので土中に埋まったり、福岡城の石垣を築く(江戸時代)のにこの
 石の大半を使ったので、今では一部しか残っていません。
け や    おおと
芥屋の大門 (福岡県糸島郡志摩町)
夕暮れだったから分かりづらいけど…洞窟があって遊覧船が出てるらしいです。

さくらいじんじゃ
桜井神社 (福岡県糸島郡志摩町)
江戸時代初期
(300年以上前)に建てられた神社。ちょっと変わった造り(三間社流造)でイイ感じ。
ふたみがうら     めおといわ
二見ケ浦夫婦岩 (福岡県糸島郡志摩町)
朝日の伊勢二見ケ浦、夕日の桜井二見ケ浦っていうらしい。
日の入りタイムは美しい夕陽を狙ってカメラメンが長いこと構えてた。
『魚庄』の地物の海産物うまかったよ!福岡市内から近いのだ。