「ひとびとに恒心がなければ、社会はくずれる」「政府も自治体もフライパンの上のアヒルである。充実した都市設計などはできそうにない」「“好き”というのは、刃の上を素足でわたるようにきわどい」「日本は、常人の国である。それが、私どもの誇りでもある」「生物にも耐用年数があるように、国家にも社会にも団体にもそれがある。戦後秩序が現実にあわないほどに古び、そのことによる大事件が内外でおこっている」「私ども日本人は、無意味な言語に忍従するように馴らされている。さらにいえば、言語というものは魅力のないものだとあきらめてもいるのである」「日本人は喋り下手だといわれているが、、それ以上に、正直さに欠けているのではないか。政界のやりとりをみると、ついそう思ってしまう。」等々、司馬遼太郎の言葉だ。高校時代に「竜馬がゆく」(1963年)を読んで以来55年を超えて作品群と親しんできている。これまでも司馬遼太郎の折々のことばに感銘を受け、導かれることが多々あり救われてもいる。きょうの出来事としては、○10月度累計歩数366,731歩(286km)一日一万歩超達成の累計日数2,508日となったこと、○映画(DVD)鑑賞疲れによる首筋の鈍痛が慢性化しつつあること、○家人の手製スペシャル炒飯、ウマかったことだ。(11,100歩)
「人生は経験の連続だ。たとえそのときの自分にはわからなくても、すべての経験には理由がある。なんらかのメッセージがある。生起した事態の中には、かならず必要なレッスンがふくまれている。げんにおこっている事態を拒絶したり、泣きごとをいったり、変えようとしたりするのではなく、黙然としてそれを経験すればいいのだ。あらゆる経験はわたしたちを大いなる善や癒しへとみちびいてくれる。善と癒しを手にするためになにもしなくていいのだから、こんなありがたい話はないはずだ。わたしたちはただ、あるがままの人生を生きていけばそれでいい」(座右の書『ライフ・レッスン』より引用)腑に落ちる。午前中、背筋に違和感を覚えて行きつけの鍼灸整骨院で矯正。帰宅後、家人からの誘いもあり宝塚陽春園へブログに添える花のフォト撮影へ。家人の奢りで園内喫茶店で美味しい珈琲を飲みながらひさびさの語らいと読書で得難い時間を過ごす。きょうの楽しかったことは、○ボディケアをマメに行なったこと、○陽春園で得難いときを過ごしたこと、○クラブサンドウィッチ、ウマかったことだ。(10,230歩)
司馬遼太郎の次の文章を繰り返し読む。『さて、自然という“不変のもの”を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。人間は、--くり返すようだがーー自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。その態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。--人間こそ、いちばんえらい存在だ。という、思いあがった考えが頭をもたげた。二十世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といっていい。同時に、人間は決しておろかではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。このことは、古代の賢者も考えたし、また十九世紀の医学もそのように考えた。ある意味では平凡な事実にすぎないこのことを、二十世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。二十世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、二十一世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。』(「二十一世紀に生きる君たちへ」より)きょうの楽しかったことは、○4週間毎に通う高槻市Sクリニック、何事もなく診察を終えたこと、○宝の湯に浸かり垢すりとマッサージ、心身が癒されたこと、○帰途の箕面喫茶店Dの焼肉ランチ、いつもながらおいしかったことだ。(10,170歩)
本日午前10時半、卒業50周年「山崎ゼミ」同窓会、関西大学正門前で七人の侍(石丸、大矢、加藤、杵島、細見、吉田各氏と小生)が落ち合う約7年ぶりだ。それからキャンパス内をそぞろ歩きして建て替えられた学舎や図書館、食堂そしてグランドなど若き日々を懐かし気に振り返り語り合いながらの散策。途中、人工芝のグラウンドで寝そべって話し合っている後輩に声を掛けて記念写真の撮影など頼むと彼らも快く引き受けて撮ってくれた。秋晴れの爽やかな風が吹いているような心地よさを感じるときを過ごした。その後、十三駅まで戻り、がんこ寿司総本店で懇親会をひらく。近況を話し合い、伊豆半島熱川温泉2泊3日のゼミ旅行の話題などで盛り上がる。卒業後50年の歳月の横たわりはあっという間に越えられた同窓会だったように思う。きょうの楽しかったことは、○大学ゼミ同窓会で懇談できたこと、○母校の関大キャンパスを懐かしく歩き回ったこと、○がんこ寿司懐石料理、美味しかったことだ。(15,460歩)
前々から楽しみにしていた司馬遼太郎記念館(2018年連続講演会)後期第1回『信長の時代』(講師:安部龍太郎氏)に参加した。戦国武将織田信長についての著作が多い氏の歴史資料の読み込みの深さ、推察・分析力の一端を垣間みせられた思いだ。特に、戦国時代はスペインやポルトガル、オランダなど日本産出の銀を狙って活発な海外経済交流の時代であったにもかかわらず、国内的事情(士農工商の身分差別)で当時活躍した商人の存在を明らかにさせることができず、また徳川政権下(江戸時代)に適合する視点のみで戦国時代の歴史模様が作られ、それが定着した。明治維新以降もそのまま見直し修正されることもなく国民への歴史教育も「日本史」と「世界史」に分けられた。そのことが結果として少年期に国際的思考と視野が育てられないまま今日へと至っている。つまり、グローバル人材を育成するなら二教科をまず統合することが必要と語られる。例えていえば現在の日本歴史を語る場合に米国や中国などを抜きにして語っているようなものだと。なるほどリアルではない。きょうの楽しかったことは、○当代人気歴史作家の講演を前列2列目で聴講できたこと、○学校の歴史教育を鵜呑みにする危険を学んだこと、○鶴橋韓国店のクッパ定食、辛くて食べづらかったことだ。(14,470歩)