起床時刻は6時半、ベランダの窓を少し開けると寒い風がスッと部屋に入ってきた。いよいよ防寒の装備(ウインドブレーカー)で行動ルーティンを実行、約1時間ほどだ。そして、朝食~連ドラ「べっぴんさん」鑑賞~朝ぶろ入浴と慌てて済ませた後、家族を伴って4週間毎の高槻市Sクリニックへ。普段以上に患者さんが多くて約2時間待ちだという、それも想定して日経新聞朝刊と文藝春秋を持参、おかげで待つことはそれほど苦にはならなかった。診察が終わったのはすでに正午を30分も過ぎていた。帰途に、喫茶店D(箕面)の焼き肉ランチ、診察終了後の定番コースだ。車内で家人が何気なくかけたCD、それから流れてきたメッセージに感動した。その内容は以下の趣旨だったように思う。「人生で成功したとか失敗したとか、金持ちになったとか出世したとか、権力があるとかないとか、そういうことをまったく重要視しない視点がある。つまり、神の視点だ。どう生きているか、どう生きようとしているか、それがもっとも大切なこと」というメッセージがそれだ。目から鱗とはまさにこのことだ。きょうの楽しかったことは、○4週間毎の診察で異常がなかったこと、○日経新聞と文藝春秋をじっくり読めたこと、○喫茶店Dの焼き肉ランチ、ウマかったことだ。(12,360歩)
昨日の自動車事故に遭うことから奇跡的?に寸前で回避できた。そのことがあってから気もちが変わった。今朝の行動ルーティンが実行できることや朝ぶろ入浴ができること、そして今年も小さな庭に植わっている柿の木から柿の実が生っていることなど、それらが今まであたりまえのことであって、ありがたいとも感謝すべきことなどと思ったことがなかったが、きょうは違った。昨夜、ボルボ・カー千里(ディーラー)K氏から愛車(VOLVO)の修繕が完了したと連絡をもらっていた。その凹みと傷は、家人の運転中の車に相手の車がバックして衝突その際のもの、家人の心にも同様に傷つけた(相手側からぶつけたことによる謝罪等が一切なく「お互い様だ!」と相手が主張しているとも保険会社から聞き、穏便な話し合いも期待できず法的処置に委ねた)。愛車が新車並みに修繕できたことによって、家人の嫌な気持ちも払拭されればとねがうばかり。やはり、乗り慣れた愛車はすべてにやさしい。ハンドルもエンジン音も走行のクッションも以前はあたりまえだったこの感触は最高!一週間ぶりに乗って気づいた。決して、代車(新車)では味わえない。『初心忘るべからず』、生きてることも動いていることも話せることも仕事があることも、すべてに“感謝なのだ”とあらためて気づかされた昨日と今日だ。きょうの楽しかったことは、○毎日が新しい日だと気づいたこと、○愛車が新品同様に修繕され家に戻ったこと、○昼食は秋のすき焼き弁当、ウマかったことだ。(16,570歩)
今朝も7時過ぎの行動ルーティン、いつもより少し遅めの始動だった。きょうは午後2時から司馬遼太郎記念館連続講演会(後期第一回)『歴史小説の楽しさ』(講師:葉室麟氏)への参加が楽しみだ。午前中に『鬼平犯科帳』(第6シリーズ⑤スペシャル版)を鑑賞。その後、東大阪市の記念館へ。ところが鶴橋駅の乗り換えで、準急と間違って急行に乗車したのが最初のミス、急行は下車予定の「河内小坂駅」を通過してそこより20分も遠くの「石切駅」まで乗り過ごしてしまった。「石切駅」から戻ろうと普通電車に乗車して「八戸ノ里駅」で下り、急ぎ足で記念館に向かう。点滅状態の信号下、横切ろうとして二つ目のミス。点滅から赤へと変わった途端、横断歩道に足を踏み入れた。信号待ちの乗用車とあわやの接触、ドライバーのとっさの判断で辛うじてセーフ、助かった。そして、講演会にも間に合った。気取りのない葉室麟氏(直木賞作家「蜩ノ記」)のお話しぶりに好感が持てた。現在、文藝春秋誌上で「大獄」(西郷隆盛の生涯を描く)連載中、毎月楽しみに読んでいる。きょうの感謝の出来事は、○安易なミスを重ねたが何とか無事に過ごせたこと、○作家の生な話を身近で聴けたこと、○阪急百貨店12F「神田」季節の天麩羅そば(昼・夕食)、美味しかったことだ。(15,830歩)
好きな文章を以下に記す、繰り返し読む司馬遼太郎の文章だ。『さて、自然という“不変のもの”を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。人間は、--くり返すようだがーー自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。その態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。--人間こそ、いちばんえらい存在だ。という、思いあがった考えが頭をもたげた。二十世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といっていい。同時に、人間は決しておろかではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。このことは、古代の賢者も考えたし、また十九世紀の医学もそのように考えた。ある意味では平凡な事実にすぎないこのことを、二十世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。二十世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、二十一世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。』(「二十一世紀に生きる君たちへ」より)熊本地震、阿蘇山の噴火、鳥取地震と相次ぎ、また非人間的殺傷事件も発生している現況下まるで自然からの警告のようだ。きょうの出来事としては、○初冬の寒さが忍びよってきて喘息の家人を苦しめはじめたこと、○司馬遼太郎の先見力に感じ入ったこと、○昼食は梅の花の惣菜と栗赤飯、ウマかったことだ。(11,840歩)
没後20年『司馬遼太郎の言葉』(週刊朝日2015年12月発行)を昨日から今日にかけて読んだ。1986(昭和61)年から執筆を始めた「風塵抄」、まるで30年後の今でも魅了される言葉が連なっている。冒頭に、「ひとびとに恒心がなければ、社会はくずれる」「政府も自治体もフライパンの上のアヒルである。充実した都市設計などはできそうにない」「“好き”というのは、刃の上を素足でわたるようにきわどい」「日本は、常人の国である。それが、私どもの誇りでもある」「生物にも耐用年数があるように、国家にも社会にも団体にもそれがある。戦後秩序が現実にあわないほどに古び、そのことによる大事件が内外でおこっている」「私ども日本人は、無意味な言語に忍従するように馴らされている。さらにいえば、言語というものは魅力のないものだとあきらめてもいるのである」「日本人は喋り下手だといわれているが、、それ以上に、正直さに欠けているのではないか。政界のやりとりをみると、ついそう思ってしまう」等々だ。高校時代に「竜馬がゆく」(1963年)を読んで以来、今日まで司馬遼太郎作品に50年以上親しんできた。それだけに司馬遼太郎の言葉には全幅の信頼を置いている、友の会の会員でもある。きょうの楽しかったことは、○ひさしぶりに司馬遼太郎の言葉に浸ったこと、○「鬼平犯科帳」(DVD)全85巻のうち70巻まで鑑賞できたこと、○夕食は塩昆布のお茶漬け、さらりとしてウマかったことだ。(14,960歩)