触れることも、見ることさえできないが信じることは・・・

2024-08-27 19:42:04 | 日記
実際に触れることも見ることもできないものでありながら、生きるうえで欠かせない大切なものがある。例えば、それは「空気」であり「心」であり「縁」ではないかと思う。ふだんはあまり気にも留めないが、その存在の大切さに気づくと感謝せずにいられなくなる。確かに大切なものであるはずの「心」は見えないし、見過ごしてしまう。配偶者や家族の細やかな気遣いや周りの人の思いやりなどもそうだ。もっと言えば「平和」も「愛」もそうなのだ。見えないものに守られ保護されて生きながらえている、それは事実なのだ。ところが先日、自称リアリストと言っている人と話す機会があった。彼は、「わたしはね、この目で見て確認したものしか認めない!」とうそぶいた。彼の言いたかったことは神や仏は認めないと主張したかった?たしかにそれは見えない。けれどもイメージはできる。つまり、信じることはできるのだ。ここに本質があると思う。きょうの楽しかったことは、○K内科医院での採血検査、期待の方向へ進んでいること、○9月4日実施予定の研修進行シナリオ「修正版」が出来上がったこと、○ピッザーロの宅配ピザ、ウマかったことだ。(10,520歩)