
鳳来寺表参道にある小学校の校庭で催される無二の市に行ってきた。
小ぢんまりとした会場は「あっ」という間に見終わりそうだが細かく見たり質問したりすることができるので家庭的であり親しみがあり時間の経過を忘れる。
生の音楽も聴けるし食べ物を売っている店からの良い香りや会場で作っている金具屋さんの槌音が楽しい。
だいたい、その表参道というところはモミジの巨木が沿道に植えられていて、それを見ただけで気分が良くなる。
ただし紅葉を楽しむのには少し早すぎた。
無二の市を楽しんだあと参道を奥に向かって歩いた。
大きな古家を再生している所に止まって見学していると急に扉が開き中から人が出てきた。
出てきたのは、この家を修復して中に住む予定の人物で横笛を生業としている方だ。
お話をうかがうことができただけでなく案内してもらうこともできた。
この家は元は旅籠だったという。
大きくて、ちょっと民家ではない風情が漂い最高の再生物件だと感じた。
家も立派だが裏庭が、これまたたいそう立派だ。
二段構えの石垣があり、裏山に上ることのできる幅広の石の階段も付いている。
ここは将来「オープンカフェにする」というので是非とも伺いたいと思った。
また家の中も案内してくれたが、ご自分で描かれたという風神雷神は素人とは思えない。
参道をさらに奥に進むと何十年前に来たのか定かでないが、この店でモミジの天ぷらをいただいたという記憶がある。
雲竜荘という名前を覚えていた。
それは妻も同じ記憶であったので間違いはない。
メニューは山菜民芸料理というコースものだ。
1時間ほどかけて山菜料理を楽しんだ。
自分と妻の記憶に照らしてみると、やはりモミジの天ぷらしか合致するものはなかった。
食べ終わったいずれもが山菜としては定番だったので記憶から抜け落ちたのであろう。
食している途中で新たな記憶が甦った。
この店に入る時ジョウビタキという野鳥のオスの姿を見たのだ。
あまりの美しさに感激して、どの木に止まっていたのかも覚えていた。
自分の脳裏に刻んだ鳳来寺の記憶と、またきっと来る自分の将来。
再生できない自分の記憶が残念だが新たに作る記憶には、ここはモッテコイだと感じた。
小ぢんまりとした会場は「あっ」という間に見終わりそうだが細かく見たり質問したりすることができるので家庭的であり親しみがあり時間の経過を忘れる。
生の音楽も聴けるし食べ物を売っている店からの良い香りや会場で作っている金具屋さんの槌音が楽しい。
だいたい、その表参道というところはモミジの巨木が沿道に植えられていて、それを見ただけで気分が良くなる。
ただし紅葉を楽しむのには少し早すぎた。
無二の市を楽しんだあと参道を奥に向かって歩いた。
大きな古家を再生している所に止まって見学していると急に扉が開き中から人が出てきた。
出てきたのは、この家を修復して中に住む予定の人物で横笛を生業としている方だ。
お話をうかがうことができただけでなく案内してもらうこともできた。
この家は元は旅籠だったという。
大きくて、ちょっと民家ではない風情が漂い最高の再生物件だと感じた。
家も立派だが裏庭が、これまたたいそう立派だ。
二段構えの石垣があり、裏山に上ることのできる幅広の石の階段も付いている。
ここは将来「オープンカフェにする」というので是非とも伺いたいと思った。
また家の中も案内してくれたが、ご自分で描かれたという風神雷神は素人とは思えない。
参道をさらに奥に進むと何十年前に来たのか定かでないが、この店でモミジの天ぷらをいただいたという記憶がある。
雲竜荘という名前を覚えていた。
それは妻も同じ記憶であったので間違いはない。
メニューは山菜民芸料理というコースものだ。
1時間ほどかけて山菜料理を楽しんだ。
自分と妻の記憶に照らしてみると、やはりモミジの天ぷらしか合致するものはなかった。
食べ終わったいずれもが山菜としては定番だったので記憶から抜け落ちたのであろう。
食している途中で新たな記憶が甦った。
この店に入る時ジョウビタキという野鳥のオスの姿を見たのだ。
あまりの美しさに感激して、どの木に止まっていたのかも覚えていた。
自分の脳裏に刻んだ鳳来寺の記憶と、またきっと来る自分の将来。
再生できない自分の記憶が残念だが新たに作る記憶には、ここはモッテコイだと感じた。