昨日の夜と今日の午前・午後の二日間で同窓生(友人)が添付送信してくれた「鎌倉殿の13人」総集編1~4をそれぞれ思い出しながら鑑賞した。ドラマを通して観ることで、各週に放映された場面場面に重大な伏線が随所に敷かれていることが判明した。脚本家三谷幸喜の非凡さがうかがえる。この物語は、源氏と平家の戦いを描くのでもなく、頼朝と義経の骨肉相食むドラマでもなく、坂東武士が創り上げた政権の宮廷からの分離独立過程のストーリーでもない。ひたすら北条一族の親子間、姉妹間、姉と弟の内部抗争劇が一環して描かれていた。そして、最終場面で姉の政子が弟の義時を殺すことでここに至るまでの多大な犠牲者たちへの鎮魂と免罪を乞う、そのかたちで終了させたと理解した。それにしても史劇として、とても面白かったことだ。きょうの楽しかったことは、○「鎌倉殿の13人」の総集編が一挙に鑑賞できたこと、○12月度累計達成歩数354,650歩(256km)累計達成日数4,013日実質十年以上もコツコツやり遂げたことに自賛する。○年越しそばを食すため箕面の美々卯へ、突然息子から「奢るよ」との申し出があり家人共々驚きかつ感謝したことだ。(12,180歩)
「湯たんぽの ひさしき温もり 年の暮れ」。これまで俳句など一度もひねったことがないのにス~と自然体で心に浮かび口ずさんだ。朝食時、家人にそのことを話すと「いい話題ができたね、ブログにそのことを書いてみたら…」と言われ素直にそうした。ここ数日の湯たんぽの効用には満足している。ほどよく肌にやさしい温もりがなぜか亡くなった母の愛を思いだす。と、一年前のブログに記述していた。きょうは朝から水月公園池ノ端コースのウォーキングをこなす。そして帰宅すると正月用食材のショッピングで川西阪急へ外出している家人も留守、陽だまりに寝ている愛犬リズンと話す。「吾輩は猫である」を読み流しながら自分で淹れた珈琲を飲む、思いがけない空白の時間、こういう時間をもっと大切にしたいものだ。きょうの楽しかったことは、○年末ぎりぎりになって、まったくの空白タイムを持てたこと、○Netflix配信『ミス・シェパードをお手本に』(英2016年)ホームレスの老いた女性の勝手気ままな暮らしぶり、実話に基づく物語だという。○健康食(納豆+黒豆+蒲鉾+千枚漬)、ウマかったことだ。(12,170歩)
きょうは朝から芥川龍之介に集中した。先日、文庫本三冊100円で買った一冊、楽しみにしていた短編集だ。「羅生門」「鼻」「芋粥」「地獄変」「蜘蛛の糸」「蜜柑」「舞踏会」「藪の中」など朗読や映画その他の媒体で表題だけは聞いたことがあった。ただ読むのは初体験、さすがに面白く夢中にさせられた。昨夜から今朝の午前中までに短編12編を読み切った。その中でも文章タッチの凄まじい「地獄変」に魅せられた。横柄で、高慢な絵師が屏風に地獄絵図を描けと命令を受ける。絵師は炎熱地獄の猛火の中へ空から落ちてくる枇榔毛の車と黒髪を乱しながら悶える上臈(ジョウロウ)のイメージが描けないと申し出る。と、依頼主は枇榔毛の車と上臈の装いをさせたあでやかな女の悶え死ぬ、その状景を見せようという。そして当日、その燃える車の中の上臈は絵師の一人娘だ。このあたりの描写は実に凄まじい。絵師の父親としての地獄の責苦の表情から芸術家の恍惚とした法悦の満足げな表情までの変化を描く。これこそが芥川龍之介文学だと感銘した。きょうの出来事としては、○昨夜来から未明まで芥川龍之介短編集に没頭したこと、○次は夏目漱石「吾輩は猫である」何とか正月までに読み切ろうと思う、○家人特製の焼きそば、うまかったことだ。(11,830歩)
午前8時15分過ぎ、腰痛の家人を車に乗せて近くのM整形外科へ。慌ただしく車に乗り込んだため彼女はスマホ(アイホーン)を家に忘れてしまった。小生のみ帰宅後、彼女のスマホを持って再度M整形外科の待合室を訪れ手渡した。その後、大きく迂回して水月公園池ノ端コースをウォーキング、気分も爽快なため2周も巡り帰路に、結局トータル7,700歩も歩いた。家に着いてから、いつもの珈琲を淹れていると診察を終えた彼女がちょうど和栗モンブランのケーキを買って帰ってきた。何というベストタイミングかと驚く、まるで以心伝心の行動だ。彼女はスマホを届けてくれたお礼だという。息子と三人で食卓テーブルを囲んでケーキを食べて喫茶した。息子曰く、「こういう時を幸せというのだろうナ」と。リズンも懸命に生きてくれているし、家族も皆元気でケーキなどいただいているし、平和だからこそ有り難いことだと。きょうの楽しかったことは、○美味しいケーキと珈琲を食したこと、○Netflix配信『ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密』(米2020年)ミステリー映画の新たな傑作との評判だが・・・。○ヒレカツとエビフライ弁当、うまかったことだ。(12,480歩)
『過去を追うな 未来を願うな 過去はすでに捨てられた 未来はまだやってこない だから現在のことがらを現在においてよく観察し、揺らぐことなく、よく見きわめて実践すべし ただ今日なすべきことを熱心になせ 誰か明日の死のあることを知らん』(釈迦のことば)。つまり、反省するな 希望を持つな 未来のことはあれこれ考えるな、思うがままにはならない 今日なすべきことを熱心になせ 明日は死ぬかもしれないぞ、と自己解釈の意訳も入っているが大筋こんなところだろうか。要は今を大切に生きることだ。人間の心がたどってきた歴史を考えるとき“想像する力”、それが人間をして人間たらしめている。“想像する力”があるからこそ人間は希望をもち、互いを思いやり、そして心に愛が生まれるのだと。明るく、楽しく、そして前向きに想像していく人生、それが“幸せ”を引き寄せるコツなのだと。きょうの楽しかったことは、○宝の湯(宝塚スーパー銭湯)で一年間の垢落としをしてきたこと、○Netflix配信『素晴らしきかな、人生』(米2017)「愛」と「時間」と「死」3つの概念を擬人化させる発想が面白いこと、○健康食(丸干し+丹波黒豆+大根おろし)、うまかったことだ。(11,130歩)