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家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

寒さ

2007-01-12 10:21:23 | Weblog
比較的暖かい日であったが着脹れしてオートバイに乗った。

用事を済ませた後友人の陶芸家のところにお邪魔した。

ちょうど友人のお父さん(先代)が居合わせたので御挨拶させていただいた。

私がオートバイで来たのを見られて寒さに関して思い出したようであった。

「私は満州に出兵しシベリアに抑留されていたので寒さには強いです。
日本兵は支給された防寒帽を被っていても凍傷にかかって鼻や耳たぶの一部がなくなってしまった人が多いですよ。そんな中、現地の人は顔が出ていたり子供なんかお尻の一部を出して平気で遊んでいた」と言われた。

そして私の履いていた革パンツを見て「それなら暖かいでしょう」と言う。

身動きが取りにくいほど着込んでいた私は少し恥ずかしくなった。

当時の衣料からしたら今は格段と暖かく軽くなった。

だが寒いものは寒い。


帰りは気合を入れて走った。

でも寒さとは全く関係ない。

今年の行動計画

2007-01-11 09:11:42 | Weblog
年初には、その年の行動計画を立てる。

目標がないと生きていけない。

少し大げさだが、漫然と生活に流されていくのは本位ではない。

また目標がないと反省も出来ない。反省がなければ進歩もないように思う。

ただでさえ働いていないのに犬猫と同じような生活になってしまわないかと不安になる。

目標なんて生活していれば出てくるものでもある。

しかし年初という絶好の機会を利用するのが私のやり方である。


毎年状況は変化している。

昨年で義母の死による後始末が終了したので、いよいよこれからは夫婦それぞれがやりたいことをやれる状況になったということが大きな変化だ。

いろいろなことが考えられるが、ここは一つ今までに無かったことをしようと意気込んでいる。

だが所詮私のやることだから金のかからない頭の要らないことになっちまうと思うが。

何にするか考えているだけで暖かい季節になってしまうかもしれないが、それはそれ。

考えることが楽しい。

去年のやり残しも継続していくし、やり方の修正もしよう。

だがやはり新規が欲しい。





誕生日

2007-01-09 15:39:59 | Weblog
今日から1年間54歳として過ごすこととなった。

自分の周りの全ての人々に感謝している。

している感謝を、それぞれの人に示したいと思っている。

が、しかし現実問題そうもいかない。

で、ごくごく親しい人達とランチした。妻 母 姉 だ。

近所の店で「やまかけ丼630円」。


自分は女運だけで、ここまで生きてこられたなと実感している。

感謝の気持ちが630円ということではないことを明言しておく。



年賀状

2007-01-07 14:32:14 | Weblog
年賀状を見ることが、この時期の楽しみの一つになっている。

ほとんどが干支の絵だが上手に絵が描かれてあると「ほほーお」と感心する。

写真は子供やペットあるいは家族のものが多い。

何といっても嬉しくなるのは花嫁姿のものだ。今年も1枚入っていた。

ゆうさんおめでとう。

ここに遊びに行ったとか格好良く遊びたいとかいうものも楽しくなる。

今年のテーマは「面白く生きる」というのもあった。

これなどは送り手の性格や生活をよく示していて「充分に面白く生きているでしょ」とハガキに向かって言った。

私の名前の前に愛妻家と書かれていたものが有ったが郵便やさんが不愉快になってなければ良いが。

さて私は用意する時間が少なく家の中での夫婦と猫の写真のものにした。

猫の麿君がセルフタイマーの光が気になりカメラ目線になっているのが面白かった。



正月休み

2007-01-04 11:07:39 | Weblog
正月休みは嬉しい。

私は猫と一緒で毎日休み。

つまり回りの人達が休みなことが嬉しいのだ。

友人二人が我が家に来てくれた。

小学校からの友人たちだ。

妻も含めて4人とも同級生なので互いのことはよく知っている。

病気の話や仕事の話となるとシニアになるが友情は少年のときのままだ。

笑いも腹の底から湧いてくる。

3時間はあっという間に過ぎてしまったが、信頼し合い、いたわり合うこの3時間の濃さは今も余韻が残っているほどだ。

だから正月休みは嬉しい。


初仕事

2007-01-03 11:52:59 | Weblog
今年の初仕事は隣保に夫婦で住んでいるお年寄りの介護であった。

介護といっても、ただ車に乗せて病院に送って行っただけだが。

旦那さんが人工透析をしていて、いつもは病院から迎えのバスが来るのだが正月スケジュールで今日は来ない。

だからタクシー代わりをした。

送っていく間、私は父を15年間人工透析の送り迎えをしていたことを妻も父親を介護していたときのことを、あれこれ思い出していたようだ。

「何かあったら、いつでも言ってね」と、この夫婦に言っているのだが実際には私たちがやってあげられることは少ない。

具合が悪くなれば救急車を呼べばよいし日常生活で困っていることは無さそうだし。

「そう言ってくれるだけでありがたいのだよ」と言っては建前現場で蒔く餅を拾って届けてくれたりしていた。

ちょうどこの時期に私にタクシー代わりを頼むことで、その夫婦自体が安堵しているのかもしれない。